▼ 逃げ惑う
『ごめんなさい!5分遅れます(>_<)』
「遅刻するとは良い度胸ですね」
『了解しました』と返事をしてからスマホの画面を閉じ、腕を組んだ。
夏祭りに出掛けるのなんて、何年ぶりだろう。世間的にも有名な川沿いでの夏祭りに紗矢を誘ったら目を輝かせ「行く行く!」と子供のようにはしゃいだ。
明るくて、いつも笑っている紗矢。一緒に居て楽しい女性…この間のインタビューで聞かれた【好きなタイプ】は、彼女の事を指していたのは言うまでもない。当の本人は記事を読んでも全く気が付かなかったようでしたが。まぁ、そんな所も彼女らしい。
変装のためにかけた黒縁の大きめの眼鏡を中指で上げたと同時に、視界に浴衣姿の可憐な女性が目に入った。キョロキョロと辺りを見渡した彼女と目が合う。紗矢だ。
ぱぁっと笑った紗矢は、下駄を鳴らしながら足早にで私の元へと駆け寄ってきた。…あぁ、そんなに慌てると転びますよ。
「トキヤ!遅くなってごめんね」
「…いえ、私も今来た所ですから」
そんな分かりやすい嘘を吐いてしまったのも、目の前の紗矢があまりに可愛らしかったからだ。
紺色の生地に大柄の花柄があしらわれた浴衣。下ろしている事が多い髪は下の方で緩く纏められ、サイドには編み込みまでされている。相当時間をかけて粧し込んで来た事が分かる。
「準備に手間取っちゃって…ねぇ、どうどう?」
「はいはい、お似合いですよ」
「て、てきとう!」
可愛くて仕方なくてたまらないと、本心を伝えるのが気恥ずかしく適当に誤魔化して紗矢の手を握った。「トキヤも浴衣似合うね」など言われ、「当然です」と平然を装うのは自分なりの強がりだった。
「私、金魚すくいやりたい!すみません、二人分お願いします」
「好きな金魚、取って差し上げますよ。どれが良いですか?」
「んーとね、そこにいる黒くてヒレが長い子が良い」
「赤じゃなくて、黒ですか?」
「ちょっとトキヤっぽいから」
わ、私っぽいとは…一体…。その真意が分からず固まる私を余所に、紗矢はポイを持って「よし!」と腕を捲った。
浴衣の袖から露出した、白くて細い両腕。いつも見ているはずなのに、妙にその肌に釘付けになってしまった。すぐに下がって腕を隠してしまいそうな浴衣の生地がまた何ともそそられ──
「あ、トキヤ!そっち行ったよ」
「……え?あっ、」
紗矢いわく【私っぽい】黒い金魚が目の前を通り過ぎる。慌てて掬おうとポイを潜らせた瞬間、切ない水音と破れた紙。
「………」
「ふふっ」
「笑わないで下さい」
「ごめんね、なんか珍しくって。あ、こっち来た!えいっ」
掛け声と同時に軽やかに動いた紗矢のポイは、いとも簡単に黒い金魚を捕らえた。「やったぁ」と喜ぶ彼女を見て、複雑な気分になる。この私が、紗矢に悔しさを覚えるだなんて…。
「射的をしましょう」
「え?もう金魚は良いの?」
「良いんです」
「へへっ…トキヤ本当は悔しいんでしょ」
「黙って。ほら…欲しいものを言いなさい」
何とか射的でリベンジを果たし、内心ほっとする。満足そうにペンギンのぬいぐるみを片腕に抱えた紗矢は、楽しそうに夏祭りの歌を口ずさみ出した。
「全く本当に…子供みたいですね」
「トキヤはすぐそうやって私を子供扱いする。私だってねぇー」
「褒めてるんですよ。…ほら、花火が始まりますよ」
「あー…うん」
煮え切らない返事をした紗矢の様子が少し気になり視線を移したが、目が合った彼女はいつものようにぱっと笑って「行こうか」と私の手を引いた。
花火が始まる時間帯のせいか、一番良く見えるエリアは人でごった返している。どうしても紗矢に一番良い場所で花火を楽しんで欲しいと思い、来たは良いが…
「(バレないように、気を付けなければ)」
「トキヤ」
左手で眼鏡の縁を上げたと同時に、紗矢の手が私の右手に触れた。手を繋ぐのはいつも私からで、紗矢から触れてくれる事は珍しく。
「今日誘ってくれてありがとう。すごく楽しかった」
「紗矢…」
「いつも素直言えなくてごめんね。トキヤのこと、本当に大好き」
ペンギンちゃんもそう言ってる!なんて、ぬいぐるみを振りながら笑う紗矢が心の底から愛おしくなった。
暗闇の中、音が鳴って花火が夜空に咲く。
紗矢の視線が空に奪われるのが悔しかった私は、触れられた手を力強く引き、その唇を塞いだ。驚いた紗矢が身じろぐが止めることはなく、もう一度強引に唇を押し付けた。
「んっ…、トキヤ」
「……」
「ダメだよ、周りに気付かれちゃう」
「誰も見ていませんよ。花火に夢中ですから」
小声で私を制止しようとする紗矢を無視し、腰に腕を回してしっかりと拘束する。万が一見られたとしても、花火を見ながら身体を寄せ合う恋人同士など珍しくないはず。そう言い訳をして、何度も何度も口付けを繰り返した。
私が止める気が無いと悟った紗矢は、抵抗するのを諦めて私を受け入れた。花火の明かりでほんのり見えた紗矢の頬が嬉しそうに緩んでいるのが見えて、私はこの上なく満足するのだった。
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