voice of mind - by ルイランノキ


 青天の霹靂26…『不可解な死』

 
「到着だよー。エルナン、あんたに客だよ」
 と、カイが自転車のブレーキをかけながら言った。
 
ルイはふらつきながら自転車から下りると、腰に手を当て、しばらく動けずにいた。
 
「お尻、大丈夫かよ?」
 思わずカイが心配したが、顔は笑っている。
「カイさん……自転車に制限速度はありませんが……ここまで飛ばすとバイクと変わりなく……しかしバイクではなくあくまで自転車ですので……バイクより速度を出すというのは……」
「説教はいいよ。尻は大丈夫かよ」
「……だ、大丈夫です」
「痔だったらとんでもないことになるよな、考えただけで恐ろしいよ」
「段差で浮きましたからね」
 ルイは二度と乗りたくない、と思った。
 
エルナンは、自宅付近にある人目のつかない小さな空き地に座らされていた。下を向いたまま、顔を上げようとはしない。草が生い茂り、虫の鳴き声があちらこちらから聞こえる。
 
「エルナンさん、カゲグモについて教えてください」
 
そう言ってエルナンに近づき、側で腰を下ろしたルイ。しかし地面にお尻を直接つけることはせず、片膝をついた状態だ。お尻の痛みを感じながら、話を続けた。
 
「あなたの依頼を受けたシドさんから、話を聞きました。これは単なる憶測のようですが、あなたはカゲグモを退治してほしいと嘘の依頼を出し、依頼を受けた人達をカゲグモの餌に……したのですか?」
 それまで俯いたまま黙っていたエルナンだったが、
「ふっ……フフフフ……」
 と、肩を震わせながら不気味に笑った。
「それがどうした」
「なぜそのようなことを……。魔物を飼育したとなると問題ですよ。ましてや人間を餌として与えるなど、もってのほかです」
「そんなものわかってるさ……。だがね、餌となった人間も、自業自得だろう。私の責任ではない。喰われる危険を承知で自ら餌になったんだ。私は何度も『無理はするな。危険だと思ったら引き返してくれて構わない』と言った」
「その人たちは、あなたが嘘の依頼さえ出さなければ、命を落とすこともなかったのですよ」
 
生温い風が通り過ぎていった。
ルイはカイにスィッタへ連絡するよう促すと、エルナンの肩にそっと触れた。
 
「奥さんががいると聞きましたが……」
「もう亡くなったよ」
「……そうですか」
「妻は生物学者だった。だが、病に侵されてから体が思うように動かなくなり、毎日吐き気や体中の痛みに苦しみ、彼女は生きる気力すら失ってしまっていたのだよ。体調のいい日ですら、家事もしなくなり、寝たきりになった。──そんな時に“あの子”が現れたのだ」
 強調するようにエルナンの声のトーンが変わった。
「あの子? ……カゲグモですか?」
「そうさ。私が魔物に荒らされた畑を修復しているときに突如現れた。……私は怖くてすぐに山を下りた。あの生き物の正体を、妻なら知っているのではないかと思い、尋ねた。……呆然と天井を見つめてばかりいた妻の目が、輝いたんだ。生物学者としての血が騒いだのだろう。妻はカゲグモについては知っていたが、実物を目にしたことはなかった。彼女は……カゲグモのお陰で再び生きる希望を見つけたのさ」
 
ルイは黙ってエルナンの話に耳を傾けた。その間、カイはスィッタに連絡を取っていたが、なにやら困ったそぶりをしている。
 
「妻は昔のように研究にのめり込んだ。不自由な体では限りがある……だから私が手を貸したのさ。彼女の笑顔が見れるなら、とね。妻の手となり足となり、共にカゲグモの研究を進めてゆくうちに、私にもカゲグモへの愛情が生まれてきた。不思議なものさ……」
「奥様はいつ頃、お亡くなりになられたのですか?」
「1年前さ。……突然のことだった」
「あの、ルイさんよ」
 と、カイが困り果てた様子で声を掛けた。「連絡したけどよ。ログ街って伝えただけで断られたよ」
「断られた?」
「当たり前だ。ここは荒くれ者が集う街さ」
 と、エルナンは微かに笑い、話を続けた。
「街とも認められていないこの場所にスィッタ施設もなければ、わざわざ他の仕事を放ってまで来やしないさ。大半は犯罪者だ。取り締まっても埒があかないだろう。余程大きな事件でも起こさない限り動きやしないさ」
「……では、ゼフィル兵に連絡します」
 ルイがそう言うと、エルナンとカイは、信じられないといった様子で驚いた顔をした。
「ゼフィル兵って……大袈裟すぎないかよ? つーかルイさんに軍隊なんか動かせるのかよ?」
 と、カイは疑いながらも興味津々に訊いた。
「君だったのか……鉄工所の騒ぎは……」
 エルナンはアールが捕われたときの騒ぎにゼフィル兵が出動していたことを知っていたようだ。
「……とにかく、あなたを野放しには出来ません」
 そう言って携帯電話を取り出したとき、エルナンが突然ルイの腕を掴んだ。
「これ以上、騒ぎを起こさないほうがいい。──それに、わざわざ連絡する必要もない」
「どういう意味ですか?」
「もう知られていることだ」
「知られて? 一体なんの話を……」
「計画は失敗に終わった……“ブラン様”……」
 そう呟いて、エルナンは空を見上げた。
「え……? なにを言って……」
 状況が把握できずに困惑していると、エルナンの左肩がボンヤリと光りを放ちはじめた。文字のような模様が浮かび上がっている。
「なんだよその光……」
 と、カイが不安げに言った瞬間、ルイの表情が強張った。
「カイさん! 伏せてくださいッ!」
「へ……?」
「愛する妻の元へ行ける……」
 エルナンは微笑みながら、静かに目を閉じた。
「エルナンさんッ!!」
 
強い光が広範囲に走り、草むらに身を隠していた羽虫が一斉に羽ばたいた。
鈍い破裂音と共に飛び散る液体、肉片。
ボタボタと血の雨が降り注ぐ。ヒラヒラと衣服の切れ端が宙を舞った。
 
カイはエルナンに背を向けるように頭を抱えて地面に体を伏せていた。静寂が戻り、ゆっくりと顔を上げて体を起こした。
 
「今の音、なんだよ……」
 困惑しながら振り返り、目の前の光景に息を飲んだ。「え……なに……なんだよこれ!?」
 
エルナンが座っていた場所は血液で赤く染まっていた。エルナンの姿は、どこにもない。
 
「エルナンはどこだよ?! なぁ!!」
 
カイは、呆然と立ち尽くしているルイに駆け寄り、腕を掴んだ。べっとりとした感触に、思わず手を離した。ルイに触れた手が赤い血で汚れている。
エルナンの近くにいたルイの体は、飛び散った血液や肉片で汚れていた。
 
「ルイさん……」
「属印者です」
「え……?」
「エルナンさんは……属印者だった……。どこかの組織の……」
「属印者? ってことはよ……なんだ? どっかの組織の一員で……それでなんだよ!」
 カイは気が動転していた。人が突然、爆発したのだから無理もない。
 ルイは視線を落とすと、力無く言った。
「エルナンさんはどこかの組織の一員で、何らかの計画に携わっていた。……けれど、それは失敗に終わり、属印に掛けられた魔力によって処罰を受けた、というところでしょう」
「なんだよそれ……計画が失敗しただけで木っ端みじんかよ!」
 
謎が残る事件。エルナンが口走った“計画”。カゲグモの飼育と関係があるのだろうか。
 
「ルイさんよ……近くにエルナンの家があるよ」
 カイはそう言って自転車に跨がった。「俺、調べてみるよ」
「…………」
「こんなときに不法侵入とかいうなよ? ルイさんはどうするよ」
「僕は……」
 と、ルイの携帯電話が音を鳴らした。ワオンからだ。すぐに電話に出た。
「──はい」
『ルイ! 援護頼む! カゲグモが南へ向かってる!』
「え……捕らえられなかったのですか?!」
『カゲグモを防護結界で捕らえていたんだけどよぉ、外した瞬間に逃げやがった。──1人毒糸にやられた』
「わかりました。すぐに向かいます」
『今どこにいるんだ? ワート魔法使えるか?』
「えぇ……あまり距離があると無理ですが……」
『街ん中の移動ならできるだろ、先回りした仲間にワート出すよう頼んでやっから直ぐに行ってくれ。キーは“ワオン”で頼む』
「助かります。では」
 電話を切ると、カイに言った。「すみませんが僕は援護に向かいます」
「徒歩でいくのかよ。この時間だと運び屋は閉まってるよ」
「ワート魔法で移動しますから大丈夫です。エルナンさんの情報収集……頼めますか?」
 と、ルイはシキンチャク袋からタオルを取り出し、エルナンの血で汚れた体を拭った。
「おうよ。──ところでワート魔法ってなんだよ、なんか便利そうな気がするよ」
「ワープゲートのことですよ、1人では使えませんが。それでは失礼します」
 簡単に説明を済ますと、ルイは足元にロッドを突き立てた。
「──ワート魔法発動」
 突き立てた足元にワープゲートの魔法円が浮かび上がった。「コネクテッドキー“ワオン”」
 魔法円の光がルイを包み込むと、カイの目の前からスーッと光のように消えていった。
「ワート魔法か……俺も取得できたらしよ。さすがに自転車は尻が痛いよ」
 カイはそう呟いて、エルナンの家へと急いだ。
 

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