【父親の威厳】


「すみません、松崎さんですか。父上と早急にお会いしたいのですが」


父上の秘書にそう、連絡を入れてから数日後──俺は再び実家を訪れた。数ヶ月ぶりに見る大きな門に、いやに心臓が速くなるのが分かった。
ただ帰省するだけなのに…こうも緊張するのはきっと俺くらいなものだろう。



「坊っちゃま、こちらです」
「あぁ、ありがとう」

出迎えてくれたじいと共に、中庭を通って父上の部屋を目指す。普段は他愛もない話をするのに、やけに静かなじいの様子が少し気になり一度足を止める。


「何かあったか?」
「いえ…あー…うむ」
「ん?」
「いやはや、私の口からは、何も」


言葉を濁して先を歩くじいの様子からするに、何かあることは明白なのだが…話したくないことを無理に聞く必要もないかと、特段気にすることなくじいの後を追った。


部屋の入口から漂う厳かな空気に、本能的に背筋が伸びる。じいの「旦那様、真斗坊っちゃまがいらっしゃいました」という言葉に合わせて小さく深呼吸をした。

俺は今日、父上に七瀬との関係をお伝えしに来た。すぐに認めてもらおうとは思っていない。長期戦になる覚悟もしている。
だが、言わぬことには何も始まらない。俺を信じて待っていてくれる七瀬の為にも──何としてでも、逃げ出さないと決めたんだ。



「失礼致します」

閉じた瞳をゆっくりと開けて前を見据えてから、正座をして襖に手をかけた。


襖を開いてそのまま頭を下げ、すぐに上げる……が、予想外の光景に驚いて動きが一瞬止まる。
すぐ我に返り部屋の中へと入り、父上の前で再び正座をした。

驚いた理由はひとつ、部屋の中には先客が居たのだ。



「良く来たな」


父上の声に釣られたように、ゆっくりと俺のに向き直ったのは、桃色の着物を纏った、若い女性だった。にっこりと微笑むその女性と目が合い、何も言わずひとまず座ったまま一礼した。

先約があったのだろうか…いや、今日は何もご予定は無いと秘書の松崎さんに確認していたのだが。当の彼女は何も言わず、ただ静かに微笑んでいるだけだ。


「失礼ですが、その…彼女は…」


沈黙に耐えきれず俺が口を開くと、彼女は畳に手を付いて俺に深く頭を下げた。きちんとした所作と、見るだけで高級と分かる着物に、すぐに育ちの良さを感じた。


「申し遅れました、聖川真斗さま。わたくし──」
「いや、今はまだ良い。また改めて紹介しよう」
「左様でございますか。承知致しました」


名乗ろうとした彼女の言葉を、何故か父上が遮った。少し父上と会話を交わした彼女は、もう一度俺に一礼してから部屋を去った。結局、彼女が何者なのかは分からないままだ。


せっかく緊張感を持って臨んだのに不意をつかれてしまったようで、気付かれない程の小さな溜息を吐いた。しかしすぐに「真斗」と父上が俺を呼び、その声にもう一度姿勢を正した。

俺の目をまっすぐに見つめる父上。そして小さく頷いてから、また再度口を開かれた。



「彼女とお前の、縁談を進めている」
「……え?」


空気が一瞬にして冷たくなった。
彼女…と言うのは、今まさにここに居た女性のことで間違いないはず。そこで初めて、彼女の正体を知った。

何故今日ここに彼女が呼ばれたのか、更には【改めて紹介する】との言葉の理由も──。



「待って下さい父上!縁談はお断りして頂きたいと…先日申し上げたはずですが…!」
「事情が変わったのだ」
「ですが…!なりません、俺は彼女と縁談など受け入れられません!」
「家柄も容姿も年齢も、何も問題は無いはずだ」

これ以上のお相手はいない、と。まるで俺の言葉に聞く耳を持たず、父上ははっきりと言い切った。膝の上で強く、拳を握り締める。


「お前に普通の結婚はさせられん。…理解していると思っていたが」


その言葉に、父上と交わした約束が頭をよぎった。【結婚相手は父上が決める】。それは紛れもなく、俺も了承したことだ。

普通の結婚はさせられない──聖川の名前の重さはよく分かる、父上のその言葉も理解は出来る。

理屈は通っていたとしても、俺には…!



「それは…」
「それとも、他に理由があるのか?」


迫力を増した父上の声に負けぬよう、じっとその目を見つめた。視線は決して逸らさぬよう、ひとつ呼吸だけ置いてから



「…愛している女性がいます」


俺は、意を決して父上に告げた。



「申し訳ありません。今は、彼女のことが──「櫻井七瀬」


突如、父上から出た七瀬の名前に、身体が硬直して動かなくなった。何も言えない俺に対し、父上は淡々と言葉を続ける。


「株式会社ST社に勤務、宣伝部で広報の仕事を担当。齢は24か…。」


バサッと音を立て父上が俺の前に資料を投げ出した。複数枚綴られたA4サイズの紙に、所狭しと書かれた文字……そして隠し撮りと思われる七瀬の写真まで用意されている。


「父親は中小企業に勤めていたがすでに他界…家柄も普通だ。顔は美人かもしれんが、絵に書いたような一般庶民だな。加えて借金持ちときた」

中には俺と二人で映る写真まで…いつ撮られたのか、全く記憶に無いものだった。


「(俺としたことが…)」

まさか事前にここまで調べ尽くされているとは…想定外だった。父上はこのことも計算済で、先程あの場に縁談相手を呼んでいたのか。

俺の心を、折るために。


「更には…母親が長期入院をしているらしいじゃないか」
「……!」
「早乙女病院か…あそこの理事長とは昔からの知り合いでな。少し口を利けば、患者一人転院させることなど容易い」


七瀬のことのみならず、母君の事まで調べているのか。
とことん手を尽くす父上の、いつものやり方だ。まるで隙がない。


「櫻井七瀬は──うむ、そうだな。海外支社にでも異動させよう。そうすればお前と二度と会うこともないだろう」
「……っ、お言葉ですが父上!お一人のご判断でそのようなことが許されるとでも──!」
「私を見くびるな、真斗」


地に響くような低い声とその目を見て、父上が本気なのだと悟った。あの手この手を使い…何が何でも七瀬と母君を飛ばすおつもりだ。


「…これは脅しですか」
「脅しではない、選択肢を与えているのだ」


何も悪びれる様子もなく、父上は冷静にそう言い放った。


「彼女の全てを奪ってまでも共にある道を行くか」
「……」
「幸せを願い、離れることを選ぶか」



幼き頃の記憶が蘇る。幼き頃から慕いながらも恐れていた、権力と威厳のある実父の存在。

俺がそれに反抗できたのはたった一度だけ、早乙女学園へ入学する時だけだった。



「お願い致します。彼女だけは……七瀬にだけは、何もしないで下さい」


搾るような小さな声で…深く土下座をして、俺はそう伝えた。本気の父上には、いつになっても逆らえない自分に…ただ、悔しさが込み上げる。


頭の中に、七瀬の笑った顔が浮かぶ。今の仕事が好きだと、誇りを持っていると何度も話していた七瀬。彼女が築き上げてきたものを、奪うようなことはどうしてもしたくなかった。

それに、何よりも──


『あの子にだけは、幸せになって欲しいの』


そう、七瀬を大切に想う母君と…七瀬を引き裂くようなことは、出来ない。


七瀬の幸せを奪う権利も
隣にいる資格も



「彼女のことが、そこまで大切ならば」
「……」
「分かっているな?」



俺には何も無い。
何の力も、無いんだ。






「…分かりました」



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