【昔のはなし】


──あれは俺が5歳の頃だった。

普通の子供のように外で遊ぶ事は許されなかった。一日のほとんどを家の中で過ごす。だからと言って息を吐く時間がある訳ではなく、習い事と勉強、作法のレッスン。たまに外出したと思えば窮屈な社交会に駆り出される。日々、それを繰り返すだけだった。

何もなく、ただ過ぎる毎日。幼いながらも自分の立場をそれなりに理解していた俺は文句を言わず耐えていたが、ある時プツンと糸が切れたように自分の退屈な毎日に嫌気が差した。


ある日…じいが目を離した隙を見計らって、たった一度だけ家を飛び出した事があった。

そしてその日──








────


「どうしよう…」

行くあてもないのに、家からとび出してしまった。これからどうすればいいのか、どこへ行けばいいのかわからずぼくは、ただ道をまっすぐに歩いていた。


「じい…」

じい、きっと心配してるだろうな。めいわく、かけちゃった。父上にもきっとおこられる。わかってる、戻らなくちゃと。だけど家にかえりたくない。

これからどうしようと、とぼとぼ歩いていると…




「ふっうぇ、…おかあ、さ」

どこからともなく、声が聞こえた。



「(だれ…?)」

足がしぜんに先へ進む。声が聞こえる方へ歩いていると、たてものの間にほそい道があった。こわくて少しまようけど、行かなくちゃいけない気がして、さらに奥へと進んでみる。すると、そこにすわりこんでいたのは、



「ひっく、ふぇ、おとうさん……」


ひとりの、女の子だったんだ。



ぼくに気がついた女の子が、はっとしてぼくをじっと見つめた。ぼくよりも少し大きいその女の子は、たくさんたくさん泣いていた。


「どうしたの?ないてるの?」


おそるおそる、ぼくはその女の子に近づき、しゃがんで目線を合わせた。おびえたその子は、少し後ずさりをする。


「ぼく、だれ…?」
「あ、えっと…このちかくに住んでるんだ。きみは、どうしたの?」
「おとうさんと、おかあさん、と…はぐれちゃったの…」
「そっか。おうち、どこかわかる…?」


その子は首を横にふった。

話を聞くと、おうちはかなり遠いところにあるみたい。ずっと泣きつづけるその子に、ぼくはそっと手をさしだした。女の子はまだおびえているのか、それを見て大きく肩がふるえた。


「いっしょに、さがそう…?」
「でも、どこにいるかわかんない…」
「この辺りのことは、ちょっとだけわかるんだ。だいじょうぶ、ぼくがいっしょにいてあげる」
「ほんとう…?」
「うん、だから泣かないで?」

ゆっくりと女の子がぼくの手をにぎる。立ちあがった女の子とならぶと、やっぱりぼくの方が小さくて…この子がいくつかわからないけど、きっとぼくよりお姉さんだとおもった。


手をつないで二人で京都の町を歩く。
ところどころ、見おぼえがあるか聞いてみるけど、女の子は首を横にふるだけだった。



「どうしよう…このまま帰れないのかなぁ…」


不安そうにぼくの手をにぎりしめる女の子に、

「だいじょうぶ!」

ぼくはどうしても元気を出してほしくて、
笑ってほしくて。


「少しいっしょに遊ぼう!」
「え、でも…」
「きゅうけいしよう!だいじょうぶだから!すてきな遊び場があるんだ!」


一度だけじいに連れてきてもらったことのある、思い出の場所。女の子の手を引いてやってきたのは、たくさんのお花がさくお花畑だ。中は広く公園のようになっていて、ほかの子どもたちもたくさん遊んでいる。


「わぁ…!きれい!」


色とろどりのお花を見て、女の子は目をかがやかせた。それからぼくたちはふたりでお花畑にすわりこんで、夢中になって遊んだ。

ぼくが見よう見まねで白いお花で花かんむりを作ったら、キラキラした目で見て「すごいね!」と言ってくれた。それを頭にのせてあげると、「えへへ、にあう?」とはずかしそうに笑ってくれた。


「あ…」
「どうしたの?」
「見て、すごくきれい」

白い花がいっぱい咲く中、一輪だけ咲く青い花を見つけた。そのお花をそっと摘んで、二人でのぞきこむ。


「なんてお花かな?あんまり見たことない…」
「わかんない…でもすごくきれいだね!」

お花を見て、女の子はにっこりと笑ってくれた。ずっと泣いていたのに、その子はいつのまにか元気に笑ってくれていて、それがすごく、嬉しかったんだ。


「これ、あげる」
「えっ!いいよ!だいじょうぶだよ」
「きみにあげたいんだ、今日の思い出に」

小さな小さな、青い花。それを受けとったその子は、今日いちばんの笑顔を見せてくれた。


「……ありがとう!!」

畑に咲く花より、まぶしい女の子の笑顔。
ほっぺを赤くして笑うその笑顔に、ぼくも幸せな気持ちになったんだ。



「七瀬ー!」
「おかあさん!」
「…七瀬?七瀬!もう、どこに行ってたの!」

女の子にぎゅっと抱きついたのは、女の子のお母さんみたい。よかった、見つけてくれたんだね。


「もう!心配したんだからね!大丈夫だった?」
「だいじょうぶ!この男の子が一緒に遊んでくれたの!」
「そうなの…ボク、ありがとうね」


そう笑った女の人は、とてもキレイな人だった。この女の子もいつか、こんなふうになるのかな。……だけど、きっともう、会うことはないんだろう。


すこしだけ、さみしかった。
今日会ったばかりなのに。

女の子も同じことを思ったのか、悲しそうな顔をしていて。


「ごめんね、わたし行かなくちゃ」
「ううん、遊んでくれてありがとう」
「せっかく、お友だちになれたのに」
「だいじょうぶだよ!元気でね」


さみしそうに笑った女の子は、青い花をぎゅっと握りしめた。


「これ、大切にするね」
「うん」
「ねぇ、またいつか──」





「『 会えるといいね』」
「ん?真斗、何か言った?」
「いや、何でもない」

胸の奥に仕舞い込んでいた、小さな頃の大切な思い出。今俺の目の前には、あの頃と比べすっかり大人の女性になった七瀬が微笑んでいる。

そうか、あれは…あの少女は、七瀬だったのか。


「あれからお母さんに調べてもらったの。ブルースターっていうお花なんだって」
「…そうか」
「珍しいお花だよね。でもすごく綺麗で枯らせたくなくて、お母さんに我儘を言って押し花にしてもらったんだ」


目の前で楽しそうに思い出話をする七瀬は、どうやらこの事実には気が付いていないようで。


「(ようやく、会えたな)」


少しだけ、自分だけの秘密にしておこう。
そう思いながらその愛しい横顔を見つめていた。





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