voice of mind - by ルイランノキ


 捨てた想い31…『偽者』◆

 
「なに言ってるの? ここは貴女が望んでいた元の世界よ」
 そう言った佐恵子の言葉に、渇いた笑いが零れた。
「望んでいた元の世界って……そう言ってる時点で違うじゃない!」
「なにが不満なんだ」
 信二の顔は笑っていたが、声は随分と低かった。
「不満、不満って……なに。てゆうか貴方はお父さんじゃない! みんなも違う! 私の知ってるみんなじゃない!」
 
化けの皮が、少しずつ剥がれてゆく。
 
「ここが良子の居場所だよ?」
 久美が優しくそう言った。
「……違う。ここはまだ泉の中……そうなんでしょ? ねぇ? 分かってるんだから!」
「帰る場所なんてないよ」
 そう言った美鈴の声は聞いたことがないほど低かった。「ここにいなよ。ここにいれば、ずっと幸せでいられるよ?」
 アールは黙って横に首を振った。
「そうよ良子。貴女が望めば、望む通りの世界になるわ。誰も貴女を傷付けない。誰も貴女を悲しませたりしない」
「やめてよお母さん……偽物のくせに……」
「心配したのよ、良子」
 佐恵子は、何かが切り替わったように話しはじめた。「危険な世界で、よく頑張ったわね……もう無理しなくて、いいのよ」
「やめてよ!」
「俺も心配していたんだ……」
 と、雪斗の手がアールの肩に触れた。
「やめて……」
「良子を失いそうで怖かったんだよ……」
 
みんなの顔が、悲しい顔に変わってゆく。みんな同じ顔をする。気味が悪い。
 
「お願いやめて……」
 アールの目から涙が頬を流れ落ちた。
 
信じていた世界。元の世界。全て偽りの世界だった。
 
「一緒にいよう、良子。俺、良子を愛してるんだ……」
「やめてったら! 聞きたくない!」
「結婚しよう良子」
「え……」
「今すぐ」
「なに言って……」
 
カラーン……カラーン……と、突然ベルの音が鳴り、人々の歓声が上がる。店は、結婚式場にあるチャペルと化していた。参列している同級生、身内、知り合い、みんな歯を見せて笑っている。
アールは、ウエディングドレスを着ていた。隣には、いつも寝癖がついている髪を整えてタキシードを身に纏った雪斗が幸せそうに立っている。
 
「ずっと一緒だよ、良子。もうなにも心配しなくていいから」
 
 結婚をするのが夢だった。
 愛する人と結婚して、幸せな家庭をつくるのが夢だった。
 
「愛してるよ……」
 そう呟いた雪斗の唇が、アールの唇へと近づいてゆく。
「雪斗……待って雪斗!」
 と、アールは彼の体を押しのけた。「私は夢でなんか結婚したくない……」
「なにを言ってるんだ?」
「あなたは……空想だから……」
 

 
雪斗の頬に触れると、温かかった。感じる体温も悲しげに微笑む笑顔も全て偽りだと思うと、胸が裂ける思いがした。漸く会えたと思ったのに。
 

 
「会いたい……会いたいよ雪斗」
「会えただろ? 俺はここにいる……」
「違う……本当の雪斗に会いたい……」
「本当って、なに? 本当とか、本物とか、良子が信じれば俺は本物になるんだよ」
 アールは首を振った。
「帰らなきゃ……待っている人がいるから」
 そう言って、アールは雪斗に背を向けた。
「──待ってる奴なんかいない!」
 参列者の誰もが、立ち止まるアールを哀れむ目で見据えていた。
「君が別世界にいることなど、誰も知らないんだ。“本物”は誰も知らない。だから待ってなんかいないんだよ!」
 
アールは、痛む胸を押さえながら、苦しみに耐えた。──そんなこと、わかってる。私が一番よくわかっている。それがどれほど心細いことなのかも。
 
「君が死んでも、“本物”は知らされない。だから悲しみもしない。君は元の世界には還れない。いくら帰りたいと願っても、還れない。還れる保障なんかどこにもないんだよ。だから」
「だからここにいろって言うの? 偽りの世界を本物だと信じて、ここで生活していけとでも言うの?! ……冗談じゃない」
 アールは、溢れ出る涙を拭い、苦しみを吐き出した。
「なにが不満なんだよ……僕たちは君を知っている。君の苦しみ、望み、全てを知っている」
「……不満だらけだよ。本物じゃないなら不満だらけだよ! こんなところ……いたくない」
「君に還る場所なんてない。わからないのか?」
「…………」
 
──『いってらっしゃい』そう言って私を見送った母を思い出す。その母は……あの時の母は、ここにはいない。
 
「帰りたい。帰る場所はある……」
「ないよ。誰も待ってない」
「待ってるよ」
「そう思いたいだけだろ?」
「違う。みんな待ってる。帰りたい……帰りたいっ」
「いい加減にしなよ。君は──」
 
「私は仲間の元に帰りたいのッ!!」
 
 
   みんな、待ってるよ
 
 
モーメルさん、本当だよね? ほんとにみんな、待っててくれてるんだよね?
ゴポゴポと耳元で音がする。体が浮き上がる感覚がした瞬間、私を哀れむ目で見ていた雪斗も家族も友達もいなくなって、辺りは水に覆われていた。
 
 ──?! 水の中? ……泉?!
 
アールは両手で鼻と口を塞いだ。頭上を見遣ると、水面で光がキラキラと波打っている。
 
 帰らなきゃ……みんな待ってる……。
 
アールは口を塞いでいた手を離し、腕を伸ばして水をかきはじめた。けれど上手く泳げない。どんなに水をかいても、水面が遠く感じる。
 
 どうしよう……全然上がれない……。
 
ゴポゴポと少しずつ口から空気が漏れてゆく。アールは泳ぎが苦手だった。25メートルを一度も立たずに泳ぎ切ったこともないのである。
 
 だめだ……息が……っ
 
あまりの苦しさに、泳ぐのを止め、鼻と口を塞いだ。けれどもう、息が持ちそうにない。
 
 誰か……誰か助けてっ!!
 
口元を塞ぐ手の力が失われていく。視界がぼやけて意識が朦朧とし始めたそのとき、水面に人影が見えた。その人影はアールに向かってどんどん近づいてくる。
アールは最後の力を振り絞って、手を伸ばした。
 
しっかりと強く、誰かに腕を掴まれた感覚を最後に、アールは気を失った。
 
……後編へつづく。
(公開予定:8月上旬〜中旬)

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