voice of mind - by ルイランノキ


 捨てた想い18…『少年の記憶』◆

 
目の前に現れた扉。扉の向こうにはなにがあるのか。この扉を今まで何人の人が通って行ったのだろう。 
ドアノブを回して“記憶”が始まる。
 
 
  助けてーッ!!
 
誰かの悲鳴が頭の中でサイレンのように繰り返し鳴り響いた。
真っ赤な部屋がアールを迎え入れる。
 
…………………………
 
『今日はどんなお洋服を着て行こうかしら』
「え……?」
 
アールは、ぬいぐるみが沢山並べられている部屋の中にいた。部屋の角に置かれた、白い小さなテーブル。見知らぬ女の子が人形を持ってテーブルの上を歩かせている。
 
『今日はパーティだもの。お洒落しなくちゃ!』
 
そう言って女の子は、テーブルの横に置かれている箱の中から人形の洋服を沢山取り出し、テーブルに並べた。
 
 この子は誰だろう……。
 
アールは辺りを見回した。棚にはかわいいぬいぐるみが並んでいて、窓には花柄のカーテン、子供用の小さなベッドの枕元には、大きなクマのぬいぐるみ。クリーム色の壁には、女の子がクレヨン描いたと思われる絵が飾られている。
 
 子供部屋だ……。でもなんで?
 
『ピンクのお洋服にしようかしら。きっと王子さまに気に入ってもらえるわ』
 
女の子はそう言って人形の洋服を着替えさせはじめた。
アールは、壁に貼られている絵に違和感を覚えた。どれも女の人と手を繋いでいる女の子の絵ばかり。小さな女の子が中央にいて、左右に女の人が立っている。
 

 
「ねぇ、真ん中のはあなた?」
 と、アールは女の子に声を掛けた。
『ほら! やっぱりピンクが一番かわいいわ。ふふっ、パーティーの時間に遅れちゃう!』
「ねぇ……聞こえないの?」
 
アールは女の子に近づいて肩に触れようとしたが、その手は女の子の肩を通り抜けてしまった。
 
「えっ……幻影……?」
 
──と、そのとき、女の子は突然強張った表情で部屋のドアに目を向けた。そして、慌てた様子で人形を抱き抱えると、ベッドの下へと潜り込んだ。
 
「なに……? どうしたの?」
 
アールがベッドの下を覗きこもうとした瞬間、部屋のドアが勢いよく開いた。ドアが壁にぶつかる音の振動が体に伝わる。ドアの向こう側に立っていたのは顔を赤く染めて怒りの形相を浮かべた男だった。ずかずかと部屋に入ってくる。
アールはその男の狂気に満ちた形相に恐怖を抱きながら、後ずさりをして部屋の隅に身を寄せた。
 
『どこだ糞ガキ!! 隠れてんじゃねーぞッ!』
 
男は蛮声を張り上げると、棚のぬいぐるみを手に取り、壁に叩き付けていった。床に落ちたぬいぐるみを何度も何度も足で踏み潰し、声を荒げた。
 
『出てこい! 父さんが遊んでやるからよぉ!!』
 
アールは恐怖のあまり体を強張らせて声も出せずにいた。
男は壁に貼っていた絵を見遣ると、乱暴に破り取った。
 
『なんだこの絵は……俺はどこなんだ? なぜ俺がいないんだ!! 死んだキャリーはいてなぜ俺がいないんだッ!!』
 
絵はびりびりに破かれ、塵となって静かに床へ舞い落ちた。
アールは恐怖で足を震わせながら、ベッドの下で怯えている女の子のことを気にかけていた。きっと、息を潜めているに違いない。
 
男は怒りで荒くなった呼吸を繰り返してから、歪んだ笑みを浮かべた。
 
『出ーておーいでーリンちゃーん。父さんが遊んであげよう。かくれんぼか……それもいい……』
 
 やめて……女の子が危ない!!
 
アールは、ベッドへ歩み寄る男に咄嗟に飛び掛かったが、男の体をすり抜けて床へ倒れこんだ。ひやりと背筋が凍る。直ぐに体を起こして男に目を向けると、男はベッドの下を覗き込んでいた。
 
「お願いやめてッ!!」
 
『みぃーつーけた!!』
『いやぁああぁあぁ!!』
 
女の子の悲鳴がアールの頭の中で響き渡った。アールは思わず頭を抱え、ズキズキと脳を蝕まれるような痛みに呻いた。
男はベッドの下に手を入れて悲鳴を上げる女の子の腕を掴み、強引に引きずり出した。
 
『パパやだ! 離して!!』
『そんなに俺が嫌いかぁッ?!』
 
男はごつごつと骨ばった大きな手で、まだ幼い女の子の頬を引っ叩く。力任せにぶたれた女の子は床へと倒れ込んだ。
 
「やめて!! 女の子が怖がってるじゃないッ!!」
 
いくらアールが必死にそう叫んでも、彼らに届いている様子はない。男は女の子が胸に抱えていた人形に目を止めた。そして人形に触れようとしたとき、女の子が必死に叫んだ。
 
『だめぇー! キャリーに触らないでー!!』
『キャリー? 人形に死んだ姉貴の名前をつけたのか……。お前も母親と同じだな……そんなに大事か……そんなに死んだキャリーが大事かッ?!』
 
男は無理矢理女の子から人形を奪い取ると、立ち上がって部屋の窓を開けた。
 
『やめて!! 返して!!』
 
父親の足にしがみつき、必死になって取り返そうとする娘を、男は容赦なく蹴り飛ばした。蹴り飛ばされた女の子はベッドの縁に強く体を打ち付け、ぐったりと床に倒れ込んだ。
 
「リンちゃん!!」
 
アールは女の子に駆け寄った。抱き抱えたくても触れることが出来ない。目の前で起きている惨劇を、ただただ見ていることしか出来ない。
男は窓を開けて人形を外へと放り投げると、振り返ってにたりと笑った。
 
『リン……次はお前の番だ』
「やめて! 何考えてんの?! ねぇ! なんで聞こえないのッ?!」
 と、アールは何度も何度も声を張り上げた。
 
聞こえていないとわかっていても、なにもせずに見ているだけなんてことはできない。
男はぐったりと横たわっているリンの髪をわしづかみにして、窓際へと引きずった。
 
「やめてったらッ! 誰か! 誰か助けて!! 女の子がッ……リンちゃんが殺されちゃう!!」
 
『あなた……』
 
突如、女性の声がした。部屋のドアに目を向けると、疲れきってやつれた顔の女性が立っていた。
 
『あなた……リンにまで手を出さないでください……』
 
その女性は、髪が所々抜けてまだらになっていた。顔には大きな痣がある。片目は腫れ上がって、痛々しかった。
 
『お前の教育はどーなってんだ? 母親のくせにお前がしっかりしないからだ』
『……はい。すべて私が悪いんです……。だからリンには手を出さないでください……』
『誰に口答えしてるんだッ!!』
 
男はリンから手を離し、女性に殴り掛かった。女性は怯みはするものの、全く抵抗しない。ただひたすらにか細い両腕で顔を覆って耐えている。
 
「リンちゃ……」
 アールは恐怖のあまり、身動きが取れずにいた。リンは窓際で意識を失ったままだ。
 
ジムが鎖鎌を振り回して命を奪おうとしてきた恐怖とはまた別の恐怖がここにある。自分はなにも出来ないという状況も恐怖心を増加させている。男がリンの母親を殴る鈍い音が頭の中で鐘を衝かれたかのように何度も響き、その度に激痛が襲った。アールは頭を抱えるようにして耳を塞ぎうずくまった。いくら耳を塞いでも、頭の中で鳴り響く音はハッキリと聞こえる。
 
──やだ……やだ……やだ……!!
 
叫んでも、止めようとしても、アールは“ここ”には存在していない。幻影を見せられているだけだ。なにも出来ない。
 
『ママ……?』
 女の子の声に、アールはハッと顔を上げた。
『やめて!! ママをいじめないでっ!!』
 
女の子は苦痛な叫びをあげながら、床でうずくまっている母親に近づいて行った。
 
『ママをぶたないで!! ママ!! ママぁ!! 行かないでママ……』
 
 行かないで……?
 
アールは殴られ続けていた母親に目を向け、凍りついた。母親はアールの方に顔を向けて目を見開いていた。その純血した赤い目は瞬きをすることはなかった。
 
 死んだ……死んだの……?
 
『ママぁ……ママぁ……』
 
リンは、ぐったりとしている母親の胸に抱き着いて泣いていた。母の唇は切り裂かれ、鼻はへし曲がり、血を流していた。父親である男は息を切らし、冷たい視線を二人に送っている。
 
これは殺人現場だ。アールの心臓がドクドクとなにかに反応していた。そして無意識に自分が立ち上がっていることに気づいた。自分の意識とは関係なく、体が勝手に窓際へと歩いていく。
 
 なに……私何をしているの……?
 
さっきまで自分の顔と同じ高さだった窓が、やけに上の方にある。アールの体は何かを探すように辺りを見回し、花瓶に目を留めた。
アールが困惑している中で、体は勝手に動き続けている。アールの手は花瓶を掴むと力強く床へ叩き落とした。花瓶が割れた音に、リンと父親が初めてアールに目を向けた。アールは割れた花瓶の破片を手に取って、二人と目を合わせた。
 
アールはぎょっとした。なぜ、私を見てるのだろう。ここに自分は存在していないはずなのに。 
男は急に冷静を取り戻したかのように穏やかな表情を浮かべて口を開いた。
 
『何をしてるんだ……マイク』
 
 マイク……?
 
アールは首を傾げたが、体はまたもや勝手に父親に歩み寄っていく。壁に立て掛けてあった姿見に映り込んだ自分に気が付き、目を丸くした。そこに映っていたのは自分ではなかったからだ。リンより一回り大きな背の、男の子だった。右手には花瓶の破片を握っている。
 
『マイク、そんなもの持って危ないじゃないか』
『お兄ちゃん……?』
 
お兄ちゃん。私の体を動かしているのは……マイクというリンのお兄さん……?
 
「 リン、いつまでも人形なんかで遊んでんなよな 」
 
突然、勝手に自分の口から出た男の子の声に、ゾッと震え上がった。
 
『マイク、リンのことは放っておけと言っただろう』
 
男は、マイクに対しは父親らしい態度をとっていた。
 
「 父さん……“母さんも”殺したんだね 」
 
アールの目は、床に転がっている母親に向けられた。なにも映っていない母親の目は一点を見つめたまま動かない。ただ、折れた鼻から流れ出る血は止まらずに床を染め続けている。
 
『人聞きの悪いことを言うな……。キャリーは事故で死んだんだ』
 
「 違うよ……僕はちゃんと見てたよ。父さんがキャリーを川へ突き落とすところ。 」

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