ル イ ラ ン ノ キ


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限りなく0に近い1
 
黒板の右上にあるスピーカーから、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。みんな一斉に席を立ち、トイレへ行く人、売店へ駆け出す人、友達とひとつの机を囲んで弁当を食べる人など、様々だ。
俺は一番後ろの窓際の席で、鞄から今朝コンビニで買った焼きそばパンを取り出した。机には数学の教科書を広げたまま、パンにかぶりつく。時折眼鏡をかけ直しながら教科書に載っている数式を、頭の中だけで解いていった。
数式を解いている間は集中している。クラスの誰かが俺の噂話をしようが、全く耳には入らないし、教室の後ろで丸めた紙を投げてホウキを振り回し、野球ごっこをしている人がいても気にならない。
 
だけど、ハッと気が散る瞬間があった。それは、クラスメイトの西村ユカリが俺の席の近くを通ったときだ。いくら数式を眺めても、意識は彼女へと向けられてしまい、全く頭には入ってこなくなる。
 
「あ、ユカリー、どこ行ってたの?」
 西村といつも連るんでいるクラスの女子がそう言った。
「隣のクラスに行ってたの。友達に教科書を貸してたからね」
「へー、もしかして男子?」
「そんなわけないじゃない。女子だよ、めぐちゃん」
「なーんだ。てっきり彼氏でも出来たのかと思ったのに。ユカリってさ、好きな人いないの?」
 
俺はパタリと教科書を閉じた。焼きそばパンを食べ終わり、パンが入っていた袋をくしゃくしゃに丸めた。
 
「……好きな人なんて今はいないかな」
「ほんとにー?」
 
俺は席を立つと、廊下に出た。ちょうど教室に入ろうとしていた北川ゆうすけと目が合った。
 
「お、石井じゃん。数学の課題やった? テストどうだったよ」
「当たり前だ。満点しか有り得ない」
「ははっ、さーっすが秀才だなぁ、俺は30点だったぞ」
 
そう言って北川は教室に入った。自慢げに言うことか……?
俺は階段を下りて売店に行き、パンの袋を捨ててから牛乳を買った。その場で飲み干し、パックを捨て、眼鏡をかけ直した。
北川は女にモテる。その理由は俺もよく知っている。俺とあいつは幼なじみだからだ。北川はスポーツ万能で、顔だって所謂イケメンの部類に入る。昔はそうは思わなかったが、高校に入ってから垢抜けたというべきか、随分とお洒落になって、ますますモテるようになった。性格も、悪くない。あいつが人の悪口を言っているところなんか見たことも聞いたことも無い。俺が知っている限りキレたこともない。男女隔てなく誰とでも仲良くなれる。──俺とは正反対の男だ。
俺が唯一あいつに勝てるのは、学力だけだった。男の俺からしても、あいつはカッコイイ。もし俺があいつなら……。
 
「…………」
 
俺があいつなら、とっくに西村に告白しているかもしれない。
教室へ戻ろうと階段を上がっていると、階段を下りてきた女子に声をかけられた。
 
「石井君」
 
俺は話しかけづらいらしい。クラスの誰かがそう言っていた。そんな俺に話しかけてくる女子は俺が落とした物を拾ったか、先生が呼んでいたという伝言くらいだった。
だけど、顔を上げてドキリとした。俺に声を掛けたのは、西村ユカリだったからだ。
 
「……なに?」
 緊張を悟られまいと、めんどくさそうに訊いてしまう。目もまともに見れやしない。ずり落ちてもいない眼鏡をかけ直した。
「ちょっといいかな……相談があるの」
「……え、俺に?」
「うん」
 
──どういう展開だ?
階段を行き交う生徒たちの視線を感じた彼女は、ここでは話しづらいと言い、校舎の裏へ移動した。
ダサいかもしれないが、ありもしない期待をどこかでしてしまう。期待してしまうたびに数字が頭を飛び交う。ろくに彼女と話したことはないが、突然話しかけられ校舎裏に連れていかれた俺が、このあと告白される確率は……10%くらいか。
 
「俺に相談って、なに」
 そう訊きながら、告白じゃなくても、勉強に関する相談でもいいと思った。だけど。
「あ、あのね、ゆうすけ君って、彼女いるのかなぁ……」
「…………」
 
舞い上がりすぎてすっかり忘れていた。あいつの存在を。以前にも女子に話しかけられて、あいつのことを訊かれたことがあった。──改めて計算をし直す。
ろくに彼女と話したことはないが、突然話しかけられ校舎裏に連れていかれ、イケメンでモテる幼なじみがいる無愛想な俺が彼女に告白される確率は……ゼロ。もしくはゼロに限りなく近い、1。
 
「なんで俺に訊くんだよ……直接あいつに訊けばいいだろ」
 少し語調が強くなり、しまったと思う。
「うん……そうだね、ごめん……」
「……まぁあいつとは幼なじみだけど、中学くらいからあまり話さなくなったし。俺なんかよりあいつと仲のいい奴なんか沢山いるんだから、そいつらに訊いたほうがいい。あいつに彼女がいるかどうかは、俺は知らない」
 そう言いながら、久々にこんなに長く喋ったな、と思う。
「そっか……ごめんね。石井君って、口堅そうだったから……」
 
堅いというか、俺はあまり人と話したがらないだけだけど。
 
「俺が……訊いといてやろうか?」
 
自分の想いは封印して彼女の役に立てるならそれでいい……など、そんなカッコイイことを思っているわけもなく、俺はただ自分があいつに訊いておくことで、また西村ユカリと話すきっかけが得られると思っただけだった。
格好悪いと自分でも思う。だけど自分にカッコつけたってしょうがねぇとも思う。
 
「ほんとに? いいの?」
 西村は嬉しそうに笑顔で言った。不覚にもその笑顔を可愛いと思ってしまった。
 
──あんなやつやめとけよ。
そう言えるほどあいつが最低な男だったらよかったのにと、一瞬でも思った俺はクズ人間だな。そう思いながらも、クズ思考は止められなかった。あいつに彼女がいればいいと思った。西村の相談に乗ってるうちに親しくなれたらと思った。
 
そんな自分に嫌気がさした。
 

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©Kamikawa

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