ル イ ラ ン ノ キ


 14…「再び8月10日」



翌日、私は母に起こされる前に8時に起きてやった。
だけど瞼が重く、指で両目の瞼を開いていても白目を向いて寝てしまいそうなほど猛烈な眠気に襲われた。
眠い……夕方まで寝ていたい……。

こういうときに働いてくれるのが私の頭だ。そういえば確か去年買って使わなかったカイロがまだ部屋のどこかにあるはずだ、と思い出す。未開封のカイロは、通学鞄のポケットに長い間眠っていた。まさかこの真夏に活躍するとはカイロも思っていないだろう。

カイロを袋から出し、脇よし少し下に挟んでベッドに横になった。──暑い。
ケータイから1階にいる母にメールを送る。

【なんか頭痛いから寝ときます。食欲はないから朝食はいいです】

もちろん、嘘だ。
朝食を断ったのは、まだお腹が空いていなかったのもあるし、朝食を食べていたらこの眠気が消えてしまいそうな気がして。

メールを送ったあと、左脇に挟んだカイロに右手を添えておく。右手がどんどん熱くなり、その手をおでこにあてて、何度かそれを繰り返した。
そうこうしていると、母が体温計と薬を持って私がいる2階へと上がってきた。母は真っ先に私のおでこに手をあてた。

「……少し熱いわね」

そりゃそうだよ。カイロで温めたのだから。デジタルの体温計を渡され、左脇に挟む。ホッカイロは脇より下にあるため、体温が上がり過ぎることはない。
でもこれは長年の勘が必要だった。私はこのやり方を小4でマスターした。体温計の音がなり、母に見せる前に自然にチェック。
──38.1度。絶妙!!

「お昼になったらおかゆ作ってあげるから、今日は大人しく寝ておきなさい」
 母はそう言って部屋を出て言った。

これでよし。今日は一日中、正々堂々とダラけていられる。

      

私が完全にベッドから起き上がったのは、午後6時だった。お昼に一度起きてお粥を食べ、再び眠った。3度寝だ。

服を着替えようとして、はたと思いとどまる。熱は下がったと言えばいいが、病み上がりなのに神社に行こうとする私を母が許すとは思えない。またこっそり出て行くにしても、もしバレたとき、なんて言い訳しよう。

私はショートパンツではなく、ジャージを履いた。少しでも森の中を走りやすくするためだ。またかけっこしようと要求されるとは限らないけれど。
服を着替えながら、言い訳を考える。友達に呼ばれて……とか。ちょっと外の空気を吸いに……とか。学校に用事が……とか。だめだ。どれも引き止められてしまう。

「呼び止められたら全速力で逃げよう」

いい言い訳が思い付かず、そう決めた。
もしお狐さまの要望の全てに答えることが出来て帰宅できたら、とにかく謝ればいい。どうしてもお祭りに行きたかったとかなんでもいいから理由をつけて、謝ればいい。永遠に許してもらえないわけじゃないし、母の場合はただ“怒られるだけ”で済む。お狐さまのようにリセットされるわけでも、神隠しに合うかもしれないわけでもないのだから。

私はジャージに身を包んだ。長袖のジャージだから、暑くて腕まくりをした。少し気合いが入る。
時刻は7時半を迎え、おもちゃが入ったリュックサックを背負い、昨日使った方位磁石も忘れずにポケットに仕舞った。手の平におさまるほどのコンパクトな懐中電灯とケータイもリュックの横のポケットに忍ばせる。
髪をひとつに束ねなおし、鏡にうつる自分を見ながらパチパチと頬を叩いた。

──大丈夫。大丈夫。きっとお狐さまもそこまで悪い奴じゃないはずだ。全力で遊んでやって、さようならだ。

私は忍び足で階段をおりた。ドアが開いたままのリビングの前を息を殺して通りすぎる。
ソファに横になってバラエティ番組を観ている母の笑い声にどきりとしながら、スニーカーを履いて玄関を出た。

「よし」

あとは自転車を飛ばしてなつこに会わないようにしながら神社の裏へ行くだけだ。
私は自転車を漕ぎながら、また財布を忘れたことに気づいた。まぁおさい銭を入れて願掛けしたところでお狐さまから逃れられるとは思えないからもういい。

芒之神社が近づくにつれて、お祭の騒がしさが聞こえてくる。浴衣を着て神社のお祭りへ徒歩で向かう人達の中に、2回目のときにも見掛けた人がいる。みんな、私が3回目のお祭りに来ているなんてこと知りもしないで楽しそうに笑っている。自転車置場には見慣れたヤンキーたち。私が彼等を見るのが3度目だと彼等は知らずにタバコをふかしている。

自転車をそそくさと置き、神社の石段を見遣った。──いるいる。なつこだ。彼氏さんとのツーショットももう見慣れた。早くあっち行けと思いながら、私はタイミングを見計らって本殿の裏まで回った。

これじゃあまるでなつこを嫌って避けているかのようにも見えるけれど、ちょっとでも面倒なことを繰り返したくないだけだ。でもなんかちょっとなつこに申し訳ない気がしてしまう──ごめんねなつこ。

誰もいない本殿の裏で、風に靡く木々の音を聞いた。3度目の正直という言葉を思い出す。でも直ぐに「二度あることは三度ある」という諺が被さってきた。

「だ、大丈夫。大丈夫」

慌てて自分にそう言い聞かせる。
もうすぐ8時10分。ザザッ……と強めの風が吹き、自転車を漕いでほてっていた頬を少しだけ冷やした。

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©Kamikawa
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