【おだやかな】
「うーん……」
山から少し移動し、休憩がてら街中のカフェにやって来た。濡れて若干乱れた髪をポニーテールに纏めた櫻井さんは、先程からメニューを開きながら百面相をしている。
「あの、何かありましたか?」
「いや、その…迷ってて」
「はい?」
「季節のフルーツパンケーキか、チョコバナナパンケーキにするか」
真剣な表情で何を言うかと思いきや、随分可愛らしい悩みだったようだ。余程甘い物が好きなのだろう、飲み物のココアにも生クリームをトッピングしていたのには少し驚いた。
「でもちょっと意外。聖川くん、こういうお店来るんだ」
オーダーを済ませ注文の品を待っている間、櫻井さんは興味深そうに店内を見渡す。
「あぁ…友人に教えてもらいました。俺も来るのは初めてです」
「えっ…でも今日は聖川くんのオフの日の過ごし方に付き合うって…」
「俺の予定だけに合わせてもらう訳にはいきません。櫻井さんにも楽しんで頂かなければ」
せっかくの機会ですから、と言葉を添えると櫻井さんはきょとんとした表情で固まった。
「聖川くん…結構照れ臭いこと言う」
「そ、そうでしょうか?」
「けど嬉しい。ありがとう」
櫻井さんが口元をメニュー表で隠しながら照れたように笑った。…反応を見る限り、喜んでもらえたようで安心する。
実はこの店を教えてくれたのは一十木だった。以前ロケで来たことがあるらしい。自分はこういった情報には疎いから、予め教えてもらって良かったと思った。
「お待たせ致しました」
「わぁー!美味しそう…!」
程なくして生クリームとフルーツがたくさん乗ったパンケーキが運ばれてきた。櫻井さんは嬉しそうに「絶対美味しいやつ!」と宣言してからカシャリとスマホで写真を撮っていた。
「んー、美味しい!」
ナイフとフォークで一口サイズに切ったパンケーキを口に運んだ途端、幸せそうな表情を見せる。
「くっ…」
自然と漏れた笑いに、櫻井さんは咀嚼しながら首を傾げる。飲みこんだ後に、口周りのクリームを指で気にする仕草も、また可愛らしかった。
「いや、目をキラキラさせて子供みたいだと思いまして」
率直な感想。
その言葉に櫻井さんは少しムッとしながら、「私の方が聖川くんよりお姉さんだもん」なんて言ってきた。
「あぁそうでしたね。すみません」
「もう!」
本当は怒ってないのに、怒ったような素振りを見せる櫻井さん。それなのにすぐに、今度は俺の注文したパンケーキをじーっと見つめている。彼女が頼んだものより量も少なくトッピングも控えめな物だが、どうやら気になるようだ。
「……」
「少し食べますか?」
「えっ良い…いや!また子供って言われるからやめとく!」
「根に持ってますね」
「聖川くんのせいじゃない」
そう会話しながらパンケーキを切って取り皿に乗せて渡せば、櫻井さんはすぐに手を出して受け取った。
「ふふ…ありがと」
全ての仕草にいちいち反応してしまう。本当に見ていて飽きない人だ。
「ん!抹茶のも美味しい!」
満足そうにフォークを進める櫻井さんを、俺はただ静かに見つめていた。櫻井さんの笑顔を見るだけで、不思議と温かい気持ちになる。
「(まただ、この不思議な感情は)」
櫻井さんにこの感情を抱くのは、何度目だろうか。
そのままじっと櫻井さんの顔を見つめていると、俺の視線に気付いた櫻井さんが「な、なに?」と戸惑った表情を見せた。
「い…いえ、何でも…」
「(口にクリーム付いてたかな…)」
「この後ですが、近くの美術館で気になる展示をやっておりまして、そちらに行こうかと思うのですが」
誤魔化すように視線を逸らしそう話せば、櫻井はまた楽しそうに「うん!」と頷いた。
それからは仕事の事も忘れ、一日櫻井さんと楽しい一時を過ごした。
こんなに穏やかで幸せな時間が存在することを、俺は初めて知った気がした。