【逢瀬を重ね】
「櫻井さん今日いつもと雰囲気違くない?」
「えっ」
「なになにー?もしかして、彼氏とデート?」
終業後の女子トイレでばったり会った先輩にニヤつかれる。【彼氏】というワードについ思い浮かべてしまう、聖川くんの顔。私は動揺しながら化粧ポーチからファンデーションを取り出した。…うん、仕事終わりだけど思ったよりは崩れていない。
「ち、違います!」
「そうなの?だって最近合コン誘っても来てくれないしー」
「【合コン】って予め教えてくれてたことないじゃないですか…!」
そう。女子会、だとか同業者の交流会、だと言われ誘われて、男の人がいなかった試しがない。そう反論すると先輩は大して反省もしてくれず、「良かった、彼氏出来たんだー」なんてからかってくる。ち、違うのに…。
聖川くんは、彼氏ではない。確かに、二人で会ったりご飯を食べに行ったりはしている、けど…。
世間一般的には、デートというものに括られるのかな。そうなんだろうな。そうなると、先輩の言葉も否定出来なくなる。でも、やっぱり照れくさい。うぅ、これじゃまるで私が聖川くんのことをすごく意識しているみたい。ううん、意識していない訳では決してないのだけれど。
「ほら、最近忙しかったじゃない?櫻井さんが残業しないで定時で帰るのも珍しいと思って」
「そ、それは…まぁ今日は約束があって」
「ほら!やっぱり彼氏!」
「だから違いますってばー!」
否定しても納得してもらえないまま、「デート楽しんで〜!」なんて言って、先にトイレを出ていく先輩。腕時計を見て待ち合わせの時間が近づいていることに気が付き、私も慌てて会社を出た。
「(彼氏、かぁ…)」
今まで恋愛をして来なかった訳ではない。最近は確かにご無沙汰だったけれど。
彼氏、なんて言葉が擽ったい。聖川くんと一緒に居ると、楽しくて温かい気持ちになるのは間違いないんだけど…これが恋なのかと聞かれたらそれはまだよく分からない気がした。
それに…現役の国民的アイドルの彼を、本気で好きになってはいけないと、どこかで自制してしまっている気もする。
「(難しいこと考えないで、今日はとにかく楽しもう)」
何と言っても、会うのが久しぶりなのだ。
だからいつになく気分も高揚してしまっている。浮かれている?うん、きっとそうだ。
「早く行かなきゃ…っと、」
歩みを早めようとしたところで、急な頭痛と目眩に襲われた。一度立ち止まって頭を抑える。ここ最近激務であまり眠れていなかったせいかな。
目を瞑ってしばらく深呼吸をすると、痛みも引いてきた。きっと疲れが溜まっているだけだ、うん。幸い明日は会社は休みだし、明日ゆっくり休むことにしよう。
立ち止まってしまったせいで、待ち合わせ時間を少しだけ過ぎてしまった。人混みから外れた小さな公園…待ち合わせ場所まで駆け足で向かうと、すでに聖川くんが待っていた。
「ごめん!お待たせました」
「いえ、俺も今来たところです」
よほど仕事が押して…とかの事情がない限り、聖川くんが時間に遅れることは滅多にない。きっと早めに着いていただろうに、気を遣ってそんな風に言ってくれたのだと思った。
「櫻井さん…今日髪型が少し違いますね」
「え?」
「お似合いですよ」
照れもせず、聖川くんはさらりと言った。その発言と優しい笑顔に、私の方はというと…
「あ、ありがとう…」
口をもごもごさせて、そう返事をするのがやっとだ。
毛先を少し巻いてみただけなのに、そんな小さな変化も見落とさないなんて…うぅ。
最近ひとつ気が付いたことがある。
聖川くんは時々今みたいに、ごく自然に照れくさいセリフを言う。ふと我に返って、顔を赤くして慌てふためく時もあるけれど…かと思えば今日みたいに平然としていることもあって。
「(…きゅん)」
なんというか…天然タラシ?っていうのかな。天性のアイドル性がもたらしているのか、はたまた芸能の仕事をして身に付いたものなのか…いちいちきゅん、としてしまう私の身にもなって欲しい。
その度に、こんなに嬉しくなる私も大概だけれど。
「今日ですが、和食の店で良いでしょうか?」
「うん。今日は聖川くんが選んでくれる番だよね」
「はい。日本酒と天ぷらが有名な様です」
「やった!天ぷら大好き」
そう言うと聖川くんは少しだけ驚いた顔をして私を見た。えっ…私、何かおかしなことを言ったかな。…く、食い意地が張ってると思われたのだろうか。
「なんか、ごめんなさい」
「何故謝るのです?」
「変なこと、言ったかなって」
「いえ、その…」
聖川くんは少し目を逸らして、小さめの声で言葉を続けた。
「あまりに無邪気に、大好きと言われたものですから」
「……」
「こちらこそ、すみません」
暗がりの中で、ほんのり聖川くんの顔が赤くなっていることに気付いてしまう。さっきはあんなに平然としてたくせに、急に照れたりするんだから、本当に…ずるい、と思う。
「失礼致しました。そろそろ行きましょう」
「う、うん…」
「店、少し遠いのですが…タクシー呼びましょうか?」
「歩きで良いよ、のんびり行こ」
ゆっくりと、二人の時間を過ごしたい。もちろんその言葉は胸にしまって、私と聖川くんは夜の街を歩き出した。
「…っ、こほっ…」
「大丈夫ですか?」
「ご、ごめん!大丈夫だよ」
「空気が乾燥していますから…のど飴を持っていますのでどうぞ」
聖川くんに個包装されたのど飴を渡されて、ありがたく頂戴する。口に含むと、だいぶ楽になった。気を遣わせて申し訳ないと思いつつ、聖川くんの優しさがすっごく嬉しかった。久々の時間に私はすっかり浮かれてしまっていて、自分の身体の異変に、この時すぐに気が付けなかった。