【プロローグ】
「それでは定例会議を始めます」
櫻井七瀬、24歳。職業、会社員。
お昼休み明けの午後1時。
ただいま、ちょっぴり睡魔と格闘中です。
「まずは来月発売される新商品についてですが──…」
食料品の開発と販売を行うここ、ST社で働き始めてから2年。高校を卒業してから東京の大学に進学し、卒業してすぐに就職したそこそこ大手な会社。少しずつ大きな仕事も任せてもらえるようになってきた。仕事は大変だけどやりがいもあって、それなりに充実した毎日を過ごしている。
けれど最近ちょっと忙しかったせいか寝不足だ。昨日も夜遅くまで会議の資料を作っていたからなぁ。
ふぁ…ねむ。でも、今は大事な会議。しっかり起きていなくちゃ。そう思って必死に瞬きを繰り返す。
「続いて宣伝部から櫻井さん…櫻井さん?」
「あ、はい!すみません!」
勢いよく椅子から立ち上がる。半分寝ていたのがバレていたのか隣に座る先輩が必死に笑いを堪えている。もう!私ってば何やってるの。
「…それで、こちらの商品のCMですが、すでに希望のタレントにオファーを出しており、再来週には撮影に入る予定です」
私が今、担当しているのはペットボトルの緑茶飲料のプロモーション。
うちの会社懇親の出来だと…開発担当の同期が言っていた新商品だ。
少し憂鬱だなぁ、プレッシャーだなぁ。でも大きな仕事だから頑張らないと、よし!
「CM監督より提示されている案は以下の通りです。資料をご参照ください──」
2時間にも渡る会議がようやく終了し、デスクに戻る。腕時計を見ると、時刻は午後3時を指していた。えっと…約束は4時だからそろそろ支度しないと。
「櫻井さん、準備できたら早めに行こうか」
「はい、よろしくお願いします」
「あれ?今日二人で出張?」
同じ商品担当の先輩と一緒に、鞄を持って出かけようとすると、向かいのデスクに座る同僚に声をかけられた。
「はい。今日はシャイニング事務所まで」
「あー!例のお茶のCMか。オファー受けてもらえたんだ」
「はい。まだ正式な契約は今日ですけどね」
行ってきます、と周りに挨拶をしてから会社を出る。服装と髪型とメイクもしっかり整えてから向かう先は、業界で知らない人はいない、超大手の芸能事務所だった。
そう、今日はCM出演をお願いするタレントさんとの初回の打ち合わせだ。
「…そういえば櫻井さん、シャイニング事務所に友達がいるんじゃなかったっけ?」
「いえ、友達というか知り合いというか…なんというか、」
上京してからたまたま再会した、中学の同級生の彼の顔を思い浮かべる。
…うん、どう考えても緑茶のCMは似合わないと、勝手に判断した。
炭酸とか、絶対そっちの方がいいよ、うん。あ、ビールとかどうかな、似合いそう。
本人には申し訳ないのだけれど、今回のCMはどう考えても彼向きじゃない。
その点、お願いしている方はイメージにはぴったりだ。テレビとか雑誌でしか見たことがないその方の姿を思い浮かべた。
今回のキャスティングは、先輩がお願いしたいタレントさんが最初から決まっていたみたいで、その方のマネージャーさんに私が電話でオファーをした。
結果はなんと一発OK。本人も快く引き受けてくれたみたい。
多分今日本で知らない人はいないであろう…えっと…超人気アイドルグループの方。
忙しいだろうに、よくオファー受けてくれたなぁ。とてもありがたいのだけれど、こんなに事がスムーズに運ぶのが少し意外だった。
神様の気まぐれかなぁ。普段真面目に働いている私へのご褒美かな、なんて。
らしくもなくそんな事を考えていると、あっという間にシャイニング事務所へと到着した。
「うわぁー…大きな事務所…」
「そっか。櫻井さん、現場に来るの初めてだっけ」
「そうなんです。今まで電話のやりとりのみで」
「これからたくさんお世話になると思うよー」
目の前にそびえ立つ大きなビルに少し怯みながらも気合を入れた私は、先輩の後ろに続いて、建物の入り口をくぐった。