【想い溢れる】
「それでね、その時に職場の先輩が…」
「………」
「ひ、聖川くん?」
「…あぁ、すまない。どうした?」
「ううん、ごめんね。この話つまらなかったかな」
困ったように笑う櫻井さんに罪悪感が芽生え、話をちゃんと聞いていなかったことを詫びた。どうやらまた、考え事をしてしまっていたようだ。いけないな、せっかくの二人の時間だと言うのに。
当然ながら、互いに仕事をしていると時間が中々合わない。俺が長期の撮影に入ることもあれば、櫻井さんの仕事が立て込むこともある。だからこそ、この貴重な時間を大切に過ごしたいと、そう思ったばかりだったのだが。
「あ!そうそう。この間、本屋さんでファッション雑誌の表紙にST☆RISHが載っているの見つけちゃって、つい買っちゃった」
「あぁ、確かに撮影したな。女性誌だからとインタビューの質問が女性向けのものばかりでよく覚えている」
「うん、面白かったよ。メンバーの恋愛観とか、好きなタイプとか。皆見事にバラバラでちょっと笑っちゃった」
恋愛観…たかがそのワードにやけに喉が乾き、誤魔化すようにアイスコーヒーを飲む。何もかも神宮寺のせいだ。あいつが変な話をするから。
「聖川くんは優しい女の子って書いてあった」
「何がだ?」
「インタビュー。好きな女の子のタイプのところの回答」
「よ、よく覚えているな…」
「…や、やっぱりよく覚えてない、かも」
「ん?」
少し焦ったようにアイスティーを飲んで、櫻井さんはメニュー表に手を伸ばした。少し悩んだ顔をしてすぐさま「ケーキ追加して良いかな…」と、また可愛い事を言うから自然と笑ってしまった。以前から薄々感じてはいたが、どうやら彼女には甘い物が欠かせないらしい。
「少し疲れてる?」
「ん?」
「なんだか、そんな気がして。最近忙しそうだもんね」
それなのに誘ってごめんね、と櫻井さんに意味もなく謝らせてしまった。彼女は全く悪くないと言うのに、健気に俺を気遣う櫻井さんに申し訳ない気持ちになる。このような醜態、神宮寺に見られたら恐らく笑われることだろう。
「いや、違うんだ。不快にさせてしまったな、申し訳ない」
「ち、違う違う!ただ心配だっただけだよ、体調とか」
「それは大丈夫だ。ありがとう」
「けど今日は早めに帰ろうか。聖川くんは明日もお仕事でしょう」
店を出るといつの間にか夕方になり空の色が変わり始めていた。昼間の最も暑い時間帯は過ぎたとはいえ、夏のこの時期は夜でも十分に暑い。
「この時間でもまだ暑いね」
同じことを思ったのか、櫻井さんは手で顔を仰ぎながら小さく笑った。だが足は自然と駅の方角へと向かい始めている。
この時間が終わるのが惜しい。…何度会っても、何時間と話しても、いつもそう思ってしまう。
「…海に」
「え?」
「海に、行かないか」
────
──
「綺麗だねー!海!」
急に誘ってしまったにもかかわらず、櫻井さんは軽い足取りで砂浜を楽しそうに踏みしめた。その半歩後ろを、俺はゆっくりと噛み締めるように歩いていく。
「聖川くんはよく来るの?」
「あぁ…考え事をしたい時にふと立ち寄ることがな」
「そっか。私、海って久しぶりに来たかも。上京してから中々機会がなくって」
「そうなのか?」
「うん。…あ、でも地元は海が近くだったから昔はよく行ってたよ。学校の遠足で潮干狩りしたり」
「黒崎さんと同じ、宮城と言ってたな」
「うん。そう言えば遠足の時、蘭丸がすごい量のアサリ取ってた気がする」
「はは、想像出来る」
『蘭丸』
『七瀬』
黒崎さんとの思い出話をする櫻井さんを見て、ふと下の名前を呼び合う二人の姿が浮かんだ。俺が立ち止まると、それに気が付いた櫻井さんも同じように立ち止まり、俺の方を振り返る。
「…聖川くん?どうしたの?」
手を伸ばして櫻井さんの手にそっと触れた。その手を握ったまま半歩進めば、自然と距離が近くなる。きょとんとした顔をする櫻井さんの髪を、海風が吹いて小さく揺らす。
「…七瀬」
「えっ」
「これからは…そう、呼びたい」
本当は黒崎さんを羨ましく思っていた。名前を呼び合うだけで距離が近く、信頼し合っているように見えて。実際、俺も何度も名を呼ぼうとした。呼びたいと思って…中々切り出せなかった。
「構わない、だろうか」
少しだけ驚いた顔をした彼女に、さすがに年下に呼び捨てにされるのは気持ちが良いものではないのだろう、やはり撤回しようかと思った。が、
「…う、うん」
彼女は髪を手で抑えて、照れたように目線を逸らした。その表情は、嫌がっているようには見えない。自惚れかもしれないが、そう思った。
「七瀬」
「はい」
「七瀬」
「ちょ、恥ずかしい!そんな何回も呼ばないでっ」
名を呼んだ七瀬の反応が可愛くて、繋いでいた手を引いて、自分の身体に引き寄せた。頭を抱えるようにして優しく抱き締めると、自然と心臓の鼓動が速くなるのが分かった。
「七瀬」
「な、なに?」
「出来ることならば、七瀬も俺を名前で呼んで欲しいのだが」
「…うん」
「え…」
やや強引な俺の願いは恥ずかしいからと拒否されると予想していたが、七瀬から返ってきたのは意外な答えだった。
「ま、さと…」
そして聞こえないくらいの小さな声で、七瀬が俺の名を呼ぶ。
「真斗」
赤くなった自分の顔を隠すように、俺は七瀬の頭に顔を押し付けた。薫るシャンプーの匂い、指を通せばさらりと髪が流れた。
『それは恋だよ』
ずっと心に引っかかっていた神宮寺の言葉が、頭の中を過ぎった。
今まで曖昧だった、いや…どこか自分で押さえ込んで堰き止めていた気持ちが、溢れてくる。
これが、恋かと。
もういい加減に認めよう、
これは、確かに恋だ。
俺は七瀬が好きだ。
いつの間にか、好きになってしまったんだ。