voice of mind - by ルイランノキ


 全ての始まり3…『叫び』

 
もしもの時は……お願い。何をしてでも私を止めて
 
カイとヴァイスは食卓を囲んだときにアールが言った言葉を思い出していた。
アールを取り囲んでいた魔物たちの生気が奪われ朽ちていく。シュバルツの足元から湧き出て来る魔物が引きずり出されるようにアールへと吸い込まれていった。
 
遠目の上空にいたドルバードのレンズの目が月明かりにきらりと光る。
アールの体がシュバルツと同じようにみるみるうちに変貌していく。
アールの意識は闇の中にあった。なにもない無の空間から毛細血管のような何かがアールの体に絡みついている。徐々にその数を増やしてアールの体を覆った。
 
「なんて恐ろしい……!」
 と、テレビの前で身をすくめたのはミシェルの家に避難していた70代のおばあさんだった。
「あれはなに……?」
 と、一緒にテレビを観ていた17歳の女の子が言う。
 
ミシェルはテレビの前で呆然と立ち尽くしていた。アールの体に周囲の魔物が吸い込まれて行く。その光景でさえ異常に見えたが、魔物を取り込んでいくにつれて体が膨張して人の形を失っていく姿にゾッと血の気が引いた。
 
「バケモンじゃ……」
 おばあさんはそう呟いて、両手で顔を覆った。
「ちがう……」
 ミシェルは動悸で苦しい胸をおさえながらしきりに首を振った。
 
バケモノなんかじゃない。アールちゃんはバケモノなんかじゃない!
 
「怖い……」
 17歳のもう一人の女の子はそう言ってテレビから目を逸らし、逃げるように寝室へ移動した。友人の女の子がついて行く。
「この世の終わりじゃ」
 おばあさんはそう言って涙を流した。
 
ミシェルは老婆の横に膝をつき、背中を摩った。アールたちをかばう言葉も慰めの言葉も出て来ないのは、少なからず自分も不安を拭えないからだろう。ミシェルは視線を落とした。
携帯電話が鳴る。キッチンへ移動して電話に出た。
 
「はい……」
『心配はいらねんだが、少し帰りが遅くなる』
 と、電話越しにワオンが言った。
 
はじめに「心配いらない」と言ったのは、なにかあったからに違いない。声も切羽詰まっていた。ミシェルは不安で顔をしかめた。
 
「怪我を負ったの? もう、いいからすぐに帰って来て……」
『なにもよくない。張り直された街の結界が何度も壊されて魔物が後を絶たない』
「だからっ……」
 声を荒げそうになるのを必死に押し殺した。「あなたはもう十分やることやったでしょ」
『人手が足りないんだ』
「……なんなの」
『ミシェル』
「なんなのよッ!!」
 ミシェルは声を上げて膝をついた。「死んだらどうするのよッ!!」
『絶対に帰る。待っててくれ。せめて……この辺にいる逃げ遅れた人を』
「他人のことなんかどうだっていい! 逃げ遅れた人なんか自業自得じゃないの!! 私はあなたに帰って来てほしいのよッ! どうしてそれがわからないのッ!?」
『…………』
 
自分でも驚いた。私はこんなに冷たい人間だったのかと。生きた心地がしない中でも、ワオンに嫌われたかもしれないと、そんなことを不安に思う。
 
『わかった。すぐに帰る』
「…………」
 ミシェルは電話を切って膝を抱えた。
「みんなそういうもんさ」
 と、様子を見に来たおばあさんがミシェルに声を掛けた。
「…………」
「他人の心配をしている余裕なんてない」
 ミシェルは黙って耳を傾けながら鼻をすする。
「それなのに、助けてくれてありがとうね」
 穏やかな口調に、涙が溢れた。
「ごめんなさい……」
「なにも謝ることはないさ」
 
━━━━━━━━━━━
 
爛れた黒い皮膚のカラダに幾つもの目があった。ギョロギョロと周囲を見回し、魔物を見つけると手を作り出して取っ捕まえ、いびつな口を作り出して無作為にむさぼっていく。巨大化したアールのカラダは蛇のような長い尾で立っていた。ゴツゴツと鋭く尖った手がシュバルツの体に振り下ろされる。上半身の皮膚はあばら骨を浮き上がらせ、頭部は垂れ下がった髪で覆われていた。その上部に大小の幾つもの目玉が不規則に並んでいる。背中の皮を貫いて骨ばった羽が大きく広がる。そしてアールの頭から突き出た悪魔のような角もシュバルツと重なり、まさにデリックが言った「闇 対 闇」を表しているようで世界の人々をより深く不安に陥れた。
 
はじめに動き出したのはデリックだった。アールの援護に回るつもりでシュバルツとの距離を詰めたが、アールの体から伸びた黒い手が自分に襲いかかって来ることに気づいて両手に刀を構えて斬りつけた。アールの体にある無数の目は自身の周りをうろつくものすべてを見逃すまいとしているようだった。
 
「自我を失ったか……」
 デリックは舌打ちをし、シュバルツの背後に回る。
 
シュバルツの触手が獲物を見つけた蛇のように伸びてくる。刀で振り払いながら、攻撃魔法を背中に放つ。シュバルツの足元からは底なしに魔物が湧いているが、そのほとんどはアールの体にのみ込まれていた。
触手を交わし、空を一瞥した。遠くの方では今も上空に浮かんだ魔法円から魔物が生み出されて地面に下り立っている。結界で守られた街の中でのうのうと生きていた人間が突如襲ってきた魔物に勝てるわけがない。このままではいずれ魔物によって人間が滅びるだろう。
 
自我を失ったアールが甲高い金切り声を上げた。バケモノ化したアールの体から四方八方に攻撃魔法が放たれる。ヴァイスは自分とカイを守る結界紙を使った。言うまでもなく、結界はすぐに壊される。大ダメージを食らい、ヴァイスはすぐに回復薬に手を伸ばした。
 
上空からサイレンが聞こえた。何事かと目を向ける。スーパーライトが10機ほど飛んでくるのが見えた。
カイは上半身を起こして援軍がやってきたのだと笑みを浮かべたが、その笑顔はすぐに消え去った。スーパーライトが発射したミサイルはシュバルツのみならず、アールも標的に捉えていたからである。
 
「なにやってんの……? やめろよ……やめろぉおおぉおぉぉッ!!」
 カイは力を振り絞って立ち上がり、スーパーライトに向かってブーメランを投げ飛ばした。体力が尽きかけていたこともあり、ブーメランは機体に届かずに地面に落下した。
 
カイはシュバルツの攻撃とミサイル攻撃を浴びているアールを見て、力なく膝をついた。
 
「カイ、回復薬を飲め」
 と、ヴァイスがカイの前に降り立ち、回復薬を差し出した。
 
カイは回復薬を受け取ったが力が入らないのかすぐに落としてしまった。バケモノ化したアールを直視出来ずに地面にへたり込む。
 
「カイ」
「やだよ……こんなのやだよ……こんなの俺が見てた未来じゃない! こんなのッ……つらいよ……つらいよ……」
 
ヴァイスはうずくまるカイの胸倉を掴んで頬を引っ叩いた。
 
「アールから目を逸らすな」
「………っ」
 声にならない。なにも出来ずに奥歯を噛みしめるだけだ。
「アールを独りにするな。なにも出来なくても声を掛け続けろ。必ず届く。お前の声は必ずアールに届く!」
 
シュバルツが咆哮をあげる。頭上から火の雨が降り注ぐ。スーパーライトが旋回して一時退散する。カイは回復薬を一気に飲み干してぎりぎりで命を繋いだ。涙を拭って立ち上がる。
逃げ遅れた機体が落下していくのが見えた。
 
「任せたぞ」
 ヴァイスはそう言って、シュバルツに向かって行った。
 
カイは大きく息を吸ってアールの名前を叫んだ。アールとシュバルツの攻撃魔法が足元まで及んでも、決して逃げ出さずに愛用武器のブーメランを拾って叫び続けた。
 
──俺の声は聞こえるはずだ。俺たちの前から姿を消したあの時とは違う。アールは目の前にいるんだから。
 
応えてくれるまで、叫び続ける。
この命が尽きるまで。
 
それしか今の俺にはできないから。
 

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