ル イ ラ ン ノ キ


 10…「2度目の8月10日」



私が目を覚ましたのは朝7時頃だった。
出来ることなら夜まですっ飛ばすくらいの勢いで寝ていたかったけれど、母親がわざわざ起こしにきたのでその選択肢は抹消された。

「夏休みだからってダラダラしないの!」

夏休みだからこそダラダラさせてよ! と、言い返せばまたなにを言われるかわからない。短く返事をした。

「はい……」

朝食を食べていると今度は宿題をしなさいと言われる。言われるだけならよかったが、あとでチェックするとまで言われてしまった。
勉強机に向かって英語の教科書とプリントを広げるが、全くやる気がおきなかった。私は追い詰められないとやらないタイプだ。例えば夏休みが終わるまであと三日になるとさすがにやる。母親にチェックすると言われたくらいじゃ、まだ追い詰められた内には入らない。

一番上の引き出しから、授業で使ったプリントを取り出した。もちろん授業中に使ったプリントだから、答えを書く欄は埋めてある。母は課題の内容までは知らない。チェックされるときはこのプリントを見せよう。悪知恵だけは働いてくれる私の頭。

母のガミガミ対策も済ませ、パソコンからみなみのブログをチェックした。相変わらずコメントはゼロ。時々コメントをしている常連さんがいるようだけど、さすがに今回のみなみの妄想にはコメントしづらかったのかもしれない。このブログのチェックも、今日ヘマをしたらまたリセットだ。

冷房をつけているのにじめじめとした暑さを感じた。私はエアコンの温度を下げ、お狐さまの顔を思い出していた。
あの時は動揺していたからお狐さまの顔をまじまじと冷静に観察することはできなかったけれど、脳裏に焼き付いたお狐さまはちょっと意地悪で無邪気な笑顔だった。もし同じクラスメイトにいたら女子にちょっかいを出してそうな、若干チャラさのある顔。よく言えば人懐っこそうな……。
そんなことを思っていると、お婆ちゃんが言っていた言葉が警告するようにフラッシュバックした。

 姿に惑わされてはいけないよ

──そうだった。危ない危ない。
でも同じクラスの男子と比べたら、比べものにならないくらい綺麗な顔立ちだった。狐が化けた姿とはいえ、少しくらいときめいても罰は当たらない……かな。

      

時刻は夜の7時を迎えた。
母に例のプリントを見せ、事なきを得る。出掛ける準備として、またメイクをしようと思ったけれど、二度目となるとやる気が起きず、着替えるだけにした。

リュックサックを背負ってみると、ずっしりと重い。確か7時ちょっと過ぎくらいに行ってなつこと会ったのは7時半だった。部屋の時計を見遣り、7時半に出て、神社に着いたらなるべく顔を伏せて本殿の裏に回ればなつこに見つからずに済むだろう。
また母に「あんたお祭りにでも行くの? 誰と行くの?」なんて言われたら面倒だから台所には下りなかった。

7時半になり、静かに階段を下りた。リビングのドアが開いていて、廊下に光が洩れている。
母がソファに座ってテレビを観ている姿を確認しながら、物音を立てないように息まで殺して玄関へ向かった。ヒールサンダルを履こうかと思ったけれど、コツコツと音が鳴ってしまうため、仕方なくスニーカーを履いて、そっと玄関から出た。

自転車に跨がり、芒之神社へ向かう。急いでも約束の時間は変わらないのに、気持ちが先走るあまり、自転車を漕ぐスピードが上がっていった。
そのせいか、家を出た時間をずらしたはずなのにあの自転車置場にいた金髪のヤンキーたちとまた会ってしまった。そそくさと自転車を止め、顔を伏せる。

少し離れた場所から神社の石段を見遣ると、案の定、浴衣姿のなつこを発見した。彼氏さんと一緒だ。結局自転車を飛ばしすぎて到着時間は対して変わらなかった。今回は空いている駐輪スペースも直ぐに見つけることが出来たし。

なつこが人混みに紛れて行ったのを確認してから、階段を上がった。石畳を見つめ、先を急ぐ。
本殿の前まで来て、財布を忘れたことに気づいた。お狐さまとのことを神頼みするのも妙な話だけれど。
周囲を見回して、誰にも見られていないことを確かめてから素早く本殿の裏へと回った。誰かに見られて引き止められると面倒だ。

相変わらず本殿の裏は静かだった。あれだけ煩かった蝉もこの時間になると大人しい。
本殿を隔てた向こう側からはお祭りの騒がしい声と音楽が流れてきて、本殿の裏にいる私のところまで届いているのに、何故か裏と表では別世界にいるのではないかと思えるほど全く違う空間が広がっているように思えてならなかった。

お狐さまの姿はまだない。また子供の姿で現れるのだろうか。そういえばお狐さまに名前はないのだろうか。
私は重たいリュックサックを足元に下ろし、腕を回した。リュックの中から縄跳びのロープを取り出して、一人でウォーミングアップ。本殿の裏で縄跳びをしている女子高校生なんて、世界中を捜しても私だけかもしれない。

そして漸く迎える8時10分

私は心を落ち着かせるために、目を閉じて、深呼吸をした。
森が風にざわめいている。風が頬に触れて流れていった。

「それ、なに?」

その声は突然目の前から聞こえた。驚いて目を開けると、狐のお面を頭に被せた青年姿のお狐さまが、しげしげと私を見下ろしていた。

「それ、なんだ?」
 お狐さまは私が左手に持っていた縄跳びを指さした。
「あ……えと……縄跳び……」
「なわとび」
 と、お狐さまは繰り返す。
「あ、こ……こうやって遊ぶの!」

私はお狐さまから数歩下がり、縄跳びで遊んでみせた。お狐さまは腕を組み、仁王立ちで私が跳び跳ねてているのを暫く眺めていた。

「りん。今日で三回目」
 と、お狐さまは口を開く。
「……え?」

私は縄跳びをやめ、お狐さまを見遣った。名前を呼ばれたことに少し動揺する。

「一回目、りん逃げた。二回目、来なかった。今日で三回目だ」
「あ……うん」
「なぜ三回目には来たんだ?」
「それは……」

言うべきか、躊躇した。
お狐さまを満足させてあげるまで遊ばないと繰り返されてしまうことを、知っていると話せば不利になるのではないかと思ったからだ。それならばと、要求が厳しくなると困る。
お狐さまは私との距離を詰めるように私の目の前まで歩み寄ってきた。

「なぜ三回目には来たんだ?」
 もう一度改まった声で訊かれ、私は答えた。
「最初はわけがわからずに怖かったけど……逢いたくなって来たの」

その容姿に惑わされたのと言わんばかりにそう言ってやった。するとお狐さまはせせら笑った。

「ならば遊ぼう。なにして遊ぼう」

──きた。お狐さまとのお遊戯の時間だ。

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