【記憶の片隅】
七瀬のことを好きだと自覚したは良いが、それをどう伝えるか、そもそも伝えるべきなのか…また新たな悩みの種が出来てしまった。
自分のアイドルという職業、そして聖川家の跡継ぎという立場。様々な懸念が頭の中を駆け巡っている。考え出したら切りがなかった。
その一方で理屈や事情はさて置いて、ただ想いを真っ直ぐに伝えたいという欲もあった。
七瀬は…七瀬はもしも俺の気持ちを知ったらどのような反応をするのだろうか。
──
「(彼女は…と)」
仕事終わり、七瀬と待ち合わせをしたカフェのカウンターでドリンクを注文し、マグカップを受け取った。それを持ったまま店内を見渡す。
すると人目につきづらい端のカウンター席に、一人椅子に座る後ろ姿が見えた。少し近付くとそれがやはり彼女であることが確認出来る。文庫本を開いて読み耽っているようだ。
ふとあの日…CM撮影の終わりだったか。初めて七瀬と待ち合わせした時の事を思い出した。確かその時もこうして七瀬は本を読んでいて、その横顔に目が離せなくなった。
「(思えば、あの時から…既に惹かれていたのかもしれないな)」
気を取り直し七瀬、と呼ぼうとしたがそれが妙に気恥ずかしく、咄嗟に言葉を飲み込む。「お待たせ」と小さく声を掛ければ、七瀬はこちらを振り向いて、ふわりと柔らかく笑った。
いつも待ち合わせの場所はなるべく人混みを避けるようにしている。その中でも更に目立たない場所を自然と選んでいるのは、彼女なりの気遣いなのだろう。「お疲れ様」と労ってくれる七瀬の横の椅子を引いて、俺が座ったと同時に七瀬は読んでいた本をパタリと閉じた。
「すまない、読書の邪魔をしてしまったな」
「ううん、ちょうど読み終えたところなの」
七瀬は普段から読書を嗜んでいるようで、お勧めをよく教えてくれる。テーブルに置かれた小説は見覚えのあるタイトルの物だった。
「それは…」
「うん。主人公が初恋の幼馴染の男の子に再会するお話なんだけど… 今度実写化されるって聞いて読んでみたの。確かST☆RISHの…」
「一十木が主演の映画だな。来月公開だと聞いたが」
「すごく面白かったの!公開されたら観に行きたいな。その…真斗、と…」
不意打ちに名を呼ばれ、グッと心臓が掴まれる感覚がした。七瀬も照れたように「ま、まだ慣れないね」と小さく笑った。…可笑しいな、俺も。たったそれだけでこんなにも、嬉しくなるなど。
「あぁ…必ず行こう。約束だ、七瀬」
「七瀬…」
「どうした?」
「な、なんか…くすぐったい」
「すぐに慣れるだろう」
「か、かな?」
お互いに名前で呼び合おうと決めてから、会うのは今日が初めてだ。つまり、俺が七瀬を好きだと自覚してから初めて顔を合わせた事になる。
ちゃんと目を見て話せているだろうか、違和感はないだろうかと…変に落ち着かない俺に対して七瀬は至っていつも通りだ。それがありがたい、そして七瀬の笑顔を見ると、
やはり好きなのだと、実感せずにはいられなくなる。
「(どうかしてるな、俺も)」
自然と零れた笑いを隠すように口元にマグカップを運んだ。七瀬も同じ動作をし、コトと音を立ててカップをテーブルに置く。七瀬のマグカップの横に置かれている文庫本。少し手を伸ばせば届く位置にある、その本に挟まれている栞がふと目に入った。
以前も目にした事がある。確か小さな青い花が押し花にされた、紙製の栞だ。
恐らく手作りだと思われるそれは、美しいが少し年季が入っているように見えた。
「…大切な物なのか?」
「え?」
「本の栞、いつも同じ物を使っているようだが」
「あ、これ?…うん、宝物。というか、今となってはお守りみたいな物かな」
そう言って七瀬が1ページ目に挟まれた栞を手に取った。懐かしむように親指で花をなぞるその仕草と表情は、ひどく優しいものだった。
「昔ね、家族旅行で京都へ行った事があったの。9歳とかそれくらいだったかな…私ってば、慣れない土地なのに一人で歩き回っちゃって」
「京都…」
「うん。そしたら案の定迷子になって。どうしたらいいか分からなくて泣いてたんだ」
『どうしたの?泣いてるの?』
「本当に怖かった。お父さんとお母さんの所に戻れないんじゃないかって…けどね、小さな男の子が助けてくれたんだ」
『おうち、どこかわかる…?』
「その子ってば、泣き止まなかった私を一生懸命励ましてくれて、それで一緒に遊んでくれたの。……綺麗な、お花畑だった」
栞を慈しむように見つめる七瀬の横顔。
だが、その表情に見惚れるどころではなかった。
「その男の子と一緒に、公園でお花を摘んで」
ドクンと心臓の音が鳴る。
鼓動が速くなっていくのと一緒に、
少しずつ蘇る記憶。
「その子が見つけてくれた、青い花がすごく綺麗でね…嬉しかったなぁ」
分かる、何故なら覚えている。
「今思えば、あれが私の初恋だったのかもしれないね」
俺は昔、七瀬に会ったことがある。