voice of mind - by ルイランノキ


 粒々辛苦19…『食事』


──笑う時間が増えたのは、この世界に染まりつつあるからだろうか。
それとも、笑うことに慣れたからだろうか。
 
そんなことを考えていた。
みんなはきっと知らないんだろうなって。
 
カイの子供っぽさを見ていて笑顔になる。
ルイの微笑みにつられて笑顔になる。
シドの不器用な優しさに呆れながらも笑顔になる。
その笑顔でいる中で、時折チクリと胸を刺す痛みを。
血が滲み出る不快感を。
でも私は笑い続けた。
 
痛みに対して知らんぷり。
 
辛いときも笑顔でいれば良いことがあるって、よく聞く言葉。
でも、痛みを我慢して笑っていたら、傷口が悪化していく。
ちゃんと治療しなきゃね。
 
笑う門には福来たる。
あながち間違いではない言葉。
ただ、人や環境によるんだと思う。
笑顔を絶やさずにいたら、福が来て、その福が傷口を塞ぐ絆創膏になる。薬になる。
 
だけど私に効く薬はこの世界にはないから。
 
それでも笑うのは、痛い痛いって言えば 余計に痛む気がするから。
痛みにそっぽ向いて、痛みに耐えられる強さが欲しいから。
 
きちんと痛みに向き合う強さは全く持っていない。
どうすれば手に入れられるんだろう。
そんなことばかり考えていた。

 
━━━━━━━━━━━
 
「やほぉーう!」
 と、カイが叫ぶ。
 
2号の自転車には荷台があるというのに、立ち乗りをしているカイ。
 
「もっとスピード出してぇー!」
 と、催促までする。
「安全運転だよ、兄弟」
「なんだよぉ……ケチ」
 
2人の後ろを、ルイがついていき、シドとアールは一番後ろを走っている。
 
「シド、段差気をつけてね」
 と、アールが言った。
「お前が落ちねぇように気をつけてりゃいいだろ」
「無茶言わないでよ……ガタン! てなったら、ガタン! て足を踏み外しちゃうでしょ」
「だーから落ちねぇように気をつけてりゃいいだろ」
「……もういい」
 
アールは、足を踏み外したらシドの首を絞めてやろうと思った。しかし、段差を前にするとシドは軽くブレーキをかけてスピードを落とした。
──なんだ、一応聞いてくれてるんだ。
 
夜風を感じながら自転車を走らせる。夜空に浮かぶ月が建物の間から見えては隠れ、周りの星達が自分の存在を知らせている。
 
2人乗りをしたのは何年ぶりだろう……と、アールは思った。
高校時代、歩いて登校することが多かったが、遅刻しそうなときは自転車に乗って行くこともあった。また、毎朝一緒に登校する親友の久美の家はアールの家より少し先にあり、彼女がアールの家に寄ってから登校していたのだが、時々久美は「今日はしんどい」と言って自転車で来る日もあった。
アールの自転車は家の裏の倉庫に置いてあり、取り出すのが面倒なときは久美の後ろに乗せてもらっていた。
 
「ねぇシド……」
 と、シドの後ろに立ち乗りをしているアールが、ずっと気になっていたことを訊こうとする。
「あー?」
「なんかシド、いい匂いがする」
「はぁ?!」
「なんだろ……んー、あ、わかった! 肉まんの匂い」
「…………」
「肉まん食べた?」
「食べてねぇーよ……」
「あれ? おかしいな……。もしかしてシドの使ってるシャンプーってさ、」
「もしかしなくても肉まんの匂いじゃねーよ!」
「そうだよね」
 
また段差に差し掛かり、今度はブレーキをかけずに通過したシド。──ガタン!と振動が後ろに伝わる。
 
「わぁ!」
 アールは片足を踏み外し、危うく落ちるところだった。「ちょっと! 段差に気をつけてってば!」
「…………」
 シドは無言で答えた。
 
もしかして肉まんの匂いがすると言ったから怒っているのだろうかと、アールは訊いたことを少し後悔した。
 
「ねぇシド……」
「うるせぇな! 嫌なら下りろ!」
「我慢します」
 
前を走っているルイが2人の様子を気にして声をかけた。
 
「アールさん、大丈夫ですか?」
「うん! 大丈夫、大丈夫!」
「シドさん、安全運転でお願いしますね。アールさんを乗せているのですから」
「うっせぇな。だったらテメェが乗せてやれよ」
「僕は肩を掴まれると……」
「んじゃ、頭掴ませりゃいいだろ」
 と、シドはバカにするように言った。
「あぁ、なるほど。確かに頭なら大丈夫かもしれませんね」
「お前は冗談通じねぇのかよ……」
「シドはくすぐったくない?」
 と、アールは肩をもみながら訊いた。
「いやまったく」
「てゆうかシド……肩硬いね、肩コリ?」
「僧帽筋だボケ」
「そぼろ?」
「そーぼーきんだよッ! テメェも少しは鍛えろ!」
「そうぼう筋……。筋肉ある人って肩コリしないの? てゆうかムッキムキのマッチョって、脇しまらないよね!」
「うっせぇな下ろすぞ!」
「ごめんなさい。喋りすぎました」
「もうすぐ着くよー」
 と、先頭を行く2号が言った。
 
一行は街の東地区へ来ていた。狭い道へ入って行く。街路灯の豆電球が薄暗い路地裏を照らしている。
 
「あ、思い出した」
 と、シドが呟いた。「そういや仕事帰りに外で飯食ってるオッサンとぶつかったな」
「ん? ごめん、なんの話? 独り言?」
 と、アール。
「肉まんだよ肉まんッ!!」
「あぁ……肉まんか……」
 まだ肉まんのことを気にしていたのかとアールは苦笑した。
「ここだよ」
 と、2号が自転車を止めた。
 
年季の入った2階建ての飲食店にたどり着いた。店の入口には花壇が置いてあるが、植えられている植物はすっかり枯れ果てており、看板は色褪せ、店の名前である《たんぽぽ》の“たん”が消えてしまっている。
全員自転車から下り、店の佇まいに呆然とする。
 
「ぽぽだねぇ……」
 と、お腹が空いていたカイが落胆しながら言った。
 
店構えからして美味しい料理が出て来そうな気がしない。ログ街で高級料理店にありつけるとは思っていないが、それにしてももう少し小綺麗な店はなかったのかと思う。
 
「今じゃよ、“ぽぽ店”って呼ばれてるよ。飯は食えるからよ、ささっ、入ってくれよ」
 
2号に促されて店内へ入ると、4人がけのテーブルが壁づたいに並んでいて、椅子の背もたれや脚は傷だらけで一部削れており、綿が飛び出た座布団が敷かれている。床にはなにかをこぼした染みが点々とあり、壁には手書きのメニューが貼られ、カウンターにはお酒が並べられていた。
 
「……すげぇ店だな」
 シドは呆れてそう言った。夜間営業の割には全く客がいない。
「まぁまぁ座れよ」
 2号はそう言うと、カウンター越しに声を掛けた。「おーい、客だよー。母ちゃーん?」
「母ちゃん?!」
 一同は声を揃えて驚いた。
「あ、言ってなかったかよ? ぽぽ店は俺の母ちゃんが運営してるんだよ。2階が家よ」
 
階段から2号の母親が下りてきた。40代後半の、どこにでもいそうなおばちゃんだ。
 
「カイじゃないか! 帰ってくるなら連絡ぐらいしなさい」
「ただいま母ちゃん。いろいろあってよ。──あ、客連れてきたからよ、なにか出してくれよ」
「おやまぁ」
 と、2号の母は一同に目を向けた。「いらっしゃい。すまないね、こんな汚いお店で」
「いえ、お邪魔いたします」
 と、ルイは席を立って頭を下げた。
「なにか食べたいものはあるかい?」
「母ちゃんはオムライスが天下一品よ」
 と、2号が勧める。
「では僕はそれで。みなさんは?」
「私もオムライスでいいよ」
 アールがそう言うと、
「じゃー俺もアールと一緒がいいなぁ!」
 と、カイが同じものを頼む。
「シドさんはどうなさいますか?」
「めんどくせぇから同じでいい」
「では、オムライスを4人前お願いします。──2号さんは?」
「俺ももちろんオムライスよ。母ちゃんオムライス5人前」
「カイ、手伝っておくれよ」
「えー…、わかったよ」
 仕方なく、カウンターの奥へ入る2号。
 
「ねぇアールぅ」
 と、隣に座っているカイがアールに話し掛けた。
「またVRCに行くんだよねぇ? 行ってみてどうだったー?」
「うーん……大変だった。カイは行かないの?」
「俺はねぇ、アーム玉を集めなきゃいけないからぁ」
「そっか。残念」
「え? んー、どうしようかなぁ俺も行こうかなぁ」
 と、カイの心変わりは早い。
「アーム玉を集めないといけないんでしょ?」
「そうだけどぉ……アールが残念って言うからぁ」
 カイの手前に座っているルイが会話に入る。
「カイさん、VRCへ行くのでしたら、アーム玉は僕が集めますよ」
「ルイはVRCに参加しないのー?」
「参加する予定ですが……時間割を変えましょう」
「お前ホテルの飯作んねぇといけねぇだろ」
 と、ルイの隣に座っているシドが言った。「アーム玉集めくらい誰か雇ったらどうだ?」
「そうですね……しかしなるべく出費をおさえたいので。シドさんはVRCへ行かれますか?」
「まぁ時間があるときにな」
 
2号が4人分の水を持ってきた。
 
「どうぞ、お冷やですよー」
 そう言ってそれぞれの前へ置いた。
「2号も一緒に食べるよねぇ? 椅子足りないから隣の席から持ってこようかー?」
 と、珍しくカイが気を利かせた。
「いや、いいよ、隣の席で食うからよ」
 そう言って2号はまたカウンターへ戻って行った。
 
ふと、何気なくカウンターに目を向けたアールは、2号の母親と目が合った。頭を下げようとしたが、すぐに目を逸らされる。
──なんだろう。故意に逸らされた気がする。気のせいかな。
 
暫くして、オムライスが運ばれてきた。昔ながらのオムライスだ。形も綺麗で一口食べてみるととても美味しく、食が進んだ。
食事の最中、アールは何度か視線を感じていた。カウンターにいる2号の母親からの視線だった。目を合わせるとやはりすぐに逸らされてしまう。そのせいでずっと母親のことが気になっていたが、食事を終えて店を後にするときも、結局2号の母親はアールと目が合ってもすぐに逸らし、言葉を交わすことはなかった。
 
「じゃあ気をつけて帰れよ」
 と、店の前で2号が言う。「俺は今日実家に泊まるからよ」
「普段はどこに住んでらっしゃるのですか?」
 と、ルイが訊く。
「同じ東地域で近くだよ。小さなアパート借りてる」
「そうでしたか。今日はありがとうございました」
「おうよ」
「2号ー、また遊ぼうよー」
 と、カイが言う。
「おうよ! ルイさんに電話番号教えてるからよ、連絡してくれよ」
 シドとルイは自転車に跨がった。
 
アールがシドの後ろに乗ろうとした時、2号が声を掛けてきた。
 
「アールさんよぉ」
「はい?」
「……いや、まぁ……色々あったからよ、気をつけなよ」
「うん」
 エレベーターのことだろうか。
「ねー、俺どうしたらいいー? ルイは肩掴まれると嫌なんだよねぇ」
 と、店に来るときは2号の後ろに乗っていたカイが困り果てる。
「カイが漕げば?」
 と、アールはシドの後ろに乗りながら言った。
「えーっ、しんどい」
「カイさん、僕……我慢してみます!」
 と、ルイは気合いを入れてハンドルを強く握った。肩にも力が入る。
「──なぁ」
 と、シドが小声でアールに言った。「カイに言ってやれよ。カイが自転車漕いでる姿が見たいってよ」
「え? うん……?」
 アールはカイに言った。
「ねぇカイ、カイが自転車漕いでるとこ、見たいな」
「え?」
 と、カイが笑顔で反応した。
「うしろに人を乗せて軽々漕いでる男の人って……うん、逞しいよ!」
 
随分と無理をした言い方だったが、カイはすぐにルイと入れ代わった。
 
「ルイー、ちゃんと掴まっててよー?」
 気合いも十分である。
「わ、わかりました。安全運転でお願いしますね」
 

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