voice of mind - by ルイランノキ |
「いってらっしゃい」
と、仕事へ向かうワオンを見送るのはミシェルだった。
「なんださっきから元気ねぇな」
靴を履き、ミシェルを見遣った。「具合でも悪いのか?」
「ううん、ただ……ちょっと」
「なんだよ。話なら聞くぞ?」
「大したことじゃないから」
「いいから話せ。話せば楽になるかもしれないだろう。ゆっくり話したいなら帰ってからでもいいが」
「ほんと大したことじゃないの。アールちゃんのこと」
「あの子がどうしたんだ」
「最近……なんだか避けられてるような気がして」
「なんかやったのか? 気のせいじゃないのか?」
「身に覚えは……最近どうでもいいことで連絡しすぎたかなってくらいで」
と、ミシェルは視線を落とした。
「忙しいだけだろう。彼女たちは日々命の危険と隣り合わせの生活をしてるんだ。ミシェルとゆっくり話す余裕もないときくらいあるんじゃないのか?」
「そう……よね。そうだよね……」
シドくんのこともあるし、とミシェルは思った。
「気にしすぎだ」
ワオンはミシェルの頭にポンと手を置いた。
「最近ね、結婚したりとか仕事も順調だし、友達も出来たし、浮かれすぎてたのかも」
「いいことだと思うが」
「そうかな」
「今日は休みだろ? 気晴らしに出かけたらどうだ」
「そうしたいけど大掃除もしたいの。ここ最近忙しくて手を抜いちゃってたから」
「掃除なんかいつでもできるだろう? 映画でも観てくるといい」
「……そう?」
「他の男に声掛けられるなよ?」
と、ミシェルの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「掛けられないわよ」
と、頬を膨らます。
「自覚しろ、お前は美人だ」
「?!」
ワオンはミシェルに行ってきますのキスをして、家を出て行った。ミシェルは目を丸くしたあと、照れくさそうに笑って居間へ戻ると、つい携帯電話を取り出してアールに電話をかけそうになった。「聞いてよワオンさんったらね」と、話したくなったのだ。
「いっけない。アールちゃんは忙しいんだった」
それに落ち着いたらこっちから連絡する、と留守電に入っていたのだ。むこうから連絡が来るまでは控えたほうがいいだろう。
ミシェルは掛け時計を見遣り、時間を確認した。お出かけするのはお昼からにして、午前中は布団をたたんで、洗濯物を洗濯機に放り込んで、干して、それから映画にでも行こう。
「でもひとりで映画ってちょっと寂しいわね」
と、虚空を見遣る。
職場で仲良くなった人は今日バイトだって言っていたし、他に誘えそうな友達は正直いない。
「あ、モーメルさんどうしてるかしら」
ミシェルは携帯電話からモーメルの自宅に電話をかけた。
呼び出し音が鳴る。ミシェルは寝室に移動しながらモーメルが電話に出るのを待ったが、なかなか出ない。
「忙しいのかしら……」
片手で布団のシーツをはがし、枕のカバーも外した。何度もコールが鳴っているが、出ない。仕方なく電話を切った。
「たまにはひとりでもいっか」
携帯電話を充電器に挿し、布団カバー等を洗濯機へ運んだ。
その頃モーメルは自宅裏の畑にいた。薬草を収穫し、外にある水道で洗い流す。電話が鳴っていたが、出る気はなかった。緊急ならもう一度かかってくることだろう。
薬草を洗い終えると薬草を入れた笊を持ち上げ、腰を伸ばした。──ギップスはうまくやっているだろうか。携帯電話の番号は知っているが、あせらせないほうがいいだろうとこちらからは連絡しないことにした。彼はどこか抜けているところがあるが、頼りになる男だ。信じて待とう。
薬草を室内に運び、台所で小さく刻んだ。それからグツグツとたぎっている鍋の中へ入れると、その隣にあった瓶に手を伸ばした。透明な瓶の中にはしゃくとり虫が蠢いている。とんとんと瓶の底を軽くテーブルに叩きつけると、蓋の付近に這い上がっていた虫が底に落ちた。蓋を外し、たぎっている液体を瓶にすくってから、液体の中で浮かんでいる虫を鍋の中へ全て流し入れた。おたまで混ぜ合わせ、冷蔵庫からピンク色の液体を取り出してそれも鍋の中へ入れた。鍋の中の液体はみるみる色を変えて、琥珀色に変化した。
モーメルは鍋をかき混ぜながら、刻々と過ぎてゆく時間を感じた。
自分に与えられた時間はあとどのくらいだろうか。
──と、また電話が鳴った。
鍋の火を弱火にして、台所を離れた。ガラクタに埋もれた電話を棚から引っ張り出して受話器を耳に当てた。
「なんだね。誰だい」
『相変わらず元気そうじゃの』
「…………」
いつぶりかに聞くその懐かしい声を、忘れるはずはなかった。
「……なんの用だい」
と、今度は少し落ち着いたトーンで言い直し、椅子に座った。
『彼女たちは無事にアリアンの塔へ向かったよ』
「…………」
アールたちのことだとすぐに察する。
モーメルはポケットから煙草を取り出して口にくわえた。
『煙草は美味いかの?』
「?!」
火をつけて吸っていたら咳き込んでいるところだ。煙草を吸っているなどと話した覚えは無かった。
「おしゃべりな娘だね。いや、騒がしいバカの方かい」
アールか、カイが話したのだろう。余計なことを、とため息をこぼす。
『身体に悪い』
「あんたに言われたくはないね。それに老い先短い身だ。なにをしようがあたしの勝手さ」
『…………』
モーメルは煙草に火をつけ、一服した。電話の向こうでも煙草を吸っていると思われる息遣いが聞こえた。
『なにを考えておる』
「…………」
『風の噂で取り返しのつかないことをしようとしていると聞いたがの』
「…………」
『一番弟子が動き回っているようじゃが』
「まったく、おしゃべりばっかだねぇ……」
『…………』
「…………」
『モーメル』
「…………」
『力になるぞ』
「…………」
モーメルは驚き、笑った。
「止められるとばかり思ったがね」
『止めても無駄じゃろ。お前さんのことはよう知っておる』
「…………」
『生き急ぐでない』
「……ヴァニラが死んだ」
モーメルは立ち上がると、モニターの電源を入れた。
『…………』
「役目を終えて死んでしまった」
『…………』
「死んでしまったよ……」
Thank you... |