ル イ ラ ン ノ キ


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「それって白玉王子じゃん」
 と、奈央は言った。
「白玉王子?」
 そのニックネームに思わず笑う。

下校の時刻になり、生徒が騒ぎながら教室から出てゆく。私は机の中の教科書を鞄にしまった。

「白玉みたいに白くて顔は綺麗だから白玉王子。小さくて丸くはないけど」
「誰が付けたのそんな名前」
「わたし」
 と、奈央は人差し指を口元につけて言った。秘密らしい。
「変な名前つけなさんな」
 そう言いながらも響き的に結構好きだったりする。

章樹さんこと、白玉王子。

「お似合いじゃん」
 と、肘で二の腕をグリグリしてきた奈央。
「なにお似合いって」
 私は通学鞄を肩に掛けた。
「付き合っちゃえば?」
 ニヤニヤと。
「はぁ? なんでそうなるかな」
 女ってすぐそういう話に持っていこうとする。こういうところが面倒くさい。
「美男美女カップル、いいじゃん」
「あんたがよくても私は別に好きなわけじゃないし、向こうもそういう気はないし、そもそも恋愛にうつつ抜かしてる暇なんかないの。将来のことでいっぱいいっぱい……で……」
 言葉がつまる。
「どうしたの?」

そうか、ストレスの原因はそれか。やりたいことが見つからない。夢が見つからないまま生きてることの不安。

「なんでもない。さ、帰ろう」

夢を持ってる人が羨ましいし、持ってなくても今を楽しく生きてる人が羨ましい。どうにかなると思ってる人も羨ましい。
夢なんてすぐに見つける人もいればなかなか見つからない人もいる。焦ったところですぐ見つかるわけじゃあるまいし。──そう思ってはいるけれど、カチカチと進み続ける時計の針の音を聞く度に漠然とした不安が襲ってくる。人が楽しそうに笑っていたり、暇だとかつまんないと感じた時間と出くわしたときとか。私、なにやってんだろうって。そんな考えすぎる生き方、楽しいわけないのに。

帰り道を歩きながら、奈央の口から出る恋愛話は止まらなかった。

「でもさ、白玉王子、こっち系だって噂もあるんだよね」
 そう言って奈央は右手の甲を左の頬にあてた。
「え、おかまちゃん?」
「おかまちゃんっていうか、男好き?」
「へぇ」

そうは見えなかったけど、女好きって感じもしなかった。なんていうか、性を感じないというか、女性が好きとか男性が好きとか、そういう次元じゃなくてこの世に生きているもの全てに愛を捧げてそうな感じがする。要するに、超いい人オーラがハンパなかった。
彼の実家は寺なんじゃないかと思うほど。いや、教会のほうが似合うかな。

「結構モテるらしいんだけど、彼女いないみたいだし。アリーナに似てるかもね。モテるくせに恋人つくんないとこ」
「彼女をつくんないんじゃなくて、もう心に決めた人がいるんじゃない? 片思いか彼女かは知らないいけど」
「あのねぇ、彼女つくんないだけでこんな失礼な噂立つと思う?」
「なにそれ」
「夜な夜な、イケメンと仲睦まじく歩いてるとこ目撃した人結構いるらしいよ」
「ただの友達じゃないの?」
「肩組まれてホテル街に入っていったのに?」
「……まじで?」
「まじまじ大マジ。」

それはさすがにちょっと疑うかも。でもじゃあアレはなんだったんだろう。“隣に綺麗な人がいたら緊張してしまって”と言ったアレ。社交辞令的なやつ? 初対面の女性にはとりあえず綺麗だとお世辞を言っておく、みたいな。

「気になる人種だねぇ、実に興味深い」
 彼の恋愛対象がどっちであろうとどうでもいいのだけど、人としてなんか気になる。

途中で奈央と別れ、家路に着いた。通学鞄から鍵を取り出して玄関の鍵を開けた。
うちの両親は共働きで、母は夜の七時にならないと帰ってこない。家計が苦しいわけじゃなく、働くことが好きなのだ。誰かの役に立ち、誰かに認められることに生き甲斐を感じてる。そんな母に父は惚れているし、私は尊敬している。
小学生の頃は寂しいと思うこともあったけれど、小さい内からお留守番したり自分のことはほとんど自分でやってきたから人よりはしっかりしていると思うし、心が強くなったってところもある。

居間に移動して鞄を置いてから金魚に餌をやった。奈央と行った一昨年の夏祭りで掬った金魚だ。奈央の家にもいる。

「宿題なんだっけ……」

一人になると独り言を言ってしまう。誰かが近くにいるときは言わないからちょっと変わっているのかもしれない。誰かがいたら反応されてそれに答えて……と、独り言じゃなくなってしまうから。反応がほしくて独り言を言うわけじゃないし。
 
居間のテーブルに教科書とノートを広げ、ペンケースからシャーペンを取り出した。宿題をやりながら今日の夕飯はなんだろなとお腹が鳴った。

午後8時を過ぎても母は帰ってこなかった。遅くなるときは早めに連絡をくれるのに。なにかあったのだろうか。
宿題はとっくに終わって、バラエティ番組を観ていた。途中だったけれどテレビを消して、テーブルの上に出しっぱなしにしていたノート類を通学鞄に入れて持ち上げると、二階の自分の部屋へ運んだ。
母に電話してみようと、ポケットに入れていた携帯電話を取り出した。まだガラケーなのが恥ずかしい。以前母からかかってきたときの着信履歴から発信しようとしたとき、タイミングよく母から着信があってすぐに出た。

「もしもしお母さん?」
『もしもし』
 電話の向こう側から聞こえてきたのは母ではない女の人の声だった。思わずケータイの画面を見て母のケータイからかかってきていることを確認した。
「……はい」
『私お母様の同僚の羽鳥と申します。お母さん今ちょっと酔いつぶれてしまっていて』
「母が? 母がお酒を飲んだんですか?」
 母はアルコールが苦手なはずだ。だから飲みに誘われても断ってばかりいたのに。
『えぇ。これから私が付き添ってタクシーでご自宅まで送ろうと思うのですが、だんなさん……お父様はご在宅ですか?』
「いえ……父はいつも残業で遅いので」
『そうですか……。あの、お兄さんとかはいらっしゃらないですよね?』
 なんでそんなこと訊くんだろう。
「はい、一人っ子なので」
『ですよね……』
「あの……?」
『あ、すみません。男手があったほうがいいかと思いまして』
「えっ、母はそんなに酔ってるんですか!?」
 
こんなの初めてだった。母になにかあったんだろうか。飲めないお酒を飲んでしまうくらいのことが。

『えぇ、自力じゃ立てないくらいに……』
「なんでそんなになるまで……。あの、何か聞いてますか? 母は普段お酒なんか全然飲まないんです」
『それは私共も存じております。たぶん……武中輝(たけなかひかる)が結婚したからかと』
「…………」
『もしもし?』
「なんなら近くのやっすいビジネスホテルに放置してもいいですよ? 金なら本人に払わせればいいんですから。タクシー代がもったいないです」
『は、はあ……』

心配して損した。武中輝は母が大好きな俳優だ。そういえば朝一でヤフーニュースのトップを飾っていたっけ、《人気絶頂の今、武中輝が電撃結婚!》って。
母の部屋には彼のポスターが貼ってあるし、彼が出たドラマのDVD-BOXは必ず買うし、トークショーにはアイドルを応援するうちわのようなものまで作って見に行っていたし、ケータイの待ち受け画面はもちろん武中輝だ。
まぁショックなのは分かるけど。母は売れる前から彼に投資をしていたし、人気絶頂中だし、何より彼はまだ19歳なのだ。19の若手俳優にのめり込む母も母だけれど。

私は電話を切った後、財布を持って外に出た。料理作れないし、レシピ見ながらとかめんどくさいから出来上がっているものを買いに行かなきゃいけない。でもたまにはこういうのもいいかも。
外はすっかり暗くなっている。一番近いコンビニでも歩けば30分以上かかるため、自転車で向かった。

少し冷たい風を浴びながらコンビニにたどり着き、自転車を止めた。錆びてしまっている鍵を外すのに手間取っていると、なんだか騒がしい集団がコンビニから出てきた。同い年か、少し年上の男が5、6人。ジャラジャラと耳や首、それから手首にアクセサリーを身につけていて、見るからに派手だ。
私はようやく引っこ抜いた鍵をポケットにしまい、なるべく目を合わさないようにしていたが、好奇心でちらりと見てしまった。そして目が離せなくなった。派手な連中の中に、比較的地味な男がいる。地味というか普通にカジュアルなだけなのだけど、彼らの中にいると地味に見える上に逆に目立つ。
しかも彼は白玉王子だった。

なにしてんだろう……。
不意に奈央が言っていた噂を思い出す。白玉王子の恋愛対象は男。しかしどう見てもデートには見えない。肩を組まれているが嬉しそうなどころか苦笑しているように見える。無理やり彼らの中に入れられているように見える。
もしや絡まれてる? 彼らの仲間ではあるけれど“財布係”的な? だとしたらほっとけないんだけど。

彼らは白玉王子を連れてコンビニの裏通りへ入って行った。私はコンビニの入り口の前で立ち止まり、暫し考えた。面倒なことに首を突っ込まないほうがいいだろうか。こっちは女だし、一人だし。でももし何かあってもこの辺はホテル街でそこそこ人が多いし、大声を出せば誰かが助けてくれるかもしれない。それにひとつ隣の路地には交番もあったはずだ。だからかこの辺りは如何わしいお店が多かったりなぜか派手な若者が多い割には事件らしい事件は起きていない。

──よし、ちょっと様子を見てこよう。

私は意を決して白玉王子の後を追った。

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©Kamikawa

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