ル イ ラ ン ノ キ


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午後八時過ぎ、萩原は誰もいなくなった生け花教室で後片付けをしていた。教室の後ろにある棚の上には生徒たちの数だけ花瓶が並べられ、それぞれに花が生けてある。普段は生徒たちが持ち帰ることになっているのだが、開設したばかりのホームページに生徒たちが生けた写真を載せるために今日は預かることになっていた。知り合いのカメラマンに頼んで明日、写真におさめてもらう予定だ。
同じ花を生けているというのに、人が違えば生けられた花の表情も違ってくる。

「飯塚さんは本当に表現力が豊かだわ」

心を和ませ、改めてひとりひとりの作品を眺めた。けれど最後の花瓶の前で眉をひそめた。生徒たちが花を生け、本来捨ててあったはずの取り除いた葉や枯れかけていた花が纏めて花瓶に刺さっている。

「……夏芽さんね。あの子はちょっとおかしな子だわ」

体験として訪れていた彼女に少し不気味さを感じたが、これも個性のひとつだと思い、そのままにしておくことにした。でもホームページに載せるのは控えよう。
床に落ちていた花びらなどをほうきで掃きながら、次回はなんの花を使おうかしらと頭を悩ませる。この時期は目移りするほど色とりどりの花が咲き誇り、どの花も主役にふさわしい。生け花教室を開いてまだ二ヶ月。生徒も少なく、素人ばかり。扱いやすい花を選ぶのが無難かもしれない。

掃除を終えると、教室の鍵を閉めてその場を後にした。

風のない、誰もいない静かな教室。
微かに誰かのすすり泣く声が響いた。その声は誰の耳にも届かず、空気中を漂い、消えた。

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月に3、4回、毎週木曜日に昼の部と夕方に開かれる生け花教室は、夏芽が訪れてから二回目を迎えていた。
教室に入った萩原は、真っ先に窓際に座っている夏芽に目をやった。あの日はあまり乗り気ではない様子からもう来ないだろうと思っていたのに、当たり前のようにそこに座り、あの時と同じようにつまらなそうに窓の外を眺めている。

「みなさん、こんばんは」
 萩原が教室の前に立ち、生徒に挨拶をした。
「こんばんはー」
 と、笑顔で返ってくる。今日は生徒が5人。昼の部では2人しかいなかった。
「今日はチューリップを用意しました。チューリップは見慣れた花ですが、改めて向き合うととても愛らしくて、こう、私たちに笑顔で語りかけて来るような明るいイメージがありますね。色によって感じるイメージが違ってくるのも楽しいかと思います。他には身近な菜の花や、ラナンキュラス、カスミソウなど、他にも沢山用意してみましたので、今日は可愛らしさをテーマに生けていきましょう」

萩原はそう言って、テーブルに置いてある平たい器に剣山を入れた。

「まずはお手本を見せますね」

赤いチューリップを手に取り、さまざまな角度から眺めて“正面”を決めた。3本ほど剣山に挿してバランスを見る。一輪だけ抜き、ハサミで長さを整えた。
萩原は真剣に花と向き合い、その間は一言もしゃべらなくなってしまう。生徒たちに背を向けて黙々と作業を続けた。チューリップの葉が邪魔に思い、そぎとった。チューリップの花びらの具合が気に入らず、一部だけ無理やり広げた。だんだんと自分の頭の中のイメージに近づいてゆく。思わず口元が歪み、興奮がこみ上げてくる。

不意に、教室が静か過ぎることに気がついた。けれどおそらく真面目に手本を見てくれているのだろうと、生徒たちに背を向けたまま、仕上げに取り掛かる。
花が喜んでいる。私の手にかかればどんな花も主役になれる。どんな花もより美しく見せられる。ほら、ありがとうって言ってるみたい。チューリップが私に笑いかけている。

「あとはカスミソウを空いているところに挿して……」
 と、萩原は足元に何か違和感を感じてその正体を確かめるように視線を落とした。

何か黒い液体が床を流れて、広がっている。
なにこれ。黒……違う、茶色? 床が茶色いからよくわからないわ。誰か何かをこぼしたのね。まったく、人が真剣にお手本を見せてあげようって思っているのに。

萩原は注意をしようと呆れ顔で振り返り、ぎょっと目を見開いた。

「ぎゃあぁああぁ!!」

女の悲鳴とは言いがたい濁った叫び声を上げながら尻餅をつく。ビチャリと床に広がっていた液体が萩原のお尻や手をぬらした。生温かい。
生徒たちのテーブルには大きな平たい器が置かれ、両腕や脚を切り落とされた生徒の胴体が器の中にある剣山に突き刺さっていた。もがれた腕や切りっぱなしの胴体からおびただしい血が流れ、器から溢れると真っ白いテーブルを伝ってぼたぼたと床から萩原の足元に広がっていた。

教室の一番後ろの席で剣山に刺さっている夏芽が、首を傾げ、萩原を凝視しながら口を動かした。

「せんせ……痛いよせんせー…」
「あ……あ”ぁ……あがっ……あ”」
 目を覆う残虐な光景に、萩原は声にならない声を漏らした。

血なまぐささが鼻をつく。この場から逃げ出そうと腰を抜かした体で床を這い蹲り、血まみれになりながらドアまでたどり着いたが、突然教室のドアが開いて生徒の一人、飯塚紀代美が入ってきた。
 
「あ……い、飯塚さん……助けて……」
 萩原は飯塚に手を伸ばした。
「いいですよ」
 と、無表情で答えた飯塚は、背中に隠し持っていた人の首をも簡単に切り落とせそうな大きなハサミを両手で持ち上げた。
「ぎゃあぁああぁ!!」
「先生、褒めてくださりましたよね、私の作品は表現力が豊かだって」
 じりじりと歩み寄ってくる飯塚から、尻餅をついたまま後ずさる。血でぬめった床に手を滑らせ、頭をぶつけた。
「でも先生、私ね、花が笑いかけてくれているように思えないんです。だから、先生、教えてください。先生は花の気持ちがわかるんでしょう? だったら花の気持ちになって、どこをどうしてほしいのか教えてください」
「や……やだ……たすけて……」
「大丈夫です、私なら他のみんなよりは綺麗にしてあげられます」
「お願い……こんなことはやめて……」
 萩原は手を滑らせながらも飯塚から距離をとり、とうとう背中に壁がぶつかってしまった。

テーブルの下には切り落とされた生徒の腕や脚が四方八方を向いて転がっている。ゴミ箱に捨てられる不要な部分だ。

「邪魔なものは切り落としましょう」
「おねがい……やめて……」
 萩原の目から涙が溢れ、顔に刻まれた皺を伝って落ちた。
「腕は動きまわるから邪魔です」
 と、飯塚は大きなハサミで萩原の右腕を挟み、バチン!と切り落とした。

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©Kamikawa

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