【吸血鬼と夜】


『俺は、お前を親友だと思ってるんだ』
「(懐かしいな)」


目の前スクリーンで繰り広げられるストーリーに思いを馳せる。ひとつひとつのシーンの撮影の様子は、今でも鮮明に全て思い出せた。森の中の撮影では苦手な虫と格闘したな…それもまた、良き思い出だ。

そういえば、客席でこうしてこの映画を観るのは初めての経験だ。ファンや観客の目線からはこう見えているのかと勉強になる。


ふと、隣に座る櫻井さんの様子が気になった。
ちらりと見てみると、真剣な表情でまっすぐにスクリーンを見つめる顔が確認出来た。しばらくしても俺の視線に気付く気配はない、相当見入っているのだろうか。

この映画を撮影していた頃は出会いもしていなかった櫻井さん。彼女と二人で、自分が出演している映画を見ているのは、何だか不思議に感じた。



物語は進みあっという間に結末を迎え、スクリーンにはエンドロールが流れる。

自分で言うのも可笑しいが、深みのある良い話だ。ハッピーエンドかと問われれば少し違うかもしれない、だがそんな終わり方も個人的には気に入っていた。


上映が終わり、劇場内の灯りが点く。
パラパラと劇場を後にする観客がいる中で、俺達はしばらくそのまま着席していた。



「じ、自分の作品を観るのは少々照れ臭いものがありますね」

話しかけても反応がなく、立ち上がる様子もない。具合でも悪いのだろうか、そう思い櫻井さんの顔を覗き込んでみる。


「櫻井さ──」




それは予想だにしない表情だった。
櫻井さんの身体は固まったまま動かない。


そして瞳から流れているのは、大粒の涙。




「あの、櫻井さん…?」
「………」

まさかの反応に、俺の方が慌てふためく。声をかけても櫻井さんは何も言わず泣いているまま。


劇場を出ようとする二人組の客がこちらを見てヒソヒソと耳打ちをしているのが見えた。傍から見たら俺が泣かせているように見えるのだろうか。
いや、そう言うことは今は考えるんじゃない。
とにかく目の前の櫻井さんを何とかしなければ。肝心な時に気の利いた言葉ひとつかけられない自分が情けない。


「だって…っ」
「……」
「切ないよ、こんなの…!」

その言葉が映画の内容を指していると、すぐに分かった。
櫻井さんの涙は止まる気配がない。泣いた顔を俺に見られぬよう、下を向く姿がいじらしい。


俯く櫻井さんに、慌てて自分のハンカチを差し出した。少し遠慮がちにそれを受け取った櫻井さんは、目頭に当てて深呼吸をする。周りを見渡すと、劇場内に残っているのはどうやら俺達だけのようだ。


「ひとまずここを出ましょう。…立てますか?」

伸ばした俺の手を見て、櫻井さんがちらりと俺を見上げた。少し戸惑いながら俺の手を取ったその手を握り、身体を支えながら立ち上がった。


自分よりも一回り小さな手。触れた手から温もりが伝わる。泣いた反動か、その手は少しだけ震えている。安心するように、と握った手に小さく力を込めると櫻井さんはもっと小さな力できゅっと握り返した。










───


「少し落ち着きましたか?」


劇場を出てロビーのソファに腰かけた櫻井さんに、缶のホットココアを渡した。まもなく閉館の時間が近づいている事もあり、中に人はほとんど残っていない。「ありがとう」と小さな声で呟いた櫻井さんの隣に自分も腰かけて、缶コーヒーを開けた。



「見苦しいところをお見せして、ごめんなさい」


少しの沈黙の後、先に言葉を発したのは櫻井さんだった。目は赤くなっているが涙は止まっていることに、ひとまず安堵する。


「いえ…そこまで感情移入して下さるのは、役者冥利に尽きます」
「うん…」
「ですがもし、内容がお気に召さなかったのならば、申し訳がないと──」
「違うの!」

食い気味に櫻井さんが言葉を遮った。
その勢いに少々驚くが、ココアの缶を握り懸命な表情を浮かべ、櫻井さんは言葉を続ける。


「本当に、すごく良かった。切なくて苦しいけど、ちゃんとそこには愛があって…」
「……」
「それに、聖川くんの演技にすっごく引き込まれたの。だから余計、こう…気持ちが入っちゃったというか」
「櫻井さん…」
「…って、語彙力無さすぎだね」

ごめんね、と謝る言葉など気にならないくらい嬉しく思った。ファンやら関係者やら、多くの人々に既に感想はもらっているはずなのに、


「ありがとう、ございます」

櫻井さんの感想は、まっすぐ俺に突き刺さった。



「こちらこそありがとう。聖川くんは優しいね」

そう言って、櫻井さんはようやく笑顔を見せてくれた。


「そんな事ありません。櫻井さんの方がずっと優しい」
「え、私?」
「CM撮影の時…「もう選んだ」と周りに言っておきながら差し入れを一番最後に選んでいたり、機材を片付けるのをこっそり手伝っていたり。あと撮影スタッフを全員覚えて、一人一人名前で呼んでいたのも見ました」
「それは、ただ…皆さんに気持ちよくお仕事して欲しいって思っただけで、大したことじゃ…」
「そう思っていても行動に移せる人は中々いません」


出会ってそう間もないが、櫻井さんの人となりが分かってきた。よく気が利いて、周りからも信頼される程しっかりとしている。かと思えば笑ったり泣いたり、純粋な一面があって。



「俺は、櫻井さんのそんな所に──」










「……」
「ひ、聖川くん?」
「い、いえ…何でもありません。そろそろ、帰りましょうか」


出そうになった言葉をひっそりと飲み込んで誤魔化した。櫻井さんは大して気に止めず、「うん」と微笑む。



その後、映画館を出て帰路につく間も櫻井さんは事細かに映画の感想を話してくれた。一生懸命に話すその姿が、何とも微笑ましく思った。




先程、言いかけた言葉。


本人には直接言い難く、自分の中に閉まっておくことにした気持ち。


『俺は櫻井さんのそんな所に──』
「(惹かれています、など)」


いつものように駅まで櫻井さんを送り届ける。「またね」と手を振って駅のホームへ向かった後ろ姿を、今日はその姿が見えなくなるまでずっと見つめていた。




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