もっと好きになる前に
「それでは僭越ながら私が乾杯の音頭を…」
ざわざわとする2番個室。
今日はライブの打ち上げでST☆RISHのメンバーがうちのお店に勢揃いしていた。
音にいと会うのは…あの日以来。
ちょっぴり気まずくなっちゃうかなと思ったけど、音にいはいつも通りにこんばんはー!と元気に挨拶してくれた。
「えー、ST☆RISHとしては今年夏、初めてロックフェスに参加した訳ですが…」
「トキヤー、ごたごた言わないで早く乾杯しよーぜー!」
「はーい!かんぱーい!」
「ちょっと…あなた達!私の話を聞きなさい!」
ふふ、皆さん楽しそう。
音にいも笑っている…良かった、安心した。
食事のオーダーを聞いて、部屋を出てキッチンへ向かう。いつもの光景、いつもの行動。
けれど、私の気持ちはずっとモヤモヤしたままだった。
あの日…春歌さんと話して以来ずっと。
春歌さんが私に会いに来たことを、音にいには話していない。それを私が音にいに言うのは、なんだかずるい気がして。きっと春歌さんも何も話してないと、思う。
「俺ちょっとトイレ!」
そんな事を考えながらキッチンへ向かおうとすると、行ってらっしゃいというメンバーの声と一緒に、音にいが突然部屋から出てきた。
「音にい…」
「涼花!ちょっとだけ久しぶりだね」
「う、うん…」
「ここ最近フェスとか色々出てて、ちょっと忙しかったんだ」
「そうなんだ。大変だったね」
「(私も大変だったんだよ)」
本当は笑ってそんな話をしたかったけど、笑いながら出来る話でもないし、音にいには心配もかけたくない。その言葉はそっと自分の胸にしまった。
「ね、また連絡するからさ。どこか出掛けようよ」
そう言って音にいは楽しそうに笑った。
私がこの前の帰り際に話した、小さな頃の約束の話題には一切触れてこない。
やっぱり…覚えてないよね。
自分の中でもそう言い聞かせたばかりじゃない、私の馬鹿。
…多分今までの私だったら、そうだねと笑って次の約束をしていたと思う。
けれど、
「ね、音にい。その話なんだけど」
「え?」
「もう、外で会ったりするのは辞めよう…?」
そう。これは次会う時に絶対言わなくちゃと。
私の中で決めていた事だった。
「な、んで…」
動揺して、瞳を揺らす音にい。優しい音にいに、そんな顔…本当はさせたくない。
でもね、やっぱり言わなきゃダメなんだよ。
「ほら…音にいはアイドルなんだしさ!やっぱり外で二人で会うのはまずいよ」
「そんな…!涼花、なんで急に…」
「急じゃないよ。ずっと思ってた。それに…」
部屋から聞こえる賑やかな声。しんと静まる廊下。私と音にいの声だけが響いている。
「やっぱり…春歌さんを不安にさせちゃダメだよ」
「春歌…?もしかして、何か言われたの…?」
「違うよ。これは私の問題」
「違くないでしょ!ちゃんと話そう!」
泣きそうになって俯いた私の肩を、両手で掴む音にい。私はトレーを両腕でぎゅっと握った。
「ごめんね、音にい。お店にはいつでも来ていいし、待ってるから…」
これ以上はもう辛いんだ。
これ以上距離を縮めたら、
「私、仕事あるから戻るね」
あなたのこと、もっと好きになってしまう。
「待ってよ涼花!意味分かんないよ!」
「ごめんね…ごめん」
「涼花…」
「ほら、皆待ってるよ。早く部屋、戻らなきゃ」
顔を上げて音にいを見て、精一杯笑った。
大丈夫、多分ちゃんと笑えてる。
「…分かった」
私の肩を掴む力が、どんどん弱くなっていく。
音にいの手を優しく振りほどいて、私は背を向けて歩き出した。
「音也ー!トイレ長いぞー!」
「…音也、どうしたのですか?」
「トキヤ、」
「泣きそうな顔…してますよ」
いいの。
良かった。
これで、良かったんだ。
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