voice of mind - by ルイランノキ


 一寸光陰2…『小さな希望』

 
僕は昔から、人を観察するのが得意だった。
 
「でかしたぞ」
 
あの日、父は僕にそう言った。
すごくすごく嬉しくて、その日から僕は研修施設内にいる裏切者を見つけては逐一父に報告をした。
僕の観察力を見込んだ父は、僕に心理学の本を買い与えた。
本を読むのも昔から好きだった。養護施設にあった本は全部読んだ。だから新しい本を買ってほしいとねだったこともあったが、僕だけ特別扱いは出来ないと言って買ってもらえなかった。
でも父は、僕が望めばいくらでも本を買ってくれた。
 
それからは、父との仲は良好だった。
父に認められ、愛されている自覚があった。僕も、多くの仲間を従えている父を心から尊敬していた。父の役に立ちたい。いつもそう思っていた。
 
「ゼフィル城に潜入できるか?」
「え……」
 
ある時、父から「お前に任せたい仕事がある」と言ってゼフィル城に潜入するよう命じられた。
 
「軍事心理学者を募集していた。行ってこい」
「潜入して……なにをすれば……?」
「情報を流してくれればいい」
「……わかりました。やってみます」
 
だけどひとつ、気がかりなことがあった。
 
「あの、お父さん」
「なんだ」
「僕も、組織の仲間ですよね……?」
「今更どうした」
 当たり前だろう、というようなニュアンスのその返答に、少し安堵する。
「僕も、属印が欲しいです。仲間の証として」
「…………」
 少しの沈黙があった。
「無事に任務を終えたらな。潜入には属印が邪魔になる」
「……わかりました」
 
父に言われた通り、僕はゼフィル城に潜入した。
案外すんなり入ることが出来たのは、人事担当員の女が純粋無垢で真っ直ぐな子供に弱いとわかったからだ。彼女は威厳を放つために無表情を貫いていたが、候補者をひとりひとり見極める時の目の揺らぎが激しい。
 
彼女のお眼鏡にかなうのは……と、面接を受けている立候補者と女のやり取りを注意深く観察する。
あの人と、あの人も合格ラインだろう。ということは……
 
「──名前と年齢は?」
「こ、コテツです! 15になります! 僕はカウンセラーの卵ですが誰よりも人の心に寄り添い、信頼を築き、共に未来への希望を探すお手伝いが出来たらと思っています!」
 
誰よりも大きな声で、真っ直ぐ前を向いて、肩に力を入れて叫んだ。  
周囲から笑い声がする。
 
「動機はまだ聞いてない」
 と、表情を崩さずに言う女。その目が僕に釘付けになっていることはわかっている。
「すみません!!」
「あなたは子供過ぎるわ」
 と、手に持っていたクリップボードに挟んである履歴書に大きなバツを描く。
 
わかってる。大げさにバツを書いて、こちらの反応を見ていることは。
 
「子供ですが、僕の一生をここに捧げるつもりです! これからいくらでも成長できます! 出来上がった大人と違って融通も利きます!」
 
無表情を貫いていた女の顔が視界の端で緩んだとき、合格したと確信した。
周囲の鋭い視線は気にもしない。どうせこの場で帰される人ばかりだ。二度と会うことも無い。
同じ合格者には、後々媚びへつらえばいい。そういうのは得意だ。
 
「期待してるわ」
 
人事担当員の言葉に、心の中でほくそ笑む。
 
━━━━
━━━━━……
 
地面に蟻が這っていた。僕の顔の影の下で、特に慌てる様子もなく、どこかへと去っていく。蟻は僕の視界からいなくなった。
鼻から流れ出た血がポタリと落ちた。さっきまで蟻がいた場所に。僕の血で溺れなくてよかったね。──なんて、思うわけがない。
 
「いつまでそうしているつもりだ」
 父の声が頭上から聞こえた。太く鋭い刃物のような声。
「ごめんなさい……」
 地面に額を擦り付け、小さく丸くなって繰り返し謝った。
 
多くの足音が遠ざかる。さっきまで僕に頭を下げていた連中は、もう僕のことなど気にも止めずに去っていく。所詮、父のお飾りでしかなかった僕は、父から捨てられてしまえば誰からも見向きもされない。
 
硬い地面を眺めながら、なんでこんなことをしているんだろうと思う。
こんなことをしたって、この人の心は一秒たりとも揺れ動かない。
わかっているのに、僕は土下座をして、涙を流す。
意味のないことを、意味がないとわかっていながら、止められない。
 
父の手が僕の髪を掴んだ。
愛情なんかどこにもない。
冷ややかな目。僕と同じ、いわぬいろ。
 
「お父さん……」
「二度とそう呼ぶな」
「…………」
「私の前から今すぐ消えろ。私に手を汚させるな」
「……はい」
 
──任務は失敗した。
途中までは、うまくやっていた。だけど最後の詰めが甘かったんだ。
僕の掌の上で転がっていると思っていた。軽く揺さぶっただけで大きく崩れて膝をつく。僕の手の中から逃げ出すことなどできないと思っていた。
いつでも握りつぶせる。だから、もう少しだけ遊んでいたいと思った。運命に翻弄され、人を信じれなくなった人間が壊れて生きることを諦めるその瞬間を、見てみたいと思った。それは指令ではなく僕の欲。
僕は欲に負けたあげくに期待を裏切られた。彼女は僕が少し目を離した隙に指の隙間から脱げ出した。しっかりとその足で立ち、飛び降りた。
 
コテツは立ち去ろうとした足を止めて振り返った。
 
なぜ僕は、人間観察が得意だったんだっけ。──そうだ、母のことが知りたかったからだ。母はどんなときに笑い、どんなときに喜び、どんなときに悲しみ、どんなときに怒るのか知りたかったからだ。母はあまり感情を表に出す人じゃなかったから、読み取るのはむずかしかった。
 
「……お母さんのことは覚えていますか」
 
性懲りもなく、僕はまた希望を見る。
生まれた時から体のどこかが壊れている人間は存在する。でも心はどうだろう。
僕は生まれたときから物足りなさを感じていたに違いない。生まれたばかりの僕が誰かと比べることなんて出来ないはずなのに、両親からの愛が足りないことを知っていたんだ。母のぬくもりを覚えていない。事故で母を失うまで一緒にいたはずなのにほとんど覚えていない。
心理学を学びながら思い出を辿って気づいたことがひとつあった。僕は母から食事を与えられていた。寝かしつけもされていたし、お風呂だって入れてもらえていたし、生活に不自由はなかった。だけど不足していたものがあった。言葉と体のスキンシップだ。
僕は母の目がどんなだったか、いまいち思い出せない。母の笑顔も、怒った顔も、悲しんだ顔も思い出せない。母の声も、曖昧で。
僕は生まれて来たときからずっと、愛の不足を感じていた。  
 
「あの女は」
「…………」
「ただの売春婦だ」
 
感情を爆発させたのは、後にも先にもこの時だけ。ドラマのように憎い父親に拳の一発くらいぶつけてやりたいと思った。
でも、ドラマのようにはいかないや。
かすりもせず、届きもせず、僕は攻撃魔法を浴びて不様に吹き飛ばされた。
 
僕は人の心を探るのが得意なのに、どうして身近にいる人ほど見えなくなるのだろう。
愛を知らない人に愛を教えるのは難しいように、愛した人の心を読むのも難しい。
 
交じりっけのない青空が広がっている。
 
──アールさん。
僕は、あなたが羨ましかった。
 
仲間に必要とされ、世界から必要とされ、人を愛し、愛されているあなたが……。
 

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