voice of mind - by ルイランノキ


 声涙倶に下る13…『証拠はここに』

 
アールとシドが森から戻ってくると、円状の石段の上でベンが腕を組んで待っていた。
アールはベンの表情を読み取ろうとしたが、長い年月嘘を積み重ねてきたその顔は仮面のように素顔を覆い隠していた。
 
3人は石段の上で向かい合わせに立った。重苦しい空気が流れている。
最初に口を開いたのはアールだった。
   
「ベンさん。シドのお姉さんとのこと、知っている真実を全部話してください」
 もう彼に逃げ場所はない。逃がしはしない。
「あぁ。きっと、ワードもそれを願っているだろうな」
「…………」
 
深いため息をついたベン。彼の口から真実が語られる……シドとアールはそれを願った。
もしも数年間嘘をつき続けてきたその口で真実を語ったならば、シドの中でベンに対する思いが変わるかもしれない。時には兄のように、時には父のように寄り添い、剣術を教えてくれたベンとワード。シドにとっては姉と同様に、今の自分を作り上げるのに欠かせない必要不可欠な二人だった。
 
けれど、ベンの口から次から次へと出てくるのは嘘ばかりで、真実などどこにもなかった。これまで通り、ワードと口を揃えて伝えてきた自分達を守る嘘を真実のように平然と吐き続けた。
 
「ヒラリーはあの日、心に傷を負ったのは確かだ。お前にとってはしっかりした姉かもしれないが、当時はまだ幼かったんだ。俺やワードからしてみれば大したことない魔物だったが、彼女にとっては巨大な化け物に見えたことだろう。あの事件の後も、暫く眠れなかったと聞いた。小さな物音にも目を覚まし、魔物がいるのではないかと怯えていたそうだ」
 
アールはベンの話を聞きながら、心が悲しく沈んでいくのを感じた。
人を傷つけ、裏切り、騙し、今その行いを懺悔するチャンスが訪れても尚、自身を守ることを優先する。真実をもみ消す嘘をつらつらと並べる。残念そうな顔を作って。
 
吐き気がした。
彼らにとってシドはなんだったのか。シドにとって彼らはかけがえのない存在で、慕っていたというのに。そんな純粋な彼の気持ちも、お姉さんたち思いにも一切揺らぐことなく平然と踏みつぶして堂々と生きている。
 
この人はもう、救いようがないと思った。
 
「俺たちはヒラリーの様子が気がかりで、何度も様子を見に行った。あるとき、ヒラリーの態度が大きく変わったんだ。俺たちを見て怯えるようになった。はじめはなぜかわからなかったが、まるであの時の魔物を見るような目つきに、俺たちは黙って彼女の心の傷を受け入れた」
 
それまで黙って聞いていたシドが、口を開いた。
 
「姉さんが嘘をついているってことか」
 低い声で、確かめるようにそう訊いた。
「──いや、彼女の中ではそれが真実なんだろう。彼女の心の傷を考えると、安易に嘘だと言うには酷過ぎる」
 
 吐き気がする。この人の生き方に。この人の存在に。
 この人のすべてに。
 
「なにそれ」
 アールは呆れて鼻で笑った。どうしようもない怒りが込み上げてくる。嘘が上手い詐欺師。
「君は直接ヒラリーと連絡を取り合っている。それも女同士だ。俺の話を信じないのも無理はない。無理に信じろとは言わない。証拠もないわけだからな」
「でたらめ言わないでよ」
 と、アールはベンを睨み付けた。「認めたくせに」
 
悔しくて涙が滲んだ。でも私が泣いたところでなんの意味もない。
少しでも彼の更生に期待をした自分が情けない。
 
「なんの話だ」
「ワードさんと二人でヒラリーさんを襲ったこと、認めたじゃない」
「なんの話だ。認めた覚えは無い。君こそでたらめを言うな。ヒラリーの肩を持ちたいのはわかるが、嘘までついてやってもいないことを認めさせようとするのは間違っているんじゃないか?」
「……シド、信じちゃダメだよ。お姉さんのほうが正しい。お姉さんは嘘をつくような人じゃないのはシドが一番知っているでしょ?」
「…………」
 シドは黙ったまま視線を逸らした。
「なんで迷うの? 血の繋がった家族でしょ?!」
「君はなぜ彼女を信じれる。精神に病を持った人間がどうなるか、君自身がよく知っているんじゃないのか?」
 ベンはそう言って、困惑した表情でアールを見遣った。
「私は……私は確かに頭がおかしくなったけど……」
「人は決して強い生き物ではない。脆く、弱く、すぐに惑わされる生き物だ」
「うるさい……わかったようなこと言わないで……」
 と、アールは一歩ベンから後退りをした。
「君ならヒラリーの心にもっと寄り添えるんじゃないか? と言っているんだ。もっと彼女の話を聞いてやってほしい。俺にはそれが出来ない。だが君は」
「やめて!」
 アールは両手で耳を塞いだ。
 
頭がおかしくなりそうだ。彼はちゃんと認めた。あの証言は確かだ。
ふいに、シオンの顔が浮かんだ。初めて見るシオンの顔。久美に似ていると錯覚していた。私の頭はおかしい……? じゃあベンが認めたあの証言は……? 本物……? ヒラリーの精神がおかしい? ちがう……そんなはずない。間違ってない。私はおかしくない。
 
 わたしはおかしくない!!
 
3人の様子を、ヴァイスは崖の上から見守っていた。ルイも、離れた場所から成り行きを見ている。シドがなにを信じ、これからどの道を選ぶのか、見届ける必要があった。
カイはジャックを連れて適当に森の中を歩き回っていた。目的の場所などない。頭の中はシドのことでいっぱいだった。
 
「おい、大きい岩ってのは、どこにあるんだ。まだか?」
 と、ジャック。
「…………」
「おい!」
 ジャックはカイの腕を掴んで足を止めた。
「え?」
「大きい岩だよ」
「大きい岩?」
「怪しい大きい岩があるから退かして欲しいんだろ?」
「……あ、うん。えーっとね」
「なんだ、嘘か」
 と、見抜いたジャックは腰に手を当て、ため息をついた。「どういうことだ」
「向こうのほうじゃないかな」
 カイは適当に指差した。
「話せ。なにが目的だ」
「…………」
 カイは目を泳がせる。
「“俺にも”話せないことか」
 と、意味深に言う。
「……アールが、シドとベンと3人で話したがってて」
「それで俺を連れ出したってわけか。なんの話だ」
「お姉さんのことじゃないかな。シドとベンの間に亀裂が入るかも。そしたらシドはもう……」
「組織にはいられなくなる、か」
「…………」
 カイは曖昧に頷く。
「だったらこんなところにいる場合じゃねぇだろ。戻るぞ」
 と、ジャックは引き返す。
「え、まってよ!」
 と、後を追う。
「なにも邪魔はしねぇよ。お前だって心配なんだろう?」
「そうだけど……」
「俺も亀裂が入っちゃ困るからな。……まぁ亀裂はとっくに入ってるんだろうが」
 
ベンは動揺しているアールに近づいて優しい声で言った。
 
「大丈夫か? 君はいつもどこか余裕がないように見える。少し落ち着いたほうがいい」
「わたしは間違ってないッ!」
 キッとベンを睨みつけたアールは、ポケットから携帯電話を取り出した。
 自分の世界から持ってきた携帯電話だ。
「これ、なんだと思う?」
 と、ベンに問う。
「携帯電話だろう」
「そう。でもこの世界の携帯電話じゃない。私が自分の世界から持ってきた携帯電話」
 アールはそう言って、シドの横に移動した。シドは怪訝な表情でアールを見遣った。
「なんだよ」
「証拠ならここにある」
「…………」
 
アールは携帯電話を起動させ、祈る思いでボイスレコーダーの録音フォルダーを開いた。そして、音量を最大にして再生ボタンを押した。アールの声が流れた。
 
《ベンさん》
《なんだ?》
 
《なんだ、言いにくいことか?》
《ヒラリーさんに、連絡しました?》
《…………》
《ヒラリーさんから私に連絡があって》
 
「おい……」
 と、ベンが言ったが、シドが彼を睨み付けた。
 
《そうか。連絡したよ。シドのことを心配しているようだからな》
《どんな風に心配を?》
《……なにが訊きたい》
《シドに余計なことを言うなと、ヒラリーさんに口止めしたそうじゃないですか》
《なんのことかさっぱりわからないな》
《とぼけないでください。ヒラリーさん本人から聞いたんですから》
《その本人が精神不安定でも言っていることを信用するのか?》
《彼女は正常です》
《俺にはそうは見えない。ありもしないことをでっち上げ、信じ込んでいるんだからな》
《それは、ベンさんとワードさんが彼女を襲ったという事実のことですか?》
《それは事実ではない》
《私には彼女が嘘をついているようにも、頭がおかしくなっているようにも思えません》
《それはそうだろう、知り合いを疑いたくないのは当然だ。──俺は別にかまわないと思っている》
《なにが……?》
《悪者にでっち上げられたことだ。まぁ、はじめは冗談じゃないと思ったがね。助けてやったのに悪者に仕立て上げられてしまったんだから。──でもな、幼い頃に負ったヒラリーの心の傷はそれだけ大きかったと思うと、俺たちを悪者にして怒りをぶつけ恨むことで少しは楽になるのなら、悪者でいいとさえ思えてきたんだ》
 
アールはベンの顔を盗み見た。諦めたように不貞腐れた顔で立っている。
あの証言は紛れもない事実だった。頭がおかしい私の頭の中だけで作られた妄想ではなかったことに、安堵した。
 
《ワードはもういなくなってしまった。俺しかいない。だから尚更、放ってはおけない。ワードのやつもいつも彼女たちを気にかけていたんだ。俺たちにとってシドも彼女たちも他人とは思えない。家族だと思ってる》
《矛盾してる》
 と、アールの声。
《なに?》
《ワードさんが言っていたことと、矛盾してるって言ったの》
《…………》
《あなたは最低な人間だね。クズの中の、クズ。ワードさんはあの日のこと酷く後悔してた。人間って、死に際になると色々思い返すみたいだね。あの日のことも鮮明に思えてるって言ってた。あなたも死に際になれば反省するの? 逆に、死に際にならないと反省できないの?》
《なんの話だ……》
《ヒラリーさんのこと、どうしても聞き出したくてワードさんに会いに行ったの。死ぬ間際にね。脅さなくても自ら吐いてくれたよ》
《ふん、なにを吐くというんだ。吐くようなものはない》
《ワードさん、ベンさんのことをあいつは最後まで認めないだろうって言ってたけど、ほんとその通りだね。でも、それでもあいつのことは許してやってくれって言ってたよ。貴方はさっき嘘で言った言葉も、彼は本当に心から言ってたよ。自分が悪者になるからって》
《なにを言っている……?》
《あなたが言い出したんでしょ? ヒラリーさんたちに悪戯しようって》
《……はぁ?!》
《ワードさんははじめ止めようとしたけどあなたは言うことを聞かなかった。それでも止めればよかったって後悔してた。でもベンさんはただ少しヒラリーさんたちを脅したかっただけで実際に手を出そうなんて思っていなかったはずだから許してやってほしいって! どうせ自分は死ぬから俺が全部責任とるからヒラリーさんたちには全部俺が仕組んだ事だって伝えてくれって!》
《なんのことだよッ?!》
《あなたとは大違いだね! ──結局、彼もグルになったんだから同罪かもしれないけど、でも彼は後悔していたし、本当のことを話してくれた。それに比べてあなたは全く反省してない……》
《おいおいおいおい待てよ……冗談じゃねぇぞ。先に言い出したのはあいつだ! 俺じゃねぇ! ガキに興味があんのはあいつの方だ!》
《死に際の人間が嘘つくわけないでしょ! それに泣いてたんだから!》
《冗談じゃねぇ!! あのヤローでたらめ言いやがって!! 女を犯したがっていたのは俺じゃないワードだ!!》
《死んだ人間は否定できないもんね! いくらでもワードさんのせいに出来るからってあんたこそでたらめ言わないで!》
 
《なんの騒ぎだ》
 と、ヴァイスの声が入る。
《……別に。平然と嘘並べるからムカついただけ》
《嘘をついたのはワードだ! 最後の最後に裏切りやがって……》
《でも、認めましたね。襲おうとしたの》
《だからなんだよ。証拠はねぇよ。何年前の話だと思ってんだ》
《今自分で証言したじゃない! ちゃんとシドに伝えて。本当のことを言ってちゃんと謝罪して。ヒラリーさんにも頭を下げて!》
《嫌だと言ったら?》
《真実を伝えることがそんなに怖いのか。罪を共有するものがいなくなり、独りぼっちだから心細いのか》
 と、ヴァイスの声。
《なんだと……》
《シドを敵に回せば、自分の立場が危うくなるからか?》
《ふん、あんなガキ……》
《だったら告白するんだな》
《悪い事をしたら謝るように教わらなかったの?》
 と、アールの声。
 
《……それでいいのか?》
《え?》
《お前等はそれでいいのか? と訊いているんだ。シドが俺に牙を向ければどうなるか。組織からの追放だ。組織を乱すものは消されるんだぞ》
 
笑いを含んだその声は、ボイスレコーダーにしっかりと録音されていた。アールが気づいたときにはシドがベンを押し倒し、刀の刃がベンの首の横を突いていた。
 
「……シドごめん。ワードさんから聞いたっていうところは、嘘だから。ワードさんからはなにも聞いてない」
 アールはそう言って、携帯電話をポケットに仕舞った。
 

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