【思いの欠片】


誰も居ない真っ暗な自宅のドアを開いて、バッグを置いて上着をハンガーにかける。家に到着してからのいつものルーティン。頭は全く働かないのに身体は自然と動く。あれ…?そういえば私、どうやって帰ってきたんだっけ?よく覚えていない。

ぼんやりする頭の中で分かることは、真斗に別れを告げられたという事実。私を突き刺す真斗の青くて冷たい瞳が、今でもちゃんと思い出せる。


交際は順調だと思っていた。喧嘩をしたことなんて無いし、ちゃんと愛情も感じていた。お互いに尊敬し合って、思いやりを持って接することが出来る、そんな関係を築けたと思っていた。

それなのに…どうして?
ついこの間まであんなに優しくしてくれていたのに。私が何か、気付かないうちに…真斗の気に障ることをしたのだろうか。



「(どうして、嫌われちゃったんだろう)」

涙は出ない。現実を受け入れられてないせいか、ただただ呆然とする。まるで、深い海の底のような…暗闇の中にいるよう。


そうだ、一旦落ち着こう。何か、温かい飲み物でも淹れよう。


手を洗った私は、お湯を沸かす傍ら食器棚からピンク色の湯呑みを取り出す。隣に並ぶのは同じ柄の水色の湯呑み。

真斗が淹れてくれるお茶が美味しくて、調子に乗ってお揃いの物を買ってきた。それを見せると真斗は、「照れ臭いが嬉しいものだな」なんて言って笑ってくれたっけ───。


そんな物思いにふけていると、するりと手の平から、湯呑みが滑り落ちた。


ガシャン!と大きな音を立てて……無情にもそれはフローリングに落ちて粉々になった。

まるで、思い出も一緒に壊れてしまうように。



「…っいけない、片付けなきゃ」


破片を拾い上げていると、ぽたりと床に滴が落ちる。それは止まることなく、私の目から溢れていく。



「…っ、ふっ…」

破片を拾う指に力を入れると、それが指に刺さってほんのり痛みを感じた。だけどもっと痛いのは、心の方だった。



「ひっく、うぇっ…うぅー…」


何かが切れたように、私はその場でうずくまって泣いた。



大好きだったの、本当に。

真斗もきっと、同じだと信じてた。これからもずっと一緒にいて、もっとたくさん思い出を作って…なんて。
そんな時間が永遠に続くと、勝手に思っていた。


こんなに突然、こんなに呆気なく
終わってしまうだなんて。

現実を受け入れられないまま、私は朝まで泣き続けていた。









「…ひっどい顔」


目の下のクマに、真っ赤に腫れた目が痛々しい。今日に限って平日で、いつものように会社へ行かなければならない。


いつもより濃いめにコンシーラーを塗って、腫れた目元はピンク色のアイシャドウを使って誤魔化す。昨夜髪を乾かす気力もなく横になってしまったせいでボサボサになった髪は、お団子にまとめた。前髪だけ整えて、サイドの髪を巻いてそれっぽく見せる。

あぁ…情けないし、良い歳して格好悪い。振られて夜通し泣くとか、学生じゃないんだから。


そんな自分に嫌気がさしながら、いつもの癖で耳にピアスを着けようと手に取る。だけどそれは、彼から貰った思い出のもの。…そうだ、プレゼントしてもらってからはほぼ毎日着けていたんだ、私。


「…外してこ」

カシャンと音を立てて、テーブルに置いた2つの花柄のピアスが、仕事へ向かう私の後ろ姿を見送った。










───


あんなことがあっても、日常は普通にやって来るのが不思議だ。いつものデスクも鳴る電話も、昨日と景色は何も変わらないのに。


ふぅ、と片手で頬杖を着く。幸い今日は仕事も落ち着いている。仕事が終わったら早めに帰って休もう、早く切り替えなくちゃ…と心の中で自分に言い聞かせた。

すると、突然デスクに置いたスマホがメッセージを知らせた。何だろう、と思い手に取ってメッセージアプリを開く。



「蘭丸?」

真斗かな?なんて一瞬思ってしまった自分が心底嫌になった。昨日あんな別れ方をして、今更話すことなんて無いはずなのに…私ってば馬鹿みたい。


届いたメッセージはもちろん彼からではなく、蘭丸からだった。『昼休み、少し出てこれるか?渡してぇモンがある』と。


時刻は12時前、間もなく昼休みだ。今日はお弁当を作る気力もなくて、外に出ようと思っていたし…ちょうど良かった。

『了解』の旨を蘭丸に返信してから、私は再び仕事に取り掛かった。


…正直、蘭丸と会うのも気は乗らなかった。蘭丸を見るとどうしても真斗のことを連想してしまう。うっかり彼の名前なんて聞いた日には、上手く取り繕える自信がない。


だけどそれは周りには何も関係ない事情だ。せっかく会おうと時間を作ってくれた蘭丸にも申し訳ない。いつも通り、いつも通りでいよう。


両頬を小さく叩いて気持ちを切り替えたところで、昼休みを告げるチャイムが鳴った。バタバタと席を立つ他の社員の群れに混ざり、私は蘭丸との待ち合わせ場所へ向かった。




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