ル イ ラ ン ノ キ


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自分に恋愛感情というものが芽生えたのは、小学1年生のときだった。

入学式のとき、体育館でとなりに並んでいた女の子が俺に向かって「靴紐がほどけてるよ?」と言った。それがその子を知るきっかけになっただけで、いつから彼女に恋愛感情を持ちはじめたのかはわからない。
恋愛は自然とはじまっていた。友達を好きな気持ちと比べて、彼女を想う気持ちは特別なものだと無意識にわかっていた。どう違うのかは、当時の俺には説明できないし、考えたこともない。今でもうまく説明できる自信はない。ただ、子供ながらにその女の子のことを特別に可愛いと思っていたし、特別輝いて見えたし、特別優しくしたいと思ったし、俺のことを知ってほしいだとか、好きになってほしいと思っていた。
そんな風に幼い頃から恋愛感情を知っていて、片思いのまま失恋したり、両想いだと知ってもそれだけで満足していた時代もあったり、中学を卒業してからは、彼女も出来た。

その頃にはもう、いとこである白石芽衣の存在が心の隅で根を生やしていたんだ。気づいたときにはもう、そう簡単には引っこ抜けないくらい根が心に絡み付いて、俺を苦しめていた。

「おい予鈴なったぞ!」
 と、阿部が席を立った。
「え、まじかよ気づかなかった」
 と、俺も席を立つ。

俺は文系学部だが、阿部は理系学部だ。

「じゃあまたあとでな!」
 足早に去っていく阿部の背中を眺めながら、次の講義はなんだったかと頭をひねった。

誰かを好きになると歯止めが利かなくなる。初めて出来た彼女に対してもそうだった。それまでは片思いのままでも平気だったし、少し話せた日はそれだけで一日中気分がよかった。それが中学に入ってから変わる。
きっと周りが変わったからだ。誰と誰が付き合っているという話をよく耳にするようになった。それに影響されて大して好きじゃない女子と付き合い始めた奴もいる。彼女がいるというだけで自慢だったし、ステータスになっていたからだろう。置いていかれたくないという気持ちもあっただろう。だから俺は焦ったんだ。先に言っておくが、彼女がいないという焦りじゃない。“ただ彼女という存在がほしい”と盛っている奴らに好きな子を奪われたくないという焦りだった。とりあえず振られたらそれはそれで諦めがつく。そう思って告白した。そして付き合うようになった。

今振り返って、はたして彼女は俺のことを好きだったのだろうかと疑問に思う。女子の中には男子と同じようにただ“彼氏”がほしいと思っている子もいたようだから。彼氏という存在に憧れを抱いている女だ。
まぁ両想いにこしたことはないけれど、最初に付き合った彼女としては満足だった。俺は好きだったし。初体験も出来たわけだから。
別れた理由は、他に好きな人が出来たと彼女から言われたからだ。俺に飽きたというわけだ。その頃の俺は俺で、引き止めるほど彼女のことを熱烈に好きだった時期はとっくに過ぎていたから、「わかった」という短い返事で終わらせた。

そんな昔のことを思い出しながら、俺は神経心理学の講義を聞き、ノートを取った。文学部に入ったのはこれといった理由はない。あるとすればあまり人気がなかったから。騒がしいのは好きじゃない。選択科目で人気のない先生の授業を覗きに行ったときは生徒が二人しかいなくて驚いた。真面目な先生なんだが、面白みは皆無だ。でも俺にとってはそれが興味深かったりする。

講義を終え、次の教室に向っていた。同じ学部でも名前を知っている奴なんかほとんどいない。高校と大学は全く違う。中学・高校は随分と狭い環境で人間関係を築いてはそれに振り回されていたのだと知った。

「みぃーつーけた!」

前方から歩いてくる小悪魔。この人は自分が小悪魔だってことに気づいていないんだろう。

「暇なんだな」
「ヒマじゃないよ、私もさっき講義終えたところなの」
 そう言って白石芽衣は窓の外を見遣った。
「助教も講義なんかすんの? なんだっけ、男子生徒を誘惑学部だっけ」
「なにそれー」
 と、上品に笑う。「環境科学部よ」
「なに教えてんの?」
「あ、なに? 興味あるの?」
「別に」

興味あるのはあんただ。授業の内容なんてどうでもいい。

「今日は自然環境の保全をね」
「どうせ人気なんだろ? せんせーの授業」
「先生じゃないったら。人気なのかなぁ……」
「謙遜しちゃって。それよりなんか用?」

見つけたと言って現れたわけだから、なにか俺に用事があるんだろう。

「さっきは阿部君がいたから言えなかったんだけどさ」
 と、突然顔を近づけられてドキリとした。

──変な期待をほんの一瞬でもしてしまった自分を殺してやりたい。

「じ・つ・は、結婚決まったんだよね」

耳元でそう言ったあと口元に人差し指を当て、「まだ秘密ね」と言った彼女は本当に小悪魔だと思った。誰に報告しているのか知りもしないで。
学部なんかなんでもよかった。彼女がいる大学に入れるなら。環境科学部は人気があった。授業内容というより彼女自身に人気があったんじゃないかと思う。迷わず彼女のいる学部に入るつもりだった。でも、それだとただの生徒のひとりになってしまいそうで急に怖くなった。だからやめた。

「なんで俺に報告すんの?」
「え? いとこだし、しんちゃんのお母さんにはもう報告したからさぁ。結婚式には来てくれるでしょ?」

「行かないよ?」

行くわけがない。好きな女の結婚式なんかに。好きな人がいることも、彼氏がいることも聞かされていなかったのに、なんで結婚するときは報告してくるんだよ。よりによって手のうち用が無くなってから。聞かされていたのは大学が忙しくてうちに遊びに来れないということだけだ。恋愛にうつつぬかしてる暇もないんだろうなって勝手に思ってた。なんだ、やることやってたんじゃねーかよ。
結婚式、行くくらいなら壊してやりたい。

余所の大学ではどうか知らないが、幸いこの大学では人気のない文学部。薄暗くも感じる廊下を歩く生徒が極端に少なく、誰もいなくなった瞬間があった。

「なんで来ないのよ」
 と、口を尖らせた彼女の首の後ろに手を置いて、引き寄せた。

ずっと狙っていた彼女の柔らかい唇にキスをした。俺を押しのけようとするから手に持っていた邪魔な教科書を床に落として抱きしめた。可能な限り唇を重ねた。

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