【幸せモード】


「お疲れ様です」

すれ違う人々と挨拶を交わしていく。私の首に掛けられているのは【関係者】のプレート。大勢のスタッフが行き交っているここは、民放のテレビ局だ。

私が所属する宣伝部の仕事は多岐に渡る。私は担当業務柄、普段はあまり来ないのだけれど、時々こうしてテレビ局にお邪魔することもある。例えば今日の打ち合わせみたいに、「移動の時間が勿体無いから直接局の楽屋に来てくれ」なんて言われたり。


「(楽屋廊まで来るのはさすがに初めて…)」


打ち合わせを無事終えて、私は一礼してドアを閉める。広い廊下の壁際にはたくさんの部屋…ここで多くのタレントさん達が収録の待機をしているようだ。


「(真斗は、普段こんなところでお仕事してるんだ)」

つい思い出してしまうのは、数日前の出来事。夢のような、嬉しくて幸せでたまらなかったあの時間。そしてあの日から、私と真斗の関係は確かに特別な物に変わった。

もちろん大っぴらに出来ない秘密の関係ではある。だけど想いが通じ合っただけで十分幸せだ。触れた手の温もりや抱き締められた感触が…まるで昨日のことのように思い出される。



「…へへへ」
「何突っ立ってんだ、邪魔だぞ」
「痛っ」
「こんにちは七瀬ちゃん」

顔のニヤニヤを抑えようと頬に手を当てていると、突如頭に訪れた軽い痛み。頭を抑えて振り返ると、ぱしっと小さく私の頭を叩いた犯人は蘭丸だった。そしてその隣で小首を傾げて笑うのは神宮寺さんだ。


「べ、別に叩くことないじゃない…」

もし私じゃなくて別人だったらどうするの、もう!けれどあまり馴染みのない局内で知り合いに会えたのは嬉しい。素直に安心する。


「お二人は収録か何かですか?」
「うん。ランちゃんとグルメ番組のレギュラーをやってるからね、その収録」
「七瀬は仕事か」
「うん、今終わったとこ」

二人は収録待ちの空き時間らしい。楽屋入りしてからじっと待つのも落ち着かず、外をうろうろしていたとの事だ。仕事が始まるまでの時間をどう過ごすかは、タレントさんによって個性があるみたい。


「七瀬ちゃん」

一際楽しそうに私の名を呼ぶ神宮寺さんに、本能的に緊張して背筋が伸びた。

神宮寺さんに真斗とのこと、話した方が良いかな…?もうすでに真斗から話してるかな。ううん、二人の関係性から推察するに(決して悪い意味ではない)、真斗から神宮寺さんに自ら話すことは無さそうに思う。きっとまだ神宮寺さんは何も知らないだろう。


「聖川なら別仕事でそこの楽屋に一人だよ。顔見てきたら?」
「うっ…!」


話題が振られるのは何となく分かっていたのに、いざその名前を聞くとぽっと顔が赤くなる。

だって…真斗と会うのは、あの花火大会の日以来…なんだもの。



「その様子だと上手く行ったみたいだね」
「えっと、はい…真斗からは何も?」
「あいつがオレに話すと思う?」
「思わないです」


私と神宮寺さんの会話を横で聞いていた蘭丸が眉間に皺を寄せる。話の内容が気になったようで、私と神宮寺さんの間に入るような仕草を見せた。


「なんだ、七瀬と真斗がどうかしたのか」
「それを聞くのは野暮だよ、ランちゃん」
「はぁ?」
「ちょ、蘭丸!ほんと、何も気にしなくていいからっ」

昔から私のことをよく知っている蘭丸に聞かれるのは気恥ずかしさがあった。いずれは知ることだろうし、知られても問題はないのかもしれないけど、けど!


咄嗟に両手で蘭丸の洋服の袖を掴んで強く引っ張った。まずい、まだ顔赤いかも…。

蘭丸はじっと私を見下ろして、その視線が私を突き刺す。何か察したように表情が変わった蘭丸と目を合わせるのが恥ずかしく、咄嗟に俯いた。



「…付き合ってんのか」
「…うん」
「いつから」
「一週間前…から、ですね」

袖を掴んでいた手をそっと離して、ゆっくり蘭丸の表情を上目で確認するけど、その意外な顔に今度は私が驚く。さっき以上に眉間に皺が寄っていて、一層不機嫌そうだ。いつも愛想が良い方ではないけど、ここまであからさまに嫌そうな顔を見せるのも珍しい。


「お前、彼氏要らないって言ってたじゃねぇか」
「あの時は、仕事も忙しかったし好きな人もいなかったから…って、なんでそんなに怒るの?」
「…なんでもねぇよ。じゃあな」

突然会話を一方的に終わらせた蘭丸が、早い足取りで私から離れた。靴を鳴らして遠ざかる後ろ姿を見つめながら複雑な気持ちになった。


別に祝福をして欲しかった訳じゃない。いつもは何でも話す間柄の蘭丸に、真斗とのことを相談しなかったのもちょっとだけ悪かったかもしれない。だけど…何もそこまで怒らなくても…。


「もう、蘭丸たら感じ悪い」
「…嫌なことに気付いちゃったな」
「神宮寺さん?」
「ごめんね、なんでもないよ。聖川の所まで一緒に行こうか」


蘭丸の真意が知りたくて、「あの…!」と何かに気付いた様子の神宮寺さんを引き止めるけど、神宮寺さんは振り向いて小さく笑うだけだった。


「七瀬ちゃんは知らない方がいいよ、きっとね。ほら、ここが聖川の楽屋」
「ありがとうございます。…中、入らなくて良いんですか?」
「さすがに付き合いたての二人の邪魔はしたくないよ。じゃあね」


去っていく神宮寺さんにもう一度頭を下げてから、私はドアをノックしようと片手を上げて、迷って一度下げた。
だって仕事でもないのにいきなり楽屋まで来るなんて…私、すごく図々しくない!?


け、けどせっかく神宮寺さんが連れて来てくれたし…真斗にも、やっぱり会いたい。緊張しながらも二回ドアをノックすると、中から「はい」という声が聞こえドキッと胸が鳴った。本当に入って良いものか一人悶々としていると、不思議に思ったのかそのドアは中からゆっくりと開かれた。


「…七瀬」
「あ、あの…ごめんね突然。仕事でたまたま来てて、それで…」
「入ると良い」



初め驚いた様子の真斗だったけど、すぐに微笑んで部屋の中に通してくれた。パタンと真斗がドアを閉めれば、私と真斗二人だけの空間になった。


「座ると良い、茶でも淹れよう」
「だ、大丈夫!少し、顔を見たかっただけだから」
「そうか?」
「うん」


すると真斗はもう一度ドアを小さく開けて、きょろきょろと周りを確認する。そしてもう一度閉めてから私の方に向き直った。


「七瀬」
「?」
「…ん」


真斗は優しく笑って、両腕を広げた。その行動が愛しくてちょっと可愛くって、きゅんっとしてたまらなくなる。

トトト、と真斗に駆け寄ってその胸に身体を預ける。するとぎゅって抱き締めてくれる真斗の腕。「少しだけな」と耳元で聞こえて、声に出さず首だけ縦に振った。


ほんの数秒だけですぐに離れていく身体。いつ誰が来るか分からない状況だから仕方ない。時間はほんの少しだけだったけど、それだけでこんなにも満たされる。



「そうだ、七瀬。急で申し訳ないが明日、少し時間が取れそうなんだ」
「えっ?」
「良かったら、どこか行こうか」

恋人になってから初めてのデートだと、真斗が言葉を添えた。真斗の前ならにやにやする顔を抑える必要もない。私も満面の笑顔を浮かべて「うん」と答えた。


「場所は考えておく、また連絡しよう」
「うん、ありがとう」
「またな」



楽屋のドアを閉めて、スキップしてしまいそうな足を何とか抑えて、いつも通りに歩き出す。

私、浮かれてる?うん、認めます、すっごく浮かれてる。だって嬉しい…また、明日も会える。


「(私も仕事がんばろーっ)」


何を着て行こうかなとか、ネイルサロン予約取れるかなとか、お風呂上がりにパックしなくちゃ…とか。考えるのは明日の事ばかり。

真斗のくれたパワーの偉大さを実感しながら、周りに不審に思われない程度に、身体を伸ばした。




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