【二人の夜に】


「どうぞ」
「お、お邪魔致します」


一旦躊躇するが、ドアを開けてくれた櫻井さんがやはり心配で、部屋に足を踏み入れた。一人暮らしをしていると話していた櫻井さんだが、その部屋は綺麗に整頓されている。

いや、あまりジロジロ見るのも失礼だ。…参ったな、女性の部屋になど入ったことが無いからどう振る舞えば良いものか。

…大丈夫だ、何も間違いは犯さない。看病するだけ、それだけだ…うむ。


「温かいお茶で良いかな」
「いえ!お構いなく」
「けど…」
「とにかく休みましょう。…ベッドは、どちらですか?」
「あ…うん、こっち」

そんな風に悩む俺を余所に、すぐにキッチンに向かい茶を淹れようとする櫻井さんの手を止め、横になるよう促した。重い足取りの身体を支えて、白いシーツが敷かれたベッドの上にそっと横たえる。


ひとまず氷水で冷やしたタオルを準備し、櫻井さんの前髪を掻き分けて、額にそっと乗せた。

「聖川くん…なんか、慣れてるね」
「年の離れた妹がいるからかもしれません。…小さな頃はよく、熱を出していたものですから」
「そうなんだ。…ごめんね、迷惑かけて」
「気になさらないで下さい」

「適当に座って」と言う櫻井さんの言葉に甘え、近くの椅子をベッドサイドに移動させそこに腰掛けた。

櫻井さんは少しだけ落ち着いたのか、呼吸が安定してきた。しかし顔はまだ赤く、熱が下がるまではまだ時間がかかるだろう。
苦しそうな表情を見ていると、いたたまれなくなってくる。



「…具合が優れないのなら、教えて下されば」

ポツリと零れた言葉に、しまったと思った。責めるような、言い方になってしまったかもしれない。


「違います、そういうつもりでは…」と訂正しようとする前に、櫻井さんが先に口を開いた。



「だって…その、」
「…?」
「今日、すごく楽しみにしてたから…」


俺をじっと見つめてそう言った櫻井さんの言葉に、目を見開く。櫻井さんは自分で言って恥ずかしくなったのか掛布団を勢い良く頭まで被った。熱が篭もりますよ、とその布団をそっと剥がすと、潤んだ瞳と目が合う。


「あのね聖川くん…」
「どうしました?」
「えっと、敬語…」
「敬語?」
「使わなくて良いのになって、いつも思ってて…」
「ですが…」
「距離、感じちゃう」

掠れた声でそう話す櫻井さんにどう返そうか、一瞬悩んだ。

距離、か。俺はさほど気にしていなかったが櫻井さんからすれば違和感があったのかもしれないな。出会ったばかりの頃も「敬語を使わなくて良い」 と言われていたくらいだ。

もしそれで櫻井さんの不安が消え、また距離が縮まるのならばと俺は小さく頷いた。


「それは……そうですね、ではそろそろ」
「ふふ、ありがと」

掛布団で口元を隠しながら、櫻井さんは嬉しそうに笑った。その表情に、俺の方も自然と笑みが零れた。


「少し眠ると良い。身体が楽になる」
「あ、ごめん…もう帰って良いよ?鍵オートロックだから…」
「大丈夫だ。眠るまではここにいる」
「ふふ、本当にお兄ちゃんみたい。私の方が年上なのに」


それから櫻井さんは小さな声でもう一度「ありがとう」と呟いて、そっと目を瞑った。しばらくしてから寝息が聞こえてくる。疲れも溜まっていたのだろう、寝付くのは随分早かったようだ。



彼女が眠ったのを確認してから、赤くなった顔を隠すように手の平で口元を抑えた。


『今日、すごく楽しみにしてたから…』
「(…可愛すぎるの、だが)」

心臓に、悪い。
赤くなった顔であんな事を言われるとは、予想外だった。


今日の事を楽しみにしていたのは自分も同じだ。
だがこのような事態になったからと言って、迷惑だとは少しも思わなかった。


櫻井さんは、無理をしてでも俺に会いたいと願ってくれたのだろうか。もし逆の立場になったとしても、俺は彼女に会いに行きたいと…そう思い同じ行動をしていただろう。

何故会えると嬉しいのか、こうも会いたくなるのか。櫻井さんと居ると、自分が今までの自分とは違うことを思い知らされる。

すやすやと眠る櫻井さんは安心しきった表情をしている。警戒心がまるでないと言わんばかりに。


「おやすみ」


本人にはきっと聞こえていないだろうその声は、静かな部屋の中へ消えていく。

明日熱が下がれば良いのだが…そう願いながら赤く染まる頬にかかった髪の毛を、そっと払った。




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