ル イ ラ ン ノ キ


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マ ザ コ ン 事 情
一番大切な人、母。一番大好きな人、母。
 
「たっくん、今日はどんな一日だった?」
 
「色々あってちょっと疲れたよ」
 
「そう……おつかれ様」
 
「ありがとう、母さん」
 
「一日一善。今日はいいことした?」
 
「えっと……落とし物を拾って届けたよ。それだけだけど……いいことにはならないか……」
 
「そうなの、偉いわね。いい子いい子。たっくんはママの自慢の息子よ?」
 
「ありがとう」
 
「ママね、たっくんのこと、だぁーいすき」
 
「俺もだよ」
 
──こんな会話を、二十歳を越えた今でもしている。
仕事から帰って毎日母の声を耳元で聴く。
 
好きな女性のタイプはと訊かれたら、母のような人だと即答する。俺は母無しでは生きられない。そんな俺だから、彼女なんて出来やしなかった。みんな俺のマザコンっぷりを知ってドン引きだ。
けれど、母の存在を疎ましく思うような女なんか、こっちから願い下げだ。いつも俺の味方で、いつも俺を支えてくれて、傍にいてくれる母を受け入れてくれない彼女なんか、いらない。
 
「お前いい加減、母ちゃん離れしろよ」
 
幼なじみの森脇に何度言われただろう。わかってはいるんだ。この年になっても母を必要として、母に頼ってばかりで、母に依存してしまっている俺は異常なんだろうなと。
 
「母ちゃん好きなのはわかるけど、そろそろ母ちゃん以外の女を好きになって、時に甘えて、支えてやれよ。母ちゃんだって望んでるんだろ?」
 
──そう。母はいつも、「素敵な奥さんを見つけて、幸せになりなさいね」と言う。
 
それがいつも寂しくて、耳を塞いだ。
いつかは母から離れなければならないと思う反面、誰にも迷惑をかけていないのだから別にこのままでもいいのではないかと思えてくる。
 
「拓哉くんってお母さんの話ばっかだね」
 
いいなと思い始めていた女の子に、引き攣った顔でそう言われて、冷めた。
母親の話をしてなにが悪い。言ってみろよ。お前に迷惑かけたか? 話がつまらないならお前から別の話を提供しろよ。誰だって、好きなことや好きなものの話をするのは好きなはずだ。誰だって、楽しかったことの話をしたがるはずだ。それが俺にとって“母さん”なだけで、なぜ批判されなきゃならないんだよ。親父の話をいくらしても「面白いお父さんだね」とか、嫌な顔ひとつしないくせに、母親の話になると顔色を変える。
 
マザコンってそんなにいけないことなのか? 母親を大切に思うことがそんなに可笑しくて恥ずかしいことなのか? 俺にはわからない。
 
「素敵なお母さんだね!」
 
あるとき、森脇が俺のためにと開いた飲み会で知り合った女の子がそう言った。別に驚きはしない。だいたい最初はみんな笑顔で相槌をうつんだ。次第にうんざりした顔になって、話を変えようとする。
だけど彼女は違った。
 
「うちのお母さんなんてさ、ズボラだから大変だよ。普通はさ、親が子供に『部屋の掃除しなさい!』って言うじゃない? うちの母は言わないの。なぜなら母の部屋の方が汚いから」
 そう言って笑う。そしてさらに話を続けた。
「むしろ『ちょっと自分の部屋掃除してないでお母さんの部屋の掃除手伝ってよぉ……』とか言うんだよ? 拓哉くんのお母さんとは真逆だよね。拓哉くんのお母さんは掃除も好き? 得意だったりする?」
 
話を変えるどころか、ぐいぐい踏み込んできて、思わず後ずさりそうになった。けど、おかげで気兼ねなく母のことを話せた。
彼女は俺の母さんの話を聞きながら、驚いたり、笑ったり、感心したり。表情が豊かな子だなと思った。
飲み会が終わって、森脇が気を遣って俺たちをふたりきりにさせてくれた。ぎこちなく二人で駅までの道を歩きながら、すっかり暗くなったねと会話を始めた。
 
「拓哉くんて飲み会とかよくするの?」
「いや、あまり。森脇がしつこくて。あ、森脇わかる?」
「うん、仕切ってた人でしょ? あの人おもしろいよね」
「あいつはおもしろい人どまりなんだよいつも」
「おもしろい人どまり?」
「いい人どまりじゃなくて、おもしろい人どまり。彼氏じゃなくて、友達にしたいタイプらしい」
「あぁ! わかるかも!」
 
会話は弾んだ。彼女は自然体だから、一緒にいて楽だった。こういう子なら、母さんも喜んでくれるんじゃないかと思う。
 
「ねぇ、拓哉くんのお母さんって、料理上手なんだよね?」
 飲み会の席で、母が作るオムライスが美味いと話したのを思い出したらしい。
「うん、上手いよ」
「そっか、そっか」
 と、鼻歌を歌う彼女。
「どうした?」
「ううん。やっぱりうちの母とは正反対だなーって。うちのお母さんは冷凍物ばっかなんだから」
 
恥ずかしそうに、困ったように笑う彼女の笑顔に、俺は惹かれていった。
好きになるのが早い気もしたけれど、人を好きになる時間なんて関係ない。一瞬で好きになる人もいれば、友達関係を続けてくうちに次第にゆっくりと好きになる人もいる。時間は重要ではないと思う。
 
駅についた俺は、改札口まで彼女を送った。
 
「ごめんね、てっきり拓哉くんも電車かと思ってた」
「いや、いいよ。どうせ暇だったし」
「暇つぶしかぁ」
 と、少し悲しげに笑う彼女に、どきりとする。
「いや、違う……えっと……もう少し話をしたかったんだ」
「ふふ、無理しなくていいよ」
 
無理してないんだけどな。
 
「じゃあね」
 と、手を振る彼女。
「あのさ」
「ん?」
「また会える? 会いたい」
 
人付き合いは苦手だ。彼女なんか出来たことがないから、口説き方もよく知らない。ストレートに行くしか、出来ない。
 
「……いいよ?」
 恥ずかしそうに笑って答えてくれた。
 
その日は連絡先を交換しただけで終わった。女性と次の約束をしたのはどのくらいぶりだろう。大抵、母の話をしすぎて距離を置かれるのがオチだった。
 
──母さん、好きな人ができました。
  
母さんに報告しないとな。そう思いながらバス停へ向かう。ポケットから取り出したイヤホンを耳につけた。
 

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©Kamikawa

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