ル イ ラ ン ノ キ


 10…知る。



「当時、この辺には産婦人科がそこにしかなくて、他に行くとしたら二つ隣の町まで行かなければいけなかったの。だからあそこに産婦人科が出来たとき、子供を身ごもった女性はこぞって集まったの。先生も看護師さんもみんな良い人で、わざわざ遠い地域から通う人もいたそうよ。
だけどある日の真夜中に、産婦人科のドアを激しく叩く音がしたの。夜勤の看護師さんが直ぐに気づいてドアを開けたら、玄関の前でうずくまってる女性がいた。お腹を抱えていて、出血していた。あきらかに臨月を迎えた妊婦さんだとわかったの。ただ、驚いたのは看護師が女性の腕を自分の肩に回して立ち上がらせようとしたとき。そのときに見たのよ、女性の顔を」
「……なんで驚いたんですか?」
 と、瑞江は息を呑んだ。
「あまりにも幼かったから」
「え?」
「はじめは中学生くらいかと思ったらしいの。彼女、背が小さかったから。後から高校生だとわかったんだけど、それでも出産をするには幼いという思いはぬぐえなかった」

高校生。そう聞いて、自分もそうだが真っ先に有村ほのかの顔が浮かんだ。

清水は祖母から聞いた話を淡々と続けた。廃墟に訪れた二人の高校生の様子から、話さずにはいられなかった。廃墟と化した産婦人科の悲劇を知っている自分と出会ったのも、なにかの縁だと思った。

「お金の問題はあったけど、今にも産み落としそうで母体の心配もあったから直ぐに受け入れたの。でもそれが悲劇の始まりだった」

分娩室に連れて行き、産褥ショーツに着替えさせ、分娩台に寝かせた。助産師や先生が慌しく準備を始めているときに破水。急遽行なった麻酔は効いているのか効いていないのかもわからない状態でいきみはじめた。お腹に子供を宿したまだ幼い女性の悲鳴とうめき声が響いた。赤ん坊の頭が膣口から見え隠れし始めたとき、一先ず逆子でなかったことに安堵した。「お母さん、がんばって!」と励ましながら手を添えて、いつでも赤ん坊の頭を支えられる状態を保っていた。

けれど、幼い母親が息を大きく吸い込んで止め、一気にお腹に力を入れながらいきんだ瞬間、腹に納まっていた赤ん坊の顔がぬるりと膣口の外へ飛び出した。その全貌を見た助産師は「ぎゃぁぁ」と叫びながら椅子から転げ落ち、その場に居合わせた他の助産師と医師も膣口から顔を出した赤ん坊を見てぎょっとした。──顔がひん曲がっている。顔の形は左へひしゃげており、鼻と思わしき器官は本来口がある場所にあり、ただの空洞のようになって見える口は頬にあった。そして、目がない。目があるはずの場所は微かにくぼんでいるだけだった。

母親の意識がなくなっていることにも気づかず、奇形児に目を奪われて絶句していた。誰も触れようとも近づこうともしない。しかし、そんな助産師達を動かしたのは赤ん坊の泣き声だった。ただの空洞になっている口をパクパクと動かしながら普通の赤ん坊と変わらない、可愛らしい声で泣いている。

「な、なにをしてる! 早く出してやれ!」

医師がそう言うと、躊躇いながらもひとりの助産師、大野紀代子が前に出た。赤ん坊の頭に手を添える。指先になにか柔らかいものが触れ、硬直する。後頭部になにかある。腫瘍かなにかだろうか。とにかく今は母体から出してあげることが先決だと、ハサミで会陰を切開し、赤ん坊を取り出した。
他の助産師は赤ん坊から距離を取り、近づこうともしない。唯一冷静を取り戻して歩み寄ってきたのは執刀医だった。母親と繋がっているへその緒を切り、直ぐに赤ん坊を取り出した助産師、大野に手渡した。

産まれたばかりの赤ん坊の体温を保つため、保温機能がついている台の上へ寝かせた。大野が赤ん坊の身体についている汚れを優しくふき取っていると、待機していた小児科医が神妙な面持ちで赤ん坊の診察をはじめた。そして、そこで赤ん坊の頭を傾け、助産師の指に触れていた“腫瘍かもしれない”と思っていた正体に気づいた。

小児科医は思わず「うっ……」と声を漏らした。顔の器官が変形している赤ん坊の後頭部に、目玉があったからだ。

「NICUに運びましょう」
 と、赤ん坊を取り出した大野だけは、常に冷静を保とうとしていた。


その話を息を呑んで聞いていた瑞江は、震える声で聞き返した。

「後頭部に……眼?」
「そう。もうなにがなんだか……。でも不思議なことに他に異常は見つからなかったの。元からそういう生き物として健康体で産まれてきたみたいに」
「ありえない……」
 と、松原がつぶやいた。
「私もそう思ったわ。でも赤ん坊は元気に泣くのよ、他の子供達と変わらないくらいに。だけど、健康体だからといって他の赤ん坊達とおなじ新生児室に並べるわけにはいかなかった。見た目があまりにも……」
「それからどうしたんですか? お母さんはどうなったんですか?」
「輸血や心臓マッサージを行なって、なんとか無事だった。だけど問題なのは我が子を受け入れられるかどうかだった。医師は目を覚ました母親に、赤ん坊に合わせる前に話したの。無事に産まれたこと、健康体であること。ただ、見た目が他の子たちとは違うということを」

ベッドに寝ている母親は険しい顔をして医師を見上げた。

「他とは違うって?」
 まだあどけない表情だった。
「顔の、器官がゆがんでいるんだよ。でも、正常に機能はしている」
「……意味わかんないんだけど」
「鼻が口に、口は頬に、目は後ろに回っているんだ」
「…………」
 幼い母親はますます顔をしかめた。
「でも元気なんだよ、元気に泣いて、母親を求めてる」
「やだ……」
「…………」
「見たくない!」
「でも君の子供に間違いはないんだ。はじめは驚くかもしれないが……」
「やだやだ!」
 と、駄々をこねる子供のように首を振った。
「会ってみないか? 会えば愛おしくなるかもしれない」
「殺してよ!」
「…………」
「なんで殺してくれなかったの?! そもそも私産む気なんかなかった! だって彼氏とはもう別れたし! 死のうと思ったけど勇気でなくて、もたもたしてるうちにどんどんお腹大きくなって……死んでほしいと思った。色んな薬沢山飲めば死んでくれると思ってた。だからいっぱい飲んだのに!タバコも吸ったしお酒も呑んだ! なのに……なんで……私ばっか辛くなっただけだった!」

両手で顔を覆い、泣きじゃくる幼い母親。そこに赤ん坊をその手で取り出した助産師、大野がずかずかと入ってきて、未熟な母親の胸倉を掴んで上半身を起こすと、思いっきりひっぱたいた。医師が大野の腕を掴み、母親から引き離したが勢いは止まらなかった。

「一番辛いのは赤ちゃんでしょ……」
「…………」
 母親は叩かれた頬に手を添えて、大野を睨んだ。
「それでも母親なの……? 母親になる気もないなら性行為自体するべきじゃない」
「あんたになにがわかんの……」
「あの子はあなたのお腹の中にいたときからあなたに愛されず虐待されていたのに、それでも負けずに必死に生きて、産まれ来たのよ?」
「だから? そんな醜い姿で幸せに生きていけるとおもってんの?」
「それは……」
「子供の為を考えても、生かすべきじゃなかった」
「あんたが……あんたが意図的にあんな姿にさせたんでしょうが!!」
「私が薬とか飲まなくても酷い姿で産まれて来たかもしれないじゃん!! 可哀相だと思うならあんたが母親になれば?!」

──結局、母親は自分の子供の顔を見に行こうとはしなかった。
それでも大野は母性本能が芽生えることを信じていた。醜い姿になっても必死に生きて産まれて来た赤ん坊のことを考えると、信じたかった。

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