voice of mind - by ルイランノキ


 胡蝶之夢17…『さみしい』

 
ゼフィル兵の切羽詰まった声にアールはごくりと唾を飲んだ。多くは語らずとも、応援を要請している時点で兵士が半数以上やられているのだろうと考えられる。
 
『アール、戻れるか?』
 こちらの状況を知ってか知らずかゼンダがそう言った。
「……戻れません。」
 と、答えて結界紙を地面に置こうとしたアールの腕をシドが掴んだ。
「行け」
 と、そう言って。握力もあまり残されていないからか、小刻みに震えているのが伝わって来る。
 アールは黙ったまま首を左右に振った。
「俺を心配してんのか? ……心配してんだな」
 と、シドは奥歯を食いしばって体を起こした。「まだ戦える」
「無理だよ……」
「お前が俺の限界を決めんなよ」
 と、微笑した。「あいつは戦闘員じゃない。楽勝だ」
 それを聞いていたアサヒは「あはは」と声に出して笑った。
「ボールを投げただけで倒れそうな体でよく言うね」
 アールはキッとアサヒを睨んだ。
「行け」
 と、シドはアールに言い、立ち上がった。
『──シフトがアールさんの元へ行こうとしていますッ!! 足止めが出来るかどうかッ……応援を要請します!!』
 
ここに来たらそれこそ終わりだ。確かにアサヒは戦闘員じゃないと話していた記憶がある。
 
「ゼンダさん、ゲートを開いてください。兵士はシドの方に送ってください」
 と、アールが言った。
『──ゲートを開く』
 ゼンダはそう言ってアールチームのゼフィル兵がとどまっている場所へ戻るゲートを開いた。
「…………」
 アールは不安げにシドに目を向けた。
 シドはアールを見ずにアサヒを見据えて言った。
「安心しろ。一人じゃねぇから」
 と、ネックレスにしていたタケルの武器を手に取った。
 
アールの目に、シドの背後を守るようにタケルの姿が浮かび上がる。
 
「めっちゃ頼りになるじゃん。塔で待ってる」
 と、アールはゼンダが開いたゲートからその場を後にした。
 
アールがいなくなり、二人きりになったシドとアサヒは束の間、静けさに身を委ねていた。先にその空気を変えたのはアサヒだった。
 
「国王が勝っちゃったらこの世界から魔法が消えるってほんと?」
「知らねぇよ」
「そんなこと出来るわけ? 魔法が使えなくなったら、俺、なんになるんだ?」
 と、薄ら笑う。「それこそ何者でもなくなっちまう」
「……?」
 シドは眉間にしわを寄せる。
「せっかく居場所を見つけたってのに」
 アサヒにとってムスタージュ組織こそ自分の居場所だったようだ。
「組織に入っていろんな人と出会ってさ、人の数だけ物語があって、楽しかったなぁ。俺の物語もそろそろここらで終わりそうだ。もう少し早く君らと出会いたかったよ」
「俺に殺される気満々じゃねぇか」
 と、タケルの剣を構えた。刃先が震えている。額に汗が滲んでいた。
「そういえばジャックが死んだの知ってる?」
「……へぇ」
 シドはアサヒから視線を逸らした。興味がないような返答をしながら動揺が目に現れる。
「眠り薬を運んでいたらしいんだ。何に使うわけ?」
「……知るかよ」
「謎を残したまま死ぬのって気持ち悪いよな。──でも、つまらない世界で生きるくらいなら、魔法が存在する世界と共に消える方を選ぶよ、俺は」
 と、アサヒはコートの内ポケットから短剣を取り出した。シュバルツから直々に受け取ったパグロムダガーだ。
「そんな小さい剣で俺に勝てると思ってんのか?」
 と、あざ笑う。
「どんなに威勢を放っても死にかけなのは見て取れるよ。だから来たんだよ、俺がね」
「…………」
 胸糞悪いなと、剣を強く握った。死にかけの俺を見てまともに戦えない奴で十分だとこいつを送り込んだのか。甘く見やがって……。
「好きな動物はハイエナ。知ってる? 俺に似てるんだ。人の食べ残しを食らう辺り」
 と、パグロムダガーを構えた。
「俺は……犬が好きだな。飼い主に忠実で、不審者には牙を向く番犬」
「あんたはグロリアの犬?」
「忠実な犬、な?」
「騙してたくせによく言うね。犬はハイエナには勝てないよ」
 と、アサヒはシドに飛び掛かった。予想外の素早さに驚く。ガタついた体はすぐには言うことを聞かず押し倒されてしまう。
「犬っつっても800の犬種がいたらしい。中にはハイエナより強い犬種もいんだろ!」
 と、アサヒを払いのけて体制を整えた。
「ははっ! 多すぎ!」
 アサヒは楽しそうに笑った。「でも人間に飼養されてる犬は弱い」
「凶暴に育てられてるかもしれねぇだろ」
「なんだそれ! いいなぁ、あんたと友達になりたかったよ」
「断る」
 
いくら力が残っていないとはいえ、攻撃をたたみかければ地面に膝を着かせることは容易だと思った。シドはアサヒに向かって剣を力任せに振るった。言うことを聞かない体が悲鳴を上げながら食らいつく。アサヒはそれを楽しむように避けながらシドの左胸を凝視する。隙あらばパグロムダガーを突き立てるつもりだ。
シドは、息を切らしながら足がもつれそうになるのを踏ん張って耐え、攻撃を続けた。計算外だったのは、アサヒの回避能力が高いことだった。剣は空を切り、体力を奪っていく。アサヒが隙を待っている。足を、手を、止めた時が隙を見せる瞬間だと歯を食いしばる。隙を見せた瞬間が自分の終わりだと悟った。一息つくために距離を取る余裕ももう無いことは自分が一番わかっていた。
 
応援はいつ来るだろうか。そんなことを不意に思い、微笑した瞬間に自分の動きが止まった。──助け求めてんじゃねぇかよ。もう無理だと、認めてんじゃねぇかよ。
 
アサヒのパグロムダガーがシドの左胸を突いた。
ドクドクと心臓が暴れて全身の力が抜けていくのを感じながら膝をついた。
 
「俺ね、シュバルツ様に気に入られてこの短剣を貰ったんだ。一突きするだけで命を吸い取るらしい。戦闘に向いてない俺向けだと思わない?」
 
シドは地面に体を寝かせて空を見上げた。分厚い雨雲が覆っている。いっそのこと、雨が降ればいいのにと思った。そしてあふれ出そうになる涙を洗いながらしてくれたら、悔し涙も流せるのに、と。
 
「俺、お前を絶対に許さないよ。俺の居場所を壊したんだ。仲間だと思ったから君の武器の強化に手を貸したのに裏切った。お前が裏切ったことで俺は敵に手を貸したことになった。屈辱的だ」
 アサヒはそう言ってシドに馬乗りになると左胸に突き刺さっているパグロムダガーを引き抜いてもう一度突き刺した。
「許さないよ。俺はお前を許さない。これは俺の世界を壊した代償だっ!」
 と、何度もパグロムダガーをシドの胸に突き刺した。両手で柄を握って再び体重をかけてシドの心臓を突いたとき、突然シドから強い光が放たれてパグロムダガーを持ったアサヒを弾き飛ばした。
 
アサヒは尻餅をついてすぐに体を起こした。命を奪ったはずのシドが立っていて小首を傾げる。──なんだ? なんで生きてるんだ?
 
「忘れてたわ……」
 と、シドは血や泥で汚れた袖で額の汗を拭い、剣を構えた。
「あんたも不老不死?」
 と、アサヒは腰を屈めてパグロムダガーを構える。
「いや、残機が一機残ってた」
「……?」
 
モーメルがくれた護符の力が発揮されたのだ。助かったということは、一度きりしか使えない護符の力はもう無いことと、一度完全に死んだも同然ということになる。
命こそ奪われなかったものの体は痛手を負ったまま。死にかけの状態で延命処置を受けたようなものだ。
 
「なんだ、完全回復したわけじゃないならまだ俺に勝ち目があるね」
「いや、お前は死ぬ。今日、ここで、俺に殺される」
「言い切れるんだ?」
 と、半笑う。
「絶対にだ」
「……俺はあんたには殺されない。俺を殺せるのは俺自身と、シュバルツ様だけ」
「まぁ確かに、俺に敗北したらお前は不要になってシュバルツに消されるんだろうけどな」
「…………」
 アサヒの顔から笑顔が消えた。「わかってないね」
 

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