ル イ ラ ン ノ キ


 16…「選択肢はひとつ」



「飛び降りたら死んじゃうじゃない!」
 思わず叫んだけれど、咄嗟に言い直した。
「飛び降りたら……普通の人間なら死んじゃうかもしれないし、大怪我しちゃうよ」

なるべくお狐さまを刺激してはいけない。
それでも無茶を言うお狐さまに、私は面食らうしかなかった。

「できないのか? りん、飛び降りないのか?」

お狐さまの『はい』か『いいえ』で答えなければならない質問に、私は息を飲んだ。選択肢は『いいえ』しかない。『はい』を選べばリセットされてしまう。
でもじゃあ死を覚悟で飛び降りろというの?

「りん、10数えるまでに決めるんだ。ひとーつ、ふたーつ、みーっつ……」

どうしよう。リセットされてもまだ次がある。次のときに言われる要求はもっと楽なものかもしれない。その逆もあるかもしれない。

「よーっつ、いつーつ……」

でも、死ぬかもしれない要求をなぜするのだろう。もし死んでしまったら次の要求は聞けなくなるのに。死なせることが目的なのだろうか。

「むーっつ、ななーつ……」
「ね、ねぇ、もし死んたらどうするの? 死ななくても大怪我しちゃったら、一緒に遊べなくなっちゃうんだよ?」
「やーっつ、ここのーつ……」
「待って……」
「とう。」
「飛び降りるから!」
 ほぼ同時にそう叫んだ。

お狐さまは、薄ら笑いを浮かべ、私と視線を合わせたまま、暫く無言だった。間に合わなかったのかと、私は肩を落とし、リセットされることを覚悟した。

「じゃ、飛び降りて」
 と、お狐さまは言った。
「え……」
「チャンスは一回。枝をつたって降りるんじゃない。その縄も使わない。落ちるんだ。 飛び落ちる んだよ」

それは言い方が違うだけで“飛び降りて死ね”と言っているようなものだ。
私は過って落ちないようにと握っていた縄跳びを手放し、眼下を見遣った。下は真っ黒で、底無しに見える。ここから落ちることを想像しただけで私の顔は青ざめていく。

──ほんとに、飛び降りる気?
自分に問い掛ける。これじゃあ自殺と同じだ。ここから飛び降りた私はどうなるのだろう。死んだら、どうなるのだろう。リセットされるのなら死んだことにはならない? もしリセットされなかったら? 大怪我で済んだとしても、大怪我をしたらもう遊べないじゃない。遊べなくなったら結局、要求に応えられずに終わってしまう。

「りーん」
 と、お狐さまが呼ぶ。「まだぁ?」
「…………」

飛び降りる気なんか全く起きないくせに、何度も足の下を眺めては体勢を立て直した。
時間を稼ぎながら、お狐さまの気が変わることを願っていた。

「今……飛び降りるから……」

リセットは嫌。飛び降りるのも嫌。普通はそうでしょ。飛び降りなきゃリセットされるから、じゃあ飛び降ります、はいジャンプ! なんてスムーズに行くわけがない。

「──もういい」

お狐さまが痺れを切らし、低い声でそう言った。
私は縋る思いで顔を上げてお狐さまを見遣ると、お狐さまは太い枝の上で仁王立ちしていた。

「りん、おもしろくない」
「待って! 今っ……飛び降りる!」
「やり直しだ、りん」
「やめて! 戻さないでッ…?!」

お狐さまになんとか考え直して貰おうと必死になるばかりに身を乗り出した瞬間、足を枝から踏み外し、バランスを崩した。

「きゃあっ?!」

バキバキと枝が折れる音がして、私は頭から落ちてゆく──。隣の樹に登って仁王立ちをしていたお狐さまの姿が遠ざかっていった。

死ぬッ!! 咄嗟に枝に掴まろうと腕を伸ばすけれど、枝は鞭のように私の腕に当たって通り過ぎるばかり。

もうだめだ……そう思った瞬間、ふわりと身体が浮いた。

「りん、愉しいな」

木の上にいたはずのお狐さまが、お姫様抱っこをして私を受け止めていた。受け止められた感覚はなかった。無抵抗に落ちていく身体が一瞬にして軽くなったようにふわりと浮いて、お狐さまの腕の中にいたのだ。
お狐さまはゆっくりと私を地面に下ろし、私の髪に触れた。

「りん、髪ボサボサだな。葉っぱがいっぱいだ」

助かった……。バクバクと心臓が落ち着かない。
これでひとつわかった。お狐さまに私を殺す気はない。度胸試しでもされたのだと。

「……次は何して遊ぶ?」

動悸で息苦しさを感じながら、私からそう訊いた。私が落ちてきた木から葉っぱがパラパラと後から降ってくる。全身に痛みを感じた。

「りん、怒ってる?」
「え……?」

痛む腕をさすりながら背の高いお狐さまを見上げると、心なしか悲しそうな顔をしているように見えた。お狐さまがなにを考えているのかよくわからない。この表情も、素なのか、作っているのかわからない。

「怒ってないよ。遊ぼう!」

にこりと微笑んでそう言った。お狐さまのご機嫌をとる笑顔だ。

「じゃありん、食べ物、買ってきて」
「え?」
「むこうから」
 と、お狐さまが指を差したのは本殿だった。
「出店で何か買ってこいってこと?」
 それが要求だろうか。「お腹すいたの?」
「りんがその場で食べてくるんだ。そして叫ぶんだよ」

いやーな予感がする。私はげんなりした表情で尋ねた。

「……なにを叫べって?」
「まずぅーい!! って」

バカか! 子供か! 営業妨害か!
そう叫んでやりたいけれど、引き攣った笑顔を見せることしかできない。お狐さまのご機嫌とりも大変だ。

「りん、出来ないのか?」
「くっ……」

クソガキみたいな要求してきやがって。地味に嫌だわ。

「出来ない? りん」
「できるわ!」

飛び降りろという要求と比べたらどんなに楽な要求か。いや、精神的にはかなりのダメージだ。
運よく、というか足を踏み外した結果だけど、なんとかひとつめの要求には応えられた。出店でなんか買って食べて「まずい」と叫ぶくらいなんてことない!

「いらっしゃい、いらっしゃーい。焼きたてのイカメシあるよぉーっ!」

汗水流しながらイカメシや焼きそばなどを作っている出店のおじさんたちを前にして、しかもごった返している客たちを前にして、まずいと叫ぶ勇気なんか1ミリも無くなった。
釈然としない面持ちで本殿のほうを見遣ると、本殿の横の木の上にお狐さまが登ってこちらを見ている姿があった。

監視してるとか……イジメじゃん。
今更迷ってるヒマはないし、叫んでそそくさ逃げよう。後のことは後で考えればいいんだ。
そう思ったものの、出店のおじさんに声を掛けようとして愕然とした。

──私、財布持ってないじゃん。

[*prev] [next#]

[しおりを挟む]

[top]
©Kamikawa
Thank you...
- ナノ -