【濡れた双眼】


今日の天気予報は晴れ模様のはずだった。なのに突然襲ってきたゲリラ豪雨。たまたま外出していた私と真斗は、逃げるように私のマンションのエントランスに飛び込んだ。


「急に降られちゃったね」
「あぁ…」

当たり前のように二人でエレベーターに乗り、私の暮らす部屋まで急ぐ。だいぶ、真斗を部屋に呼ぶことにも慣れてきた。今日は来る予定ではなかったけど…こんなずぶ濡れの真斗をそのまま帰す訳にはいかない。


「(部屋、ちゃんと片付けてたよね…)」


ガチャリとドアが閉まり私の部屋に入るや否や、私は慌てて靴を脱ぎ洗面所へと急ぐ。二人分のタオルを持ってパタパタと玄関まで小走りした。床が濡れてしまっているのはこの際仕方ない、明日掃除をすれば良いだろう。


「大丈夫?」
「ありがとう。七瀬も…だいぶ濡れてるな」
「真斗の方が濡れちゃってるでしょ。とりあえず中入って!」

そう、私より遥かに髪まで濡れている真斗。突然の雨だって言うのに自分のジャケットや身体を駆使して雨から私を庇ってくれたから…私は最小限の被害で済んだのだ。そんな優しさも本当に真斗らしいって思う。


「良かったらシャワー浴びていって?その間に洋服乾燥機かけとくから」
「いや、しかし…」
「ダメダメ!風邪引いちゃう」


悪いと思ったのか、はじめ躊躇っていた真斗を半ば強引にお風呂場に連れて行った。しばらくするとシャワーの流れる音が聞こえてきて、それにほっと一安心する。良かった…体調崩して仕事に穴なんて開けたら、申し訳なさすぎるから。

…って、安心してる場合じゃない。急いで真斗のシャツとズボンだけを乾燥機に入れた。真斗がまだ浴室から出ないことを確認して、自分の髪だけ軽くドライヤーをかけてから部屋着に着替える。


真斗を待つ間、温かい飲み物を用意しようとお湯を沸かす私。そしてふと冷静になると…ふつふつと恥ずかしさが込み上げてくる。


「(真斗が私の家のシャワー使ってるって…中々の状況だよね…!)」

緊急事態とはいえ、ちゃんと付き合っているしおかしくはない、はず。けれど意識しないのも無理だ…!妙にドキドキする心臓を抑え、ふぅ、と息を吐いていると浴室のドアが開く音がした。


「…七瀬!!」


次に聞こえたのは意外にも大きな真斗の叫び声だった。私を呼ぶ声に、慌ててキッチンから洗面所へと急ぐ。バスタオルは置いておいたけど、何か足りない物でもあったのかな。



「真斗ー?何かあった?」
「七瀬!あ、ああ…あそこに黒い物体が…!」
「え?どこ…って、きゃっ!」

そこでようやく真斗が腰にタオルを巻いただけの状態であることに気付く。つい視線を隠そうと両手で顔を覆うと、真斗が「今はそれどころではない!」と理不尽に怒られた。わ、私だってそれどころじゃないのに!


「物体?…あ、ゴキ」
「そう軽々しく言わないでくれるか!」

ようやく真斗が指差す壁に視線を移すと、そこにはカサカサと動く不穏な物体が確かに見えた。壁際から極力離れて、ソレから距離を取ろうとする真斗の顔は真っ青だ。


「ごめんね。気を付けてはいるんだけど、どうしても時々出ちゃうんだ」

こういうのはモタモタしてると逃げちゃうから…サッと退治して手までばっちり洗い、洗面所へ戻ると、真斗はようやく落ち着いたのか頭を抱えて深呼吸をしていた。



「…ふふっ」
「笑うな!」
「だって…ゴキが苦手だなんて…可愛いっ…!」
「七瀬!」


悪いと思いながらも、真斗の慌てっぷりがあまりにも可愛くて。笑いが堪えきれず、私は口を手で覆って隠す。だけど頬は緩みっぱなしで、きっと真斗にも見えてしまっているだろう。


「ごめんごめん!あまりに可愛くってつい…」


そう顔を上げた瞬間──洗面所の電気で明るかったはずの視界が、突然暗くなった。

気付けば目の前…至近距離に真斗の姿。自然と壁際まで追い込まれていた私の背中が、白い壁にトンと付いた。


「あの…」

身体の両脇は真斗の腕によって塞がれて、完全に閉じ込められる形になった。

しばらく俯いていた真斗がゆっくりと視線を上げて、目が合う。いつもに増して真剣な眼差し。ドキドキと、心臓が音を立てる。



「可愛いなど、言うな」
「けど」
「七瀬の方がずっと可愛い」


上半身裸の状態の真斗の前髪からはポタポタと水滴が滴り、床に跡をつけた。視界の端には筋肉の付いた二の腕と、がっしりとした胸板が映る。


ずるいよ、さっきはあんなに慌てふためいてたのに、こんなに急に色っぽくなるなんて。一瞬でも可愛いだなんて思った私が馬鹿みたいだ。

だめ…ドキドキしすぎて胸が苦しい。



「七瀬を見ていると…ついもっとと、触れたくなってしまう」
「……っ、真斗…」
「そう思うのは、強欲だろうか」

お風呂上がりの湯気が、二人の身体を包んで熱い。だけど理由はきっと、それだけじゃない。

静かな浴室に、遠くから聞こえる雨の音だけが響いた。



「そんな事、ないよ」


きっと私と真斗の思いは一緒だ。好きだからこそ、その温もりをもっと感じたくなってしまう。


「私ももっと、真斗に触れて欲しいって…思うから…」






「七瀬」

手をついていた真斗の腕が、今度は壁に肘をつく。そのせいで更に近くなる距離。
目を瞑ると、ゆっくりとその存在を確かめるように…唇が重なった。

何度も何度も触れて重なって…段々と唇が離れる間隔が短くなっていく。


「んっ…ぁっ…」

唇を押し付けられる力に戸惑いながらも、私は必死に真斗からのキスを受け止めた。自然と開いた口に、ゆっくりと舌が挿入されて…拒絶することなくただ身を任せた。

絡められる舌に、腰を撫でる手の平、熱く交わる吐息。その全てに、酔いしれてしまいそうで。


全身が震えて力が抜けそうになるのを、両足を踏ん張って何とか堪えていると──




「(スマホ、鳴ってる…?)」

うっすらと聞こえるバイブ音に、ようやく意識を現実に戻した。真斗の身体の向こうに、洗面台に置いてある真斗のスマホが見えた。多分、本人も気付いていると思うけど…真斗はキスを止める気配はない。


「真斗っ…」
「ん?」
「電話っ…出た方が良いんじゃない…?」
「……そうだな」

私の問いかけに、真斗は少し残念そうに息を吐いてから私からゆっくりと離れた。
背中を向けてスマホを取った真斗に見られないよう、私は鼓動が少しでも早く収まるよう、胸元の服をギュッと掴んだ。


「はい、聖川です。…えぇ、はい…」


通話を終えた真斗は、私の方に向き直った。申し訳なさそうな表情を浮かべていて、仕事の大事な電話が入ったことはすぐに推察出来た。


「すまない七瀬。急に出なくてはならなくなってしまった」
「わ、私は大丈夫。でもまだ乾燥機終わってなくて…」
「ダンスレッスン用のジャージがあるから大丈夫だ。本当は待っていたかったが…やむを得んからな」

何度も謝る真斗に「気にしないで」と伝えて、玄関先で見送った。もちろん、傘を渡すのを忘れないようにして。


パタンとドアが閉じてから、情けなくも私は、その場にへたりと座り込む。


「顔、あっつい…」


あそこで電話が鳴ってしまって、残念なような良かったような…。きっとあのまま続けていたら、私の身が持たなかった。だって…真斗とあんなキスをするのは、初めてだった。

それに真斗の仕草や表情から、急に【男の人】を意識してしまって──。



顔の熱が落ち着いてきた頃に、乾燥機の音が鳴って我に返る。雨の降りしきる中、出掛けて行った真斗を心配しながらも、次会う時にドキドキが抑えられる自信はなくて、どうしようかと頭を悩ませた。




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