voice of mind - by ルイランノキ


 ログ街3…『心境2』

 
カイがぐっすりと眠りについてしまってから程なくして、魔物退治を終えたシドがテントに戻ってきた。
 
「やっぱ大した魔物いねぇな……」
 爆睡中のカイを見て、「もう寝てんのかよ」
「シドおかえり……」
 アールは彼の顔を見ながらそう言うと、シドの左頬に目を止めた。赤い血がついている。
「お前ストレッチはしたのか?」
 アールを見てそう言ったシドに、彼女は近づくと、
「血がついてる……怪我?」
「あ?」
 シドは左頬を袖で拭った。「怪我なんかしてねーよ」
「違うよもっと上」
 と、アールは自分の袖でシドの頬を拭おうとした。「目の横」
「──さわんなッ」
 シドはアールの手を払うと、近くに置いてあったバケツの中のタオルを掴んで顔を拭いた。 
「あ、それカイが体拭いてたやつ」
「…………」
「でも泉の水なら別に汚くはないよね」
「…………」
「あ、でも泉から持ち出した水だから完全に綺麗ってわけじゃないのか」
「…………」
 心なしか、シドの元気がなくなった。
 
「晩御飯できましたよー」
 と、ルイがテントを覗き込んで言った。「カイさんはまた寝ているのですね」
「お前叩き起こせよ……」
 と、シドはルイに言うと先にテントを出てテーブルに着いた。
「シドさん、元気がありませんね」
「うん、でも気にしなくていいと思う。──カイ、起きてー」
 アールはカイの体を揺さ振った。勿論それだけで起きるなら今まで苦労はしていない。
「僕が起こしますから、アールさんは先に行っててください」
「あ、いいよ。私起こすから任せて。すぐ連れてく」
「そうですか? ではよろしくお願いします」
 ルイはそう笑顔で言うとテントを出て行った。
 
アールはよだれを垂らして寝ているカイを見ながら、思考を巡らせた。──思いの外、楽しんでいたりする。
 
「カイー、晩御飯無くなっちゃうよー」
「ん……」
「カイー、おもちゃ取られちゃうよー」
「……んんっ」
「……カイ、やばいよ裸の女性が現れた!」
「──?! どこ?!」
 と、カイは目を見開いて体を起こした。
「嘘だよ。晩御飯出来たよ」
「え? 真っ裸の女性は……?」
「いないよ」
 と、アールは立ち上がる。
「いないって……酷い! 俺の純粋な心をズタズタにして……もう誰も信じられないよ!」
「大袈裟なんだから。晩御飯無くなるよ?」
 そう言い残してアールは先にテントを出た。
 
初めはギクシャクしていたものの、今ではおかずを取り合うくらい自然な空間となった食卓。
 
「肉が足んねぇなぁ……」
「すみません、今日は野菜中心ですから……」
「スタミナが足んねーんだよスタミナがよぉ」
「それ以上スタミナつけてどうすんの」
 と、アールはルイとシドの会話に入った。
「俺はいーんだよっ、お前等のスタミナが足んねーんだろーが」
「あ……確かに」
「すんなり認めんなよ調子狂うだろ」
「だってまさか自分のこと言われてるなんて思わなかったから」
「お前等しかいねぇだろーがっ」
「だから認めたじゃん!」
「つーか大体マゴイを気持ち程度しか入れてねぇのが悪い!」
「え……これまたマゴイなの……?」
 アールは手元にある器に入っている肉を見遣った。
「すみません、明日はお肉中心の料理を考えますから」
 と、ルイが箸を止めて言った。
 
その間もカイは黙々と食べている。
 
「肉と言えばマゴイなの……?」
 アールは未だにマゴイの正体を知らなかった。
「マゴイは一番安いお肉で、美味しいですし、どんな料理にも合いますからね」
「そうなんだ……」
 アールは謎めいたマゴイを想像しながら、マゴイの肉を箸でつついた。
 
晩御飯を食べ終えるとルイは直ぐに食器を洗い始める。
聖なる泉がある場所ではその水で洗い流すだけで済ませることが多いが、ない場所では予め汲んでおいた泉の水を入れた大きなバケツをふたつテーブルに並べ、片方に食器を浸ける。それから洗剤で洗い、もう片方のバケツで洗い流す、という手間を掛けている。
 
「手伝うよ」
 と、アールはテーブルに置いてあった食器用の布巾を持って言った。
「大丈夫ですよ、ゆっくり休んでいてください。明日の正午にはログ街へ着きますよ」
「ルイは一日歩いて休まず料理作って洗い物して、しんどくないの?」
 心配そうにそう訊いたアールに、ルイはにこりと微笑んだ。
「いつもの習慣ですから」
「でも……習慣でも疲れるときない?」
「そうですね、でもやらなければ気持ちが悪いですから。早朝のコーヒーも、飲まないと朝が来たという気分がしないのと同じですよ」
「泉に浸かるだけで汚れが落ちるけど擦らないと落ちた気がしない、みたいな」
 ルイは一瞬虚空を見遣り、
「そうですね」
 と、答えた。
 
ちょっと違ったか。と、アールは思った。
食器を洗うルイの顔を眺めた。なんでも率先してやって、ルイがお母さんなら子供は幸せだろうなと思う。もしくは執事とか向いていそうだ。
 
「あの、アールさん、何か……?」
 視線を感じていたルイが、気まずそうに言った。
「ううん、別にー」
 
そういえば医師免許を持っていると言ってた。白衣も似合いそうだ。カイの我が儘にも嫌な顔しないし、優しくて、見た目は好青年で、って、あれ? なんかルイって…… 
 
「あの……アールさん、僕の顔になにか……?」
「あ、ごめんごめん。なんかね、ルイを友達に紹介したら友達が喜ぶかなーって」
「お友達……ですか……」
「そうそう、久美っていうんだけど、久美の好きなタイプがルイそのものだと思って!」
 と、アールは笑いながら言った。
「そう……ですか……」
 
ルイは、少し戸惑っていた。そんな話を自分にしてくれていいのだろうかと、思ったからだ。今のアールが自分の世界の話をする余裕などないことは知っている。
 
「久美はね、頭が良くて優しくて料理が出来て背が高くてかっこよくて一途な人が好きなんだって。そんな完璧な人いるわけないって私言ったことがあるんだけど、今気づいたよ、ルイって完璧だね」
「そんなことありませんよ……」
 
ルイは不安に感じていた。アールが何気なく口に出した友達の話。自分が口にした話は現実的ではないことに気づいてしまうのではないだろうか。そして気づいたときには、彼女の心に痛みが生じるのではないかと。
 
「久美は美人さんなんだよ。結構男子に人気でね、しっかり者だし、実は私久美に憧れてたりして」
「そうですか……」
「久美とルイが並んだらきっと完璧な……」
 
アールの口が止まり、ルイは、直ぐに察した。今、悲観な現実に気づいたのだと。孤立した自分の存在、叶えられない、非現実。
 
「完璧なカップルかもね」
 アールは、渇いた笑いをこぼした。「まぁ……紹介出来たらの話だけどね」
 
無理に笑顔を作って視線を落としたアールに、ルイは濡れた食器を差し出した。
 
「え?」
「すみません、やはり手伝って貰えませんか? 眠くなってきたので早めに就寝したいと思いまして」
「……あ、うん」
 ルイはアールにもうひとつの布巾を手渡すと、2人で食器を拭いた。
 
「ありがとうございました、おかげで早めに終わらせることが出来ました」
 そう言ってルイは食器等をシキンチャク袋に仕舞った。「では、僕たちももう寝ましょう」
 
アールは少し考えてからテントに向かうルイの袖を掴んだ。──言わなければ。優しさに気づいたのなら、ちゃんと。
 
「ごめんね、ありがとう」
「…………」
 
ルイは思わず、全てを見透かしているようなアールの真っ直ぐな瞳に見入ってしまった。──この目に、いつか、世界の未来が映る日が来る。その景色は闇に覆われているのか光で満ち溢れているのか、今はまだわからない。
そしてもしかしたら……この瞳に自分が映らなくなる日が来るのかもしれない。
 
「ルイ?」
「あ……いえ、僕はお礼を言われるようなことは何も」
 
アールは優しく微笑むと、「ほんと優しいね」と言ってテントへ入って行った。
 
「…………」
 
彼女の笑顔は、いつだってどこか悲しみに染まっている。
ルイは気づかないふりをするしかなかった。
 

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