ル イ ラ ン ノ キ


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泣き叫ぶ私をうつ伏せにし、力任せに取り押さえたのは二人組みの髭面の男だった。カチャカチャと後ろ手に手錠を掛けられる。
身動きが取れなくなった私を覗き込むように、スーツ姿の女性が近づいてきた。その女性はパンやスープなどの食事を運んできて、部屋の隅に置かれた質素な木のテーブルの上に置いた。その振動でカチャカチャと食器が触れ合う音がする。

「また幻覚を見たのね」

哀れむような目で私を見る。
私は咄嗟に彼女に掴みかかろうとした。出来るわけもないのに。

「重症ね……」
「無理もない」
 男はそう言って、私を宥めるように言い足した。
「君は自分の母親と、親しくしていたお隣さんが連続殺人犯の男によって切り刻まれて殺されたんだ。君が第一発見者なんだよ。君はその日、海外旅行に行っていて助かったんだ。本当は帰ってくる予定だったのに」
 すると今度は女がため息混じりに言った。
「殺されたのは夜10時頃。あの日、あなたは自分が予定通りに帰宅していたら、その時間なら自分は絶対に起きていたし、小さな物音に気付いて避難できたかもしれない。そんな風に思って自分を責めて精神的に頭がおかしくなった挙句、薬に手を出したのよ」
 
なんで私は生きているのだろう。
事件が起きる前から繰り返し思っていた。
私はなんのために生まれてきたの? なんで私を生んだの?と。
母とはうまくいっていなかった。母が父と離婚した日から歯車が狂い始めて、家にいても会話なんてほとんど無かったから家に帰るのが嫌いだった。空気が重くて仕方が無かった。どんなに楽しいことがあった日も、家に帰るとそこはどんよりと暗く、じめじめしていて、吐きそうなくらい居心地が悪かった。
だからあの日も、友人と海外旅行に行って、帰国する日になってどうしても帰りたくなくてあと一日とわがままを言って帰らなかった。
 
「お願い……」
「なんだ?」
「お願いだから……私を殺して……」
 
私は父も母も好きだった。私にとってふたりは理想の夫婦だった。憧れだった。自慢の両親だった。私の知らないところで二人の会話がなりたたなくなっていたなんてまったく知らなかった。ふたりは完璧だったから。私と、人様の前では完璧な夫婦を演じていた。
だから離婚すると言われたとき、聞き間違いだと思った。離婚届を見せられて、「ごめんね」って言ったんだ。でもふたりは笑っていた。決してどっちが悪いとかではないと。円満に別れるんだと。綺麗に笑ってた。

でもそのあとひとりになった母を問い詰めたら、やっと本当のことを話してくれた。
私の父親は別の人だった。母は父と結ばれる前に、他の男性との子供を妊娠していた。父はそのことを知っていて、お腹の中にいる子供も含めて受け入れてくれた。でも結局、子供が生まれて成長するにつれて全く自分に似ていない娘に少しずつ心が蝕まれていった。「娘さんかわいいわね、お母さん似かな?」そう言われても、「お父さんにそっくりね」そう言われても、父の心は傷ついた。
それでも父は私を、母を、愛そうとしてくれた。神経すり減らしてまで傷ついた心を隠し通してきた。でもあるとき、その傷は隠せないほど大きくなってしまって、母が気付いてしまったんだ。

「君は生きるんだ。こんなことに負けてはいけない。お母さんの分も生きるんだ」
「いや……いや……」

私は母を責めたけれど、それはやり場の無い怒りをぶつけていただけ。本当は母を許したかった。私はみんながうらやんでくれた家族を失ってしまったことが悲しくて悲しくてしょうがなかった。大好きだった父を失ったことが悲しかった。それを一番側にいた母にぶつけたんだ。

母は父のことが大好きだったから、父が出て行ってからの母は死んだも同然で、家事など全くしなくなった。そこで思ったんだ。もしも私がいなかったらって。もしも母のお腹にやどっていなかったらって。

「死にたい……」

母を亡くして思う。私が誰との子供だろうが関係ない。この世に誕生してから今までずっと私を見守り育ててきたのはまぎれもなく私が知っている母と父だ。なんでもっとはやく、母の思い、父の思い、心の変化を受け入れることができなかったんだろう。秘密にされていたことや突然の環境の変化にばかり目をやって、もっと大切なものを見ていなかった。

現実に戻ってくる度に思う。生きていたくない。
辛い現実を受け入れてまで生きていたくはない。こんな思いをしてまで生きていかなければならない意味がわからない。自ら命を絶ってはならないと言って私を生き地獄に縛り付ける連中は私に哀れみの目を向ける。

だから私はまた幻覚を見る。
精神病院(ここ)では夕方になるとサイレンが鳴る。その瞬間に私の世界は切り替わり、泣き叫ぶ声が脳裏に響くのだ。そして私はみんなを守ろうと立ち向かおうとするのに、いつも助けられずに目が覚める。

その繰り返し。ずっと繰り返し。
永遠に助けることはない。
永遠にこの苦しみが繰り返され、解放されることはない。

壊れた人間は、安楽死させてくれたらいいのに。
野良犬や野良猫は簡単に殺処分するくせに、人間はなかなか死なせてくれない。

いつものようにまた暴れ出した私の手足を縛り、マニュアル通りに動く彼らが私にはアンドロイドに見えた。
私を救う気があるのなら、私を殺して。
 
 
──そして再びサイレンが鳴ったとき、私は家の中にいた。
布団の上で冷や汗をかいて寝ている私の横で、正座をしながら心配そうに私の顔を覗きこむ母の顔。
そのかれた声で私に言うの。

「また悪い夢でも見たのかい」
「……うん、精神病院の中で捕らわれてる夢」
「よしよし……」
 母はしわくちゃの手で私の頭を撫でた。小さな子供をあやすように優しく。
 
そして私は上半身を起こして、静けさに耳を傾ける。つんと鼻の奥を刺激する鉄のにおい。
 
「また誰か死んだの?」
「…………」
 母は疲れきった表情で小さく頷くと、視線を落とした。
「死体はどこ? 片付ける」
 と、立ち上がる。
「あんたがそんなことする必要はないんだよ……」
「いいの。どうせ誰かがしなきゃいけないんだから」
「いつもすまないね……」
「いいの。気にしないで」
 
バラバラに切り刻まれた人間の死体を見慣れた私は、いつも後始末に追われる。
外に出ると星空の下でバラバラになった人の死骸が転がっていた。握手をするように手を拾い上げ、黒いゴミ袋に入れて、足は重いから両手で持ち上げる。
 
私はふと立ち止まり、月を見上げた。
 
──いつも思う。
“私”はどこにいるのだろう、と。
 
どこからともなくサイレンが聞こえてくるたびに切り替わる。向こうの私は向こうを現実と言い、こっちの私は向こうを夢の中の世界だと言う。
私は存在するのだろうか。どこに? 私の本体は、どこにあるのだろう。
 
あの場所だって、夕方になるとサイレンが鳴る理由など知らない。そもそもあの部屋に時計もない。記憶を辿ろうとすればあとからいくらでも出てくる。後付設定のように出来上がってゆく。やっぱりあの部屋には時計があった。サイレンが鳴るのは庭に出ていた患者が館内に戻る合図。……そんな風に矛盾を消すように思い出(つくりだ)す。
 
目を覚ますと死んだ母が生きていた。じゃあこっちの世界が夢?
私の本体は向こうの世界にあって、こっちの世界は彼女が見ている夢?
矛盾が多いのは夢の特徴。矛盾ならむこうにだってある。むこうはいつだって夕方ではなかっただろうか。
“私”がふたつあるということに気づいたのは最近だった。
それは私が正常になりはじめている兆しなのかもしれない。

「ナオ」
 死んだはずの母が私を呼ぶ。

どこから夢で、どこからが現実なんだろう。

ここが夢でもいい。現実ではもう二度と会えない母も、ここなら何度でも会える。向こうの世界へ行ってしまっても、もう一度こっちの世界へ戻ってくれば、母がまた目の前に現れてくれる。母と、会話が出来る。大好きな母の声が聞ける。

「なに? おかあさん」
「今日は一緒に寝ようか」
「なにそれ。子供じゃないんだから」
 そうは言いながら、嬉しかったりする。

現実も、夢の中の世界も、どちらも地獄。
何度も母の死を見ながらも何度でも会えるのと、一生会えない、後悔に苛まれる痛みを抱えながらひとり孤独に生きてゆくのと、どっちも私には地獄。

だからきっと“私”はいつまでも分離して
いつまでも行き来して
いつまでもこのままなのだろう。

抜け出す方法はやっぱりひとつだけ。
誰か“私”を、殺してよ。
 

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©Kamikawa

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