【誘い誘われ】


声入れの仕事はNGも無く、ワンテイクで収録しすぐに終わった。駆け足でロビーまで急ぐと、ソファに座る櫻井さんの姿が見える。歩みを進めていくと、近づく櫻井さんの横顔。文庫本を開いて、本を読み耽っている。薄くマスカラが塗られた長い睫毛が伏せられて、姿勢よく本を読んでいる姿に、一瞬声をかけようか迷ってしまった。


「あ!聖川さん」
俺より先に、櫻井さんがこちらに気付いてくれた。パタンと本を閉じて鞄に仕舞う。


「すみません、お待たせしてしまいましたね」
「いえ、全然待ってないですよ」

そう話しながら、櫻井さんがゆっくりと立ち上がった。二人で並んでロビーを抜け、外へ出た頃には辺りはすでに暗くなっていた。穏やかに吹く風が心地よい。


「丁度夕ご飯時ですから、ご飯屋さんが良いかなぁと思うんですけど…お店、私のチョイスでいいですか?」
「はい、もちろんです。ありがとうございます」
「こちらこそです、すみませんお誘いしてしまって」

風に揺れる髪を抑えながら、櫻井さんが微笑む。しばらく歩いた先で、櫻井さんが立ち止まる。ここです、と言って引き戸を開けた店は、自分には馴染みのない看板だった。








───


おしぼりで手を拭きながらキョロキョロと周りを見渡す聖川さんがちょっぴり面白くて、挙動不審ですよと指摘すれば焦ったように私に向き直った。


私の馴染みの、お好み焼き屋さん。アイドルを連れてくるにはやや狭いお店だけど、味は超一級品で私もすっかり気に入っている。隠れ家的なところもあって、お客さんがほとんどいないのも魅力的だ。生憎、高級なお店やオシャレなレストランには縁が遠いから仕方がなかったのだ。だけど前に座る聖川さんが興味津々にメニューを覗き込んでるから、これで良かったかな、なんて思って一人で満足していた。



「もしかして、初めてでした?」

注文を済ませ(ほとんど私が決めてしまったけれど)、料理が来るまでの間何か話題を…と思い、聖川さんにそう尋ねてみた。


「……恥ずかしながら。こういう店には馴染みが無かったもので」
「す、すみません…庶民丸出しで…」
「そんなことありませんよ。新鮮で楽しいです」


私を気遣って、そう言ってくれる聖川さんは優しい。なんかこう、王子様みたい。さすが人気アイドル、とでも言うべきなのかな。それに…前テレビで御曹司とか聞いたような…。



「聖川さんって…」
「はい?」
「もしかして、正真正銘のおぼっちゃま?」
「…その言い方は止めて頂けますか」
「うっ!ご、ごめん!うそ!忘れて!」


ちょっと顔を顰めた聖川さんに、慌てて謝罪する。聖川さんは「冗談です」なんて言ってくれたけど、もしかして触れてほしくない部分だったのだろうか…うぅ。せっかく仲良くなりかけたと思ってたのに…。

肩を落としてしゅんとしてると、聖川さんがちょっと焦ったように、俯いた私の顔を覗き込もうとする。


「あの…櫻井さん」
「……」
「本当に、怒ってないので。あまりお気になさらずに…」
「ごめんなさい…。しかも今、タメ口になってましたよね?育ちの悪さが出ちゃったかなって…」

そう言うと、聖川さんは少し驚いた顔をした後に、「そんな事ですか」とまた笑ってくれる。



「俺の方が年下なのですし、構いませんよ」
「い、いえ!そんなの悪いです」


慌てて言葉遣いを訂正する。それは…確かに、もっと仲良くなれたらとは思ってけど、さすがに失礼だ。そう思ったのに彼の方も意外に中々折れてくれなかった。


「出来れば遠慮をしないで欲しいです。それに…今は仕事外のプライベートですし、むしろ敬語を使われると距離を感じてしまいますから」


距離…確かに、こうしてプライベートの時間なのに他人行儀過ぎるのもおかしいのかな。


それに、やっぱり素直に仲良くなりたいって、思う。
調子に乗ってる自覚はあるけど、ここはお言葉に甘えたいなんて思ってしまった。



「……本当にいいの?」
「はい」
「えっと、じゃあ普通に話しますね」
「敬語抜けてませんよ」
「う…ごめんね。聖川さんも敬語ナシで良いから!」
「それは、さすがに申し訳ないです」
「むー…さっきの言葉、そのまま返すよ?」
「では…そのうちに」
「ふふ。ね、聖川さん」
「さん付けも要らないです」
「じゃあ…聖川くん?」
「はい、なんでしょうか」
「はーい!七瀬ちゃんお待たせ!」
「わっ」

またこうしてご飯でも──なんて言おうとした最中、いつもの元気な店員さんが料理を運んできてくれて、会話が途切れてしまう。聖川くんは、目の前でお好み焼きの具が混ぜられていく様子を、また興味津々に見つめていて。


「(ま、いっか)」

つかの間の食事の時間を楽しもう!そう思って私も、テーブルに置かれていたフライを手に取った。












「う…!この後どうすれば!」
「大丈夫!そのままフライを返して…」
「ど、どどどどっち方向にですか…!」
「手前の方がやりやすいよ!落ち着いて…そう、」

そんな中、今は聖川くんが両手でお好み焼きをひっくり返そうとしている真っ最中。どぎまぎしているのが面白くて、笑いながらその勇姿を見つめている。本人はいたって真剣だから、余計に楽しい。


聖川くんの手によって綺麗にひっくり返ったお好み焼きが、鉄板の上でジュージューと音を立てる。


「わーすごい!上手上手!」
「あ、りがとうございます…緊張しました」
「ふふ、じゃあ4つに切っちゃうね」


切り分けたお好み焼きが聖川くんの口に運ばれる。その姿を私はニコニコしながらずっと見つめていた。

「う、美味い!」
「でしょ!ここの絶品なんだー」


そう話しながら自分も切ったお好み焼きを口に入れる。ふわりと香るソースとふわふわの生地の食感がたまらない。うん!やっぱり美味しい!自然と口角が上がってしまう。
そしたら同じように、美味しそうに頬張っている聖川くんと目が合って、お互いに笑い合った。



「こんな楽しい食事の時間を過ごしたのは久しぶりです」

ウーロン茶のグラスを持ちながら彼がそう微笑んだ。そう言ってもらえると私も嬉しい。
そんなの、私だって同じだ。


「お仕事忙しそうだもんね」
「そうですね…最近スケジュールが詰まっていたもので」
「わ…そんな時にCMなんてお願いしちゃってごめんなさい」
「そんな!良いんです、こうして櫻井さんと出会えたのですから」


そう言って、私に穏やかに笑いかけてくる聖川くん。そんな、優しい顔で…


「(そんなこと言うの、ずるいよ)」


胸がきゅんとしてしまう。どうしよう…さっきまであまり意識しないようにしてたのに。
目の前の格好良い彼にこんなに見つめられていて、緊張しない方がおかしい。


どきどきと胸が鳴りやまない。誤魔化すようにお好み焼きを口に含んで、もぐもぐと口を動かした。正直、味なんてよく分からなかったけれど。




楽しいと時間というものは、あっという間に過ぎてしまうもので。お店を出ると外はすっかり暗くなっていた。




「駅まで送ります」
「そんな…悪いから大丈夫だよ!」
「俺がそうしたいのです。ほら、行きましょう」


そのまま一人で帰ると言っても引いてくれない聖川くんの言葉に甘えて、駅までの夜道を二人で歩く。もう人は全然歩いていなくて、有名人の彼が見つかることがない状況に少し安心した。それと同時に二人きりの空間であることにも気付いて。緊張しながら歩みを進めていると、聖川くんが空を見上げた。

今日の夜空は、すごく綺麗だ。まるで、打ち上げの日に見たあの日の空みたい。


「あのような店に行くのも新鮮でした…また是非行きたいですね」


夜空を見上げながらそう言ってくれる彼を見て、嬉しくなって。なんだか今日という日が終わって欲しくなくて。


「…行こ?」
「え?」
「お仕事に疲れたら、たまにはゆっくりご飯食べようよ。私、またお店紹介するから」
「櫻井さん…」
「あ!も…もちろん、聖川くんが迷惑じゃ、なければだけど…」


自然に出た言葉に動揺して、自分の顔の前で両手を振った。
聖川くんは少しだけ驚いた顔をしたけど、すぐに笑って、
「嬉しいです」と言ってくれた。
テレビでも見たことのないような、子どものような笑顔。
それが月夜に照らされて、本当に綺麗で。


「今度は俺から誘わせてください。スケジュールが分かったら連絡します」
「…うん!」


胸のドキドキは駅に着いてからも、家に着いてからも鳴り止むことはなかった。





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