【執事と兄妹】


重厚で大きなコンサートホール、席が埋まる程の沢山の観客、そして響くピアノの美しい音色。
それは、私がこれまでの人生の中で経験したことのない世界だった。


「いつも俺の用事に付き合わせて申し訳ないな」
「ううん、私も楽しいから。気にしないで?」

ぞろぞろとホールから人が出ていく中、私と真斗はロビーで待機しながらその様子を眺めていた。それにしても、本当にすごい人。初めて来たけどこんな感じなんだ。

私の手元にあるパンフレットには【ジュニアピアノコンクール】の文字。何を隠そう、真斗の妹さんがそれに出場をするらしく、一緒に観に来たのだ。すでに全ての演奏が終わり、今は審査中の空き時間、というわけ。


妹さんの名前は真斗の口から頻繁に出ていたから、一方的に良く知っている。遠目から見ただけだけど想像通りの美少女で、ピアノもとっても上手だった。専門家じゃないから詳しくは分からないけど、真斗と弾き方も少し似ていて「やっぱり兄妹だなぁ」と、勝手にほっこり楽しませてもらった。


「妹さん、今日真斗が来ることは知ってるの?」
「いや、あえて伝えてないんだ」

ちょっとしたサプライズだな、と人差し指を唇に当てた真斗はとても楽しそうだ。嬉しいんだろうな、妹さんに会えるの。話を聞く限り兄妹仲はとても良いみたいだし、妹さんも真斗と会えたらさぞかし喜ぶんだろうな。本当、微笑ましい。


「うふふ」
「どうした七瀬」
「ううん、一人でほわほわしてた」
「ほわほわ?」

ん?と不思議そうに首を傾げた真斗。するとその真斗の後ろを目掛けて、遠くから勢い良く走ってくる人影が見えた。私が真斗にそれを伝える前に、


「ぼっちゃまぁぁぁ!!!」


ホール全体に響き渡るくらいの大きな声に、真斗がぎょっとして後ろを振り返った。一瞬見えたその顔は珍しく引きつっていた…気もする。

なるほど、あれが噂に聞いていたお方だと、私もすぐさま理解出来た。



「あまり大きな声を出すな、じい!目立つだろう」
「も、申し訳ありません。久々にお会い出来ましたのが嬉しゅうございまして…お元気そうですな」
「あぁ。俺も会えて嬉しい」


真斗の顔を見て心の底から嬉しそうに目を細めたその男性は、すぐに私の存在に気付いた。目が合って丁寧に頭を下げると、その【じい】と呼ばれているお方は、真斗に「坊っちゃま、そちらの女性は?」と尋ねた。


「はじめまして。真斗さんの友人の櫻井七瀬と申します」
「仕事で知り合ったんだ。今日は取材を兼ねて一緒に。…櫻井さん、こちらが俺が小さな頃から世話になっている──」
「藤川と申します。幼き頃からぼっちゃまの付き人をしておりました」


実はこれ、事前に真斗と打ち合わせ済み。「じいは昔から過保護だから…知られると面倒なのだ」という、真斗からのお願いだった。ちゃんと恋人と紹介出来なくて申し訳ない、と真斗は謝っていたけど、私は全然構わなかった。


「ぼっちゃま、食事はきちんと取られてますか?睡眠は?最近お忙しそう故、休息をですな…」
「じい、もう子供ではないんだ。実際今日はこうしてオフを頂いている、大丈夫だ」
「(た、確かに過保護かも…)」

むしろ藤川さんの様子を見るに真斗の言葉の意味も理解出来る。小さな頃からずっとお世話してたんだもんね。何歳になっても心配しちゃう気持ちも分かる。


「真衣は…まだ出てこないな」
「審査が終わればそのまま裏で表彰式だと聞いております、まだ時間がかかるかと…。よろしければ終わる頃に連絡致しますぞ、櫻井様とどこか出掛けられていては?」
「そう、だな…では言葉に甘えるとしよう。行こう、櫻井さん」
「う、うん」


真斗に連れられ外へ向かう時、藤川さんと目が合って頭を下げられた。その顔はすごく微笑ましそうに優しく笑っていて…どこか安心したような表情で。真斗は藤川さんのそんな顔には気付いてない様子だった。








───


「(分からないけど…もしかしたら藤川さん、察してるんじゃないかなぁ)」

「七瀬、どこか行きたい所はあるか?」
「あ、…ううん。そうだ!妹さんに何かプレゼント買っていったらどうかな?きっと喜ぶと思うよ」
「そうか…そうだな。何か選びに行くとしよう」


考え事していた私も、真斗の声で我に返った。きっと藤川さんは気を利かせてくれて私達を二人きりにしてくれたのだろう。何となくその事に気付いたけれど、あえて真斗には伝えずに自分の心に秘めておくことにした。きっと藤川さんも、そう望んでいる気がして。


「(お優しい方なんだろうな、きっと)」


二人で相談した結果、妹さんへの贈り物は花束にしようと決め、近くのお花屋さんを目指して歩く。すると「ちょっと待ってくれ」と真斗がその場に立ち止まった。ポケットからスマホを取り出した真斗がそれを耳に当てる。誰かから着信が来たみたい。



「じいか?どうした?」
「ぼっちゃま!!大変です!」

電話口からの藤川さんの動揺した大きな声が聞こえた。藤川さんの話の内容は私からはよく分からない。だけど会話をしていた真斗の顔がみるみるうちに青ざめいって…何かトラブルがあったことはすぐに分かった。



「……」
「真斗?大丈夫?」
「真衣が……妹が行方不明になってしまったらしい」
「えっ!?」

通話を切ってスマホを仕舞った真斗も、ひどく動揺している。くしゃっと前髪を掻き上げて…必死に心を落ち着かせようとしているのが伝わる。


「行方不明って…」
「表彰式の後、姿が見えなくなってしまったそうだ。じいが控え室で待機してくれていたようだが…そちらには戻らず会場にも姿がないらしい。どこか、外へ出てしまったのではないかと…」
「真斗、大丈夫。落ち着いて」
「どうすれば良いんだ…真衣の身に何かあったら俺は…そうだ、父上にも連絡を…」
「真斗!私の顔見て!」


相当焦っているのか、話している間も全く目が合わないのが心配になって…少し大きめの声で呼びかけてぎゅっと手を握ると、ようやく真斗は私を見てくれた。少しでも気持ちが落ち着くようにと…大きなその手を両手で包み込んだ。


「七瀬…」
「実家に知らせると大騒ぎになっちゃうから、まずは私達で探した方が良いと思う。一回会場に戻って藤川さんと合流して…まずは近くから探してみよう。まだそんなに遠くへは行ってない気がするの」
「あ、あぁ…」
「まずは藤川さんにそう伝えて。警察への捜索願は…ううん、それはもう少し後にした方が良いかな…」


まずは私が冷静にならなくちゃと、心の中で深呼吸をする。大丈夫、絶対に見つかる…そう思いを込めてもう一度真斗の手を握って顔を上げた。少しでも、真斗が安心出来るように。


「そ、うだな…すまない、取り乱して…七瀬にも迷惑を」
「慌てるのは当たり前だよ。それに私は迷惑だなんて少しも思ってないよ」


眉を下げる真斗に大きく頷いてから、その手を引いて私達はコンクール会場へと向かう。少しだけ震える真斗の手を必死に握り締めて、大丈夫だよと心の中で何度も唱えた。




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