【別つふたり】


芝居は得意だ。だから今の俺は、俺であって俺ではない…【聖川真斗】ではなく違う人間になり切って淡々と言葉を紡いだ。そうすれば、張り裂けそうな胸が幾らか楽になる気がした。


「……え?」

別れて欲しいと、そう告げた瞬間…微笑んでいた七瀬の顔が一瞬にして硬直したのが分かった。当然の反応だ。何の前触れもなく、突然一方的に別れを告げられたのだから。



「え、ちょ…どういう、こと?よく分かんないよ…」


事実を受け入れられないのか七瀬は瞬きを繰り返しながら目を泳がせた。激しく動揺しているのが見てとれる。

感情を押し殺し、ただ無言を貫く。七瀬も何を言えば良いのか分からず混乱しているようだ。しばらく沈黙が続くがこのままでは埒が明かないと思い、また小さく口を開いた。


「話は、それだけだ。…時間を取らせてすまなかった」
「や…ま、真斗っ」
「何だ?これ以上、何も言うことは無い」
「待って…!私、何かした?」


七瀬が俺に駆け寄ったことで、距離が縮まった。俺のジャケットの裾を控えめに指先で掴む、七瀬のいつもの癖。指先が震えているのが分かる。それすらも、今はただ…苦しかった。



「気に入らないところがあれば直すしっ…確かに、ダメなところはたくさんあるけど、けどあんなに…!」
「引き止めないでくれ、見苦しいぞ」


七瀬の手を自分のそれで払い除ける。目を開いて傷付いた表情になる七瀬の顔をこれ以上見ていられず、顔を横に向けた。なるべく、視線を合わせないように。


「そう、だよね…ごめんなさい…」
「……」
「けど、ちゃんと理由が…知りたいの…。理由もなく、真斗はそんなこと言う人じゃ、ないから…」


払われた右手を自分で握って、七瀬は苦しそうにそう言った。



「……いずれこうなることは、予想していた」


本当の理由など、言えるはずがなかった。事情を伝えれば、七瀬はきっと自らの転勤も母君の転院も、何でも受け入れてしまうと思った。自惚れかもしれんが、きっと七瀬は自分の苦悩よりも俺の気持ちを優先させてしまう。長くは無い付き合いの中で、何となくそう予想出来た。


「俺とお前とでは、生きてきた環境も価値観も立場も、何もかもが違う」
「それはっ、わかってるけど…」
「出会うべきではなかったんだ、最初から」


自分で放ったはずのその言葉が、俺の胸をも突き刺した。
ナイフで刺されたかのように、激しく痛む。それでも俺は、七瀬と目を合わせなかった。



「真斗は、私と一緒に居て楽しくなかった…?」
「…っ」
「そんな、楽しかった思い出まで否定するような言い方しないで…!」






「…俺はもう、お前のことは何とも思っていない」
「……」
「終わりにしよう。もう二度と会わない。仕事上での付き合いがあったとしても、担当は変えてもらう」


七瀬は涙を流すことはなかった。その表情ははっきりとは見えなかった。…否、まっすぐな瞳に耐えられずあえて逸らしていた。ただ、苦しそうにきつく唇を噛み締めている様子が視界の端に映った。


あんなに触れていた身体が、手が…今は切ないくらいに遠い。だがそれでも引き寄せることはせず、目を合わせることすら、しないようにした。




「そこまで、言うなら…最後くらい、ちゃんと私の目を見てよっ…」


それが七瀬の悲痛な叫びのように聞こえた。その声に応えるよう、ゆっくりと顔を七瀬の方へ向ける。
互いにじっと見つめ合う。髪を揺らした風が、やけに生ぬるく感じた。



「決意は、変わらないんだね…」
「……あぁ」
「…分かった。今までありがとう」



「では失礼する」


俺はそのまま七瀬に背を向け、足早にその場を去る。
呆然と立ち尽くす七瀬には目もくれず。



「(ダメだ、振り返るな)」

一度でも振り返れば彼女を抱き締めてしまう。
今にも溢れそうなその涙を拭って、今のは嘘だと言いたくなる。

そのようなこと、許されるはずがない。たくさん傷付ける言葉を浴びせた。必死に気持ちを落ち着かせようと、ひたすら前へ前へ歩きながら、強く拳を握った。





「あれ、まぁくん?こんな遅い時間にどうしたの?」

歩いている内にいつの間にか事務所の中にまで辿り着いている事に気付く。入口ですれ違った月宮先生に「少々、忘れ物を」と誤魔化して会釈をし、また歩き出した。


誰も居ない静かな渡り廊下で、足を止めた。電気も非常灯しか着いておらず、暗闇に包まれている。

まるで、俺の心の内を表しているよう。唇を噛み締め、ずっと握り締めていた右手の拳を壁に打ち付けた。


『私と一緒に居て楽しくなかった…?』
「楽しくないわけ、ないだろうっ…!」


打ち上げでグラスを交わしたことも、お好み焼き屋に連れて行ってくれたことも、滝に行って笑ってくれたことも。俺にとっては何にも代えがたい大切な思い出だった。

初めて仕事をした時の凛とした態度も、優しい笑顔も、腕に抱かれて恥じる姿も、
すべてが愛おしかった。

こんなに誰かを好きになるのは生まれて初めてだった。


それを俺は、自ら手放したんだ。




prev next
bookmark back


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -