【幼なじみ?】


深呼吸をしてから目の前のドアをノックした。もうすっかり慣れたシャイニング事務所だけど、初めての方との打ち合わせは今でも緊張する。ドアの向こうから「どうぞ」という声が聞こえたのを確認してから、そのドアを開けた。


今日は商品広告の打ち合わせ、同僚の代理でやって来た。
担当者がどうしても都合がつかなかったところ、「シャイニング事務所担当でしょ?」と言わんばかりの周りの圧力で、私が急遽駆り出された訳だ。たまたま持つ案件がシャイニング事務所絡みのものが多いだけで、別に担当している訳じゃないのに…。



「失礼します」

代理でも仕事は仕事、しっかりやらなくちゃ。部屋の中に入ると出迎えてくれたのはテレビでもよく見る顔。そしてその格好良さとスタイルの良さに圧倒される。初めて真斗と会った時も思ったけど、芸能人って本当にオーラがあってすごい…。


「はじめまして。ST社の櫻井七瀬と申します」
「神宮寺レンです。こんにちは」

にこ、と美しく微笑む神宮寺さんに緊張しながらも、ご挨拶をして名刺を一枚差し出した。私から受け取った名刺を見た神宮寺さんの顔が一瞬、本当に一瞬だけ固まった。だけどそれに違和感を抱く隙もなく、元の表情に戻って、名刺と私の顔を見比べている。


「へぇ、君が」
「あの…何かございますか?」
「何でもないよ。今日はよろしくね、七瀬ちゃん」
「な、七瀬ちゃん?」
「レディは下の名前で呼ぶのが、オレのポリシーなんだ。どうぞ、座って」
「そ、そうですか」

大人っぽくて落ち着いていて、優しそうな人。それが会う前の神宮寺さんのイメージだった。実際に会ってみてその印象は変わらないけれど、ちょっぴり不思議な人、と感じた。


打ち合わせ中──と言っても今日は初回だから商品説明がメインで、ほぼ一方的に私が話し続けていた。その間、神宮寺さんは特に口を挟むことなく静かに聞いてくれていたのだけど…度々じっと視線を感じて、いつも以上に緊張してしまって。な、なんだかすごく見られている気がしたから。



「では私からの説明は以上です。神宮寺さんからご質問はございますか?」
「うん、じゃあ一つだけ」
「はい!何でもどうぞ!」
「七瀬ちゃん、彼氏はいるの?」


せっかく背筋を伸ばして何でも答えてみせようと気合いを入れたのに、神宮寺さんの質問は予想とは真逆のものだった。ぽかんと口を開けている私を、神宮寺さんは頬杖を着いてニコニコしながら見ている。


「そ…それはかなり個人的な質問では…」
「何でもどうぞって言ってくれたじゃない。あれ?答えてくれないの?」
「む……」

仕事中にプライベートの話をするのははばかれる。それに神宮寺さんとは今日会ったばかりで…何故私にそんな事を聞くのか、その意図が読み取れない。けれど今後仕事でお世話になる身、断るのも悪いし良い人そうではあるし…。目の前の資料を片付けて一呼吸置いてから、私は口を開いた。


「お付き合いしている方は特にいません」
「それじゃあ好きな男は?」

ま、まだ聞いてくるの!?
目の前で興味津々と言わんばかりに私をじっと見つめる神宮寺さん。一瞬言おうかどうか迷ったけどその真っ直ぐな視線に耐えられず、観念して小さく言葉を続けた。



「……います」


神宮寺さんの目を見るのが照れ臭くて、私は目を伏せた。頭に思い浮かべるのは、たった一人の、あの人。


「すごく優しくて、格好よくていつも素敵で」


顔を思い出すだけで、優しくて温かな気持ちになって自然と口角が上がる。早く会いたいなって…気持ちになる。想いを伝えて恋人になりたいと願うけれど、だけどその気持ちは私と彼の立場を考えると贅沢過ぎる願いで。


「私には…ちょっと遠くて」


恋って不思議だ。好きっていう気持ちひとつでこんなにも幸せで、こんなにも切なくなる。


「ただの、私の片想いです」


何も反応がない神宮寺さんにハッとして、喋りすぎてしまった事を反省した。すみません、と謝り顔を上げると、神宮寺は私を見守るように優しく、優しく微笑んでいた。
会ったばかりの神宮寺さんに、私は何故こんなことまで…彼の持つ、不思議な雰囲気がそうさせたのだろうか。


「あ…あの」
「話してくれてありがとう」
「い、いえ。申し訳ありません、個人的なことをペラペラと…」
「オレが聞いたから良いの。七瀬ちゃんは可愛いし、素直で良い子だね」
「はぁ…」
「あいつには、ちょっと勿体ないかな」

あいつ?神宮寺さんが誰かを思い浮かべて放ったその一言が気になった。だけど神宮寺さんはそれ以上は話すことなく、「そろそろ行こうか」と席を立つ。私もそれに続いて、鞄を肩にかけて立ち上がった。



部屋を出て廊下を渡り、エレベーターの下りボタンを押す。エレベーターが来るのを待っている間、壁に貼られている一枚のポスターが目に入った。


「早乙女花火大会…?」
「あぁ、それ。ウチの事務所が協賛してるんだ。毎年結構人気でね」
「へぇ、知らなかったです」
「8月…その日なら夕方まで仕事だけど、夜なら空いていたはずだよ」
「そうなんですね!それなら神宮寺さんも花火見れますね」
「うん、オレの話じゃないんだけど」

微笑む神宮寺さんと、頭にクエスチョンマークを浮かべる私。すぐにポンと音が鳴ってエレベーターのドアが開く。ボタンを押して神宮寺さんが先に乗り込むのを待ってから、私も後に続いた。


「聖川」
「えっ?」
「メンバーでもあるけど、幼馴染なんだよねオレ。小さい頃からよく知ってる」

エレベーターで二人きりになった途端、突然真斗の名前が出た事に驚く。特に意味もなく、世間話のつもりなのかな…うん、きっとそう。だけど二人が幼馴染だというのは初耳だ。真斗があまり神宮寺さんの話をしたがらないせいかな。


「小さな頃の聖川さんて、どんな感じだったんですか?」
「それはそれは素直で可愛かったよ。オレのことお兄ちゃんって呼びながら後ろをひょこひょこ」
「ふふっ…可愛い」
「早乙女学園で再会した時は無愛想で冷たいお坊ちゃまに成り下がっててね…あの頃は喧嘩ばかりしてた。今でこそ、それなりに仲良くなったけどね」


神宮寺さんをお兄ちゃんと呼ぶ真斗も、無愛想な真斗も今の姿からはあまり想像がつかない。そっか、神宮寺さんは昔からずっと一緒にいて、真斗の色々な顔を知っているんだな。

ちょっとだけ、羨ましい。


エレベーターの数字が1階を表示して目の前のドアが開く。神宮寺さんに促され先に降りてしまった私を、更に神宮寺さんは出口まで見送ってくれた。聞いていた通りの紳士っぷりだ、これはファンの女の子がメロメロになるのも分かる。


「本日はどうもありがとうございました」
「こちらこそ。…七瀬ちゃん」
「はい」
「花火大会、誘ったら喜ぶと思うよ。聖川」
「は…い?」
「じゃあまたね」


出口の自動ドアが閉まって、神宮寺は片手を振りながら颯爽と去っていった。

私はというと、口をぽかんと開けて立ち尽くしたまま。肩からずるりと鞄の紐がずり落ちる。


神宮寺さんの言う「あいつ」が誰なのか、何故真斗の話題を振ったのか…その理由がようやく分かって、急激に体温が上昇した。


「ど、どうして知ってるの…!?」

当然私の声が神宮寺さんに届くことはなく、私は一人取り残され何とも言えない恥ずかしさでいっぱいになった。全部全部、神宮寺さんは知っていたんだ。知っていて、あんなこと聞いたんだ。ちょっと意地悪すぎないかな!?


頬に両手を当ててふぅ、と息を整える。そして思い出すのは神宮寺さんの提案。それを連絡しようかしまいか…悩みながら、しばらくはずっとスマホをつけたり消したり。


「次会った時に、誘ってみようかな…」


誘うならメッセージを送るより直接の方が良いよね、うん…そうしよう。そう決めた私はスマホを鞄に入れ、会社に戻るべく姿勢を正して歩き出した。





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