voice of mind - by ルイランノキ


 捨てた想い34…『■■』

 
「それからね、アーム玉に私の力を移せるんだって。そのアーム玉さえあれば、この世界はもう大丈夫……だから私はなんの心配もせず、元の世界に帰れるの。それにね、帰ってしまっても、いつでもこの世界に遊びに来れるんだって」
「アール……」
 モーメルは、アールの後ろ姿を見つめながら、彼女が泉の中で見た幻影を話しているのだと察した。
「でね、私は安心して元の世界に……私の世界に帰ったの。──家族がいた。友達がいた。彼氏がいた。みんな、元気だったよ。みんな、優しかったの。本当に……優しかったの……」
 
アールの目から流れた涙が、テーブルを濡らした。それでもアールは、無理をして笑った。
 
「アール、よく戻って来てくれたね……。無理に話す必要はないよ」
 と、モーメルは立ち上がってアールの肩に触れようとしたが、ためらった。
 
まだ自分を偽物だと思っている彼女に、拒絶される気がして、黙って手を下ろした。
 
「みんな怖いくらい優しかった……。違和感に気づいたときから、幻影に歪みが生まれて、家族や友達や彼氏の言葉に矛盾が増えていったの……。てゆうかさ、最初からおかしかったんだよね、うまく行き過ぎててさ。なんですぐに気づかなかったんだろ。ほんと馬鹿みたい……」
「どうやって戻って来れたんだい?」
 モーメルはベッドに腰掛けながら訊いた。
「帰りたいって、思ったの」
 小さな声で、アールはそう呟いた。
「最初はね、本当の……元の世界に。でもいくら願っても、無理だった。彼氏に言われたの。お前に帰る場所はない、ここにいたほうが……幸せだって」
 
グラスを持つアールの手に、力が入る。言葉に出せば出すほど胸の痛みが広がってゆく。
 
「それでどうしたんだい?」
 と、モーメルはなるべく穏やかな口調で訊いた。
「偽物の世界で幸せなんて……感じられるわけがない。モーメルさんの言葉を思い出したの。『みんな待ってるよ』って、言ってくれたよね……? だから……みんなの元に帰りたいって思った。仲間がいる、この場所に……」
「それで、戻って来れたんだね」
 俯きながら、モーメルはそう言った。
「でも……わからないの」
 と、アールは涙を拭った。
「私は本当に仲間が待ってるから帰りたいと思ったのか、もしかしたら、元の世界に戻るにはこの世界で全てを終わらせなきゃ帰れないから、仕方なく……なのか……」
「どっちでもいいじゃないか。無事でいたことが一番大切なんだから」
「そうだけど……」
「他に、話したいことはあるかい? あんたが話したほうが少しでも楽になるのなら、アタシはいくらでも聞くよ」
「──……」
 
部屋の壁に掛けられた時計の針が、カチカチと小さな音で時の流れを知らせる。アールは暫く口を閉ざし、なかなか止まらない涙を何度も繰り返し拭った。
元の世界に帰りたいと願うのは当然のことだが、自分の帰りを信じて待っていてくれていた仲間を思うと、気が咎めた。
 
「本当に……家族に会えた気がしたの。現実的だった。香りや空気、温度……忘れてた友達の癖、母の香り、彼氏のぬくもり……父や姉の……」
「あんたの記憶から生まれた世界だからね……」
「……モーメルさん」
「なんだい?」
「私を、元の世界に戻せる?」
「…………」
「元の世界へ通じる扉を開く魔道具って、ある? アーム玉に私の力を移せるかな……?」
 
モーメルは、顔をしかめて、目を閉じた。
 
「すまないが、アタシにはそんな大それた力は……ないよ」
 
訊かずとも、答えはわかっていることだった。ただ、確かめておきたかった。
 
「そう……そうだよね」
「そもそも……アーム玉は亡くなった人間の力を宿す魔石さ。生きた人間の力を移すなんてことは、出来ないんだよ」
「あはは、そうなんだ。アーム玉について詳しく知らないのに、幻影で見ちゃうなんてね……」
「アーム玉について詳しく聞いてないのかい?」
「簡単な説明しか聞かされてなかったから」
「そうかい……。困ったもんだね」
「いいの。いちいち説明していたらキリがないだろうし……」
「あんたが仲間に気を遣う必要なんてないさ」
「…………」
「何もしてやれないアタシを許しておくれ……。あんたが幻影で見たアタシが羨ましいよ」
 
──モーメルの言葉が、辛かった。
心を開けば、誰かを悲しませる。苦しめる。気を遣う必要なんてないと言われても、悲しむ顔を見せられては心を開く気分にはなれなかった。だって、みんなもそれぞれの思いがあることを、知っているから……。
 
アールはグラスの水を飲み干すと、モーメルに顔を向けた。
 
「もう少し、寝ててもいいですか?」
「もちろんだよ」
 と、モーメルは立ち上がる。「食器は持って下りとくよ」
「……ありがとう」
 
━━━━━━━━━━━
 
モーメルは部屋を出た後、1階に下りてルイたちにアールから聞かされたことを話した。皆、黙って話を聞いていた。
 
時刻は15時過ぎ。ルイたちはテーブルを囲んでそれぞれ時間を潰していたが、いつまでもアールの回復を待っているわけにもいかなかった。
 
「わりぃがいい加減俺はログ街に戻るからな」
 と、なんだかんだで結局残っていたシドは席を立ちながら言った。
「待ってください……。せめて今日まで待ちませんか?」
 と、ルイは悲しげに言った。
「もう十分待っただろーが……」
「そうですがもう一晩だけでも……」
「一晩待っても変わりゃしねーよ」
 と、シドは腕を組んでため息をついた。
「お願いします。明日になったら先にログ街へ戻って構いませんから……」
「ほんっとお前らも世話が焼けるな。少しでも金稼がねぇと困るのは自分らだろーが。旅を続ける気があるなら尚更女を待つ時間が勿体ねぇとか思わねぇのか?」
「シドは冷たい人だとは思うよー?」
 と、カイはテーブルの中央に置かれた皿からクッキーを取りながら言った。
「後先考えねーで待つのがいいのかよ」
「クッキー美味しいなぁ」
「都合わりぃこと訊かれると話そらすんだな」
「シドさん……お願いします。今日までで構いませんので」
 と、ルイは席を立ち、改めて頭を下げた。
「だから今日まで待つ根拠はなんだよっ。それにお前が先にログ街へ戻っていてもいいっつったんだろうが。てめぇの発言忘れんな」
「すみません……根拠は……ありません。ただ、アールさんは意識を戻されたばかりですし、ライズさんのこともありますから、いてほしいのです」
「意味わかんねーよっ」
 そう言い捨てながらも、シドは椅子にドカッと座った。
 
モーメルは棚に置いてある空っぽの細長いガラス管を見つめ、物思いに耽っていた。ライズの姿は、どこにもない。
 
「アールはぁ、やっぱり寂しいのかなぁ」
 と、カイはクッキーを口に放り込みながら言った。「寂しいよねぇ、家族とかに会えなくなったのは」
「家族に会えねぇのはお前らも一緒だろーが」
 と、シドが不機嫌な面持ちで答えた。
 
紅茶を飲んでいたルイが、すぐさまシドの意見に相違点を感じ、意見を述べた。
 
「僕たちとアールさんは、違いますよ……。僕たちは会おうと思えば会えますし、自分らの意志で旅に出たわけですから」
「死んだら会えねぇのは一緒だろ」
「それはそうですが……やはり自分たちと一緒にするのは間違っていますよ。それに……」
 と、ルイは言いかけて口をつぐんだ。
「なんだよ」
「……いえ、なんでも」
「なんだよッ。言いかけてやめられるとイライラすんだよ」
 ルイは紅茶を飲み、一息つくと、口を開いた。
「アールさんがいなくなったことは、誰も知らないのですよ」
「そりゃそうだろ。知らないもなにも、時間止まってんだろ?」
「そうですが、……縁起でもない事を口に出すのは気が引けますが、仮に彼女がこの世界で命を落としたらどうなるのか……シドさんもご存知でしょう?」
「…………」
 シドは、ルイから目を逸らし、テーブルに肘をついた。
「アール……本当に、独りぼっちになっちゃうね」
 と、カイはクッキーに手を伸ばしながら言った。
「カイさん、食べ過ぎですよ……」
「落ち着かないんだもん」
 
 
 もし彼女が命を落とした場合……
 
シドたちは、ギルトが生前に彼らへ伝えた情報を思い返していた。
 
 この世界の希望が消えるのは言うまでもないが、彼女の存在も消えてしまう
 
 存在が消える? まぁ死ぬんだから当たり前じゃねーのか?
 
 肉体が滅びるという意味ではない。彼女の世界から、彼女が生きた証すべて……消滅する
 
 
 命を落とした場合のみならず、■■を■■場合にも同様なる結果を齎す
 
 
「ねぇルイ、でも俺たちってさぁ……」
「カイさん。クッキー、アールさんの分も残しておいてくださいね」
「……はい」
 
シドは二人を見遣り、二人の間に漂った妙な空気から目を逸らした。
 
 

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