絵画Mの独白

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作中捏造〜ED後捏造まで。メアイヴ主体のギャリイヴ。


 豊かな色彩に溺れていく深海魚。共に泳ぎながら、彼は命を宿すことに命をかけた。そうやって様々な色を塗りたくって出来上がったこの世界に、滲むことのない眩しい黄色の髪を持つ少女を描いたのだ。

 黒い部屋に一つ、丸い額縁がかかっている。肝心の中身は引き裂かれており、部屋と同じ黒色で何も見えない。唯一読み取れるのは、額縁の下にかかった「Mary」と書かれた金属プレートのみだった。

 緑のワンピースが、歩みに合わせて纏わりつくように揺れる。綺麗に磨かれた靴が、地面に着くたびコツンと音を立ててなった。上ばかりを見て歩く彼女に蹴とばされたクレヨンが、地面を転がっていくのを、彼女はただ眺めていた。

 そのまま通り過ぎるかと思いきや、ふと足を止めて地面に落ちていたクレヨンを手に取った。
 何もない空間に寝そべって薔薇を描く。赤色と青色の二本のクレヨンはメアリーの手の中で遊ばれながらゆっくりとその身をすり減らした。しかし納得がいかなかったのか、彼女は不満げな顔をしてすぐに靴裏で消してしまう。

 乱暴に引き伸ばされたクレヨンの残骸は、不規則に液体が飛び散ったようだった。まるでそれは生の象徴のよう。
 時の流れぬこの世界で描く幻は、彼女の夢が詰まっている。叶わぬはずだった、外の世界に行きたいという夢は現実へと成り果てるのだった。

「らんらんらーららー」

 楽譜をもらえぬ小鳥が、自慢気にメロディを奏でた。彼女の絵空事はお父さんがいて、お友達がいて、おいしいものと楽しいもので満ち満ちた世界なのだろう。絵空事を実現できると信じて疑わない彼女は、空中楼閣に過ぎない夢をいつまでも見ていた。

 壊れたオルゴールのようなメロディにひとつ、トテトテと軽い足音が聞こえてくる。ふと彼女が下に目をやれば、青を基調とした不気味な人形がメアリーの足元で、見上げるようにしている。その赤い目はメアリーを見つめながら、

『お客さんが来たよ、メアリー』

 バランスの悪い頭を傾げた。その布でできた目を、あり得ないものを見るかのような目でじっと見つめ、次の瞬間、彼女は両眉をあげた。

  綺麗に揃えられたクレヨンが、雪崩のように地面へと体を打ちつけた。彼女はそんなクレヨンに見向きもしないで、興奮しきって回らない舌で捲し立てた。

「本当にお客さんが来たの? いつ来たの? どこにいるのかな?」

  人形が困ってしまうほど質問を投げかけた後、バラバラになってしまったクレヨンを人形が拾い上げている横を、すり抜けるようにして彼女はどこかへ行ってしまった。

 赤と青と黄色の銅像。額縁に収まった美しい女。何か心配するような瞳。それが杞憂ならいいのだが……。
 どこまでも続く廊下に幼い少女の鼻歌が響いた。拙い音が廊下に響いて反響し、不協和音を創り出す。
 その不協和音に応えるかのように、壁に飾られた額縁の中の女がふいに口を開いた。

「今日のお客様はあなたと同じくらいの女の子みたいよ」

 同じくらいの女の子。この美術館の女はみな年上。ずっと同い年のお友達が欲しかったのだ。故にその言葉は、存在する意味をメアリーに与えた。

「そっか、ありがとうお姉ちゃん!」

 そう言わぬ間に大きく足を踏み出し、どこかへ走っていく。お気に入りの人形の部屋の扉を開け、花瓶の前を通る。
 そして次の一歩が地に足を着ける直前。突如眼前に現れたなにかにぶつかり、足をつけるはずだった地面に体を転がした。

 こんなところに壁があっただろうかと、不思議そうな顔をする。痛む身体をゆっくりと起こし、ぎゅっとつむった目をそっと開くと。

 その目に映ったのは、ひとりの女の子だった。

 一瞬でメアリーは全てを理解したのだろう。心配そうに眉間に皺を寄せる彼女が、お客様だということに。
 驚きで開かぬ口を精一杯広げ、満面の笑みの笑顔で女の子にあいさつをしようとする。なぜなら、そう本に書いてあったから。

「……大丈夫? 怪我はないかしら」

 メアリーの予想に反し、転がった体に手を差し伸べたのは彼女ではなく、隣に立っていた「男」だった。
 女の子とは正反対の、ボロボロのコートにくしゃくしゃの髪。三白眼の鋭い瞳は、彼女の丸くて愛らしい瞳とは全く違う。体の中心が冷やされるような感覚。

 眉を顰めたメアリーは、視線をそっと外して視界の隅へとそれを追いやった。

「こんにちは! あなたもここに迷い込んだの? ……私もそうなの。ここから出たくって」

 悪いものから目を背けるようにして、女の子へ笑いかけたが、女の子は恥ずかしいのか男の影に隠れてしまった。
 そんな女の子の様子を見かねてか。よろしくねと、男は女性のような口調でメアリーに話しかけてた。

 そのまま彼は自分の名と女の子の名を口にした。男の名はギャリー、女の子はイヴと言うらしい。いくつか会話を重ねた後、ギャリーの影に隠れたまま、イヴは顔を赤くして小さく頭を下げた。

「ねえ、よければあたし達と一緒に行かない? 女の子一人だと危ないでしょう?」

 彼の誘いにメアリーはにっこりと口角を吊り上げて返した。そのぎこちなく歪む口の端に、ギャリーは気付くことなかった。
 それを肯定と受け取った彼は、安心したような顔で前を歩きだした。ギャリーには見えないようにして、メアリーは両眉を寄せる。関係ないとでも言い聞かせるような瞳で睨みつけていた。燃えるような感覚が胸に押し寄せ、ぎゅっと唇を噛み締める。

 だが、せっかくの「おともだち」と離れてしまうわけにはいかない。そう思ったのだろうか、お面を貼り付けたような顔でギャリーの後をついて行く。
 無言の二人を前に、場を持たせようとギャリーは話題を振っているが、二人は全く反応しない。
 どうにか話を続けようと頭をひねり続け、メアリーが先ほど通った花瓶の前まで来ると、彼は歩みを止めた。

「そういえば、アンタにも薔薇があるの?」
「うん、あるよ。黄色い薔薇!」

 そう言いながら黄色い薔薇を頭上に掲げた。やっと返ってきた返事に彼は気を良くしたのか、メアリーに再び話しかける。
 それを適当にあしらうように目尻を下げながら、掲げた薔薇を自分の影に隠しす。
 その笑顔とは裏腹に、メアリーは薔薇を片手で握りしめた。ギャリーとイヴはそれに気づく様子はない。メアリーは、ぐちゃぐちゃになってしまった黄色い薔薇を、更に強く握りしめた。

――メアリーの手に握られていたのは、よくできた造花だった。

 決して散ることのない薔薇は、彼女が絵空事であることを明確に示している。この話題がこれ以上続かないように、別の話をしようと急いで話題を引っ張ってくる。

「ねえ、みんなはどんな食べ物がすき?」

「食べ物? そうねえ……アタシはマカロンが好きかしら」

 聞き覚えのない単語に、メアリーは彼の言葉を繰り返した。薔薇の話から逃げるために切り出した話題なのだが、メアリーはどんな冒険譚よりもおとぎ話よりもわくわくする、外の世界の話にどっぷりと溺れてしまったようだ。

――そう。マカロンっていうのはハンバーガーみたいな形でね……色とりどりの可愛いお菓子なの。ええ、赤色も青色も黄色もあるわよ。アタシ達みたいね。とにかくそのお菓子がおいしくって!

「ここから出たら一緒にマカロンを食べに行きましょう! 絶対よ?」

 そう言ってギャリーは目を細め、悪戯っ子のように笑う。ここから出ることに執着しているメアリーは、自分の考えが認められたかのように感じ、青い瞳を潤ませた。
 自然と緩む顔を引き締めながら、長い廊下を歩く。イヴも少しずつ話してくれて、本当は自分の代わりになってもらおうと思っていた二人と仲良くなってしまった。

「そうだ、他にお客様を呼んでこの人達と一緒に出てしまえばいいんじゃないかな」

 小さくメアリーはつぶやいてしまう。ふかふかの絨毯の上に両足を置いて考える。お客様は他にくるかもしれないじゃないか。あの人は「おとな」だけど、それも少しいいかもしれない。

 突然止まってしまったメアリーに気付いて、二人が彼女の方へ振り返った。彼女はふと我にかえり、二人の元に駆け寄った。
 無意識に口に出てしまった、その言葉を後悔しながら。

「な、なんでもないよ! ほら、こっちの扉が開きそうだよ! いこっ!」

 上ずった声で笑って誤魔化す。一瞬口にしてしまったことを悔やむ声を喉の奥へ飲み込みながら、それが二人の耳に入っていないかどうか様子を伺うように、少し口を閉じた。

「次の部屋はどんなところだろう?」
「いきなり変な奴が出てくるかもしれないから気をつけなさいよ」

 その心配は杞憂で終わりそうだった。こんなところで失敗するわけにはいかない、ともだちになって、三人で出るんだ。彼女は強く拳を握りしめて茎の感触を確かめ、薔薇をポケットにしまい直す。

 だが、その決心はすぐに砕け散ることになる。

 扉を開けた先は、メアリーのお気に入りの部屋だった。棚に並んだたくさんの青い人形。壁に掛けてあるのは彼女が描いた絵だ。これはいい出来だと、額の中の女や銅像に走って見せて回ったのだ。
 けれどギャリーは、心底嫌な顔をして目の前にある人形から目をそらしてしまったのだ。

「なによこの部屋……なんでこんなに気持ち悪いのよ!」

 眉を顰め、声を荒げる。気味の悪い人形、ギャリーはそう評価し大きく距離をとった。

「え、なに言ってるの? かわいいじゃない!」

「なんでよ、アンタはどう思うの!?」

 仲間を求めるようにイヴへ問いかけるが、

「……かわいいと思う」

 全く正反対の感想を抱いていたようで、少し頬を紅潮させながら言った。彼はその返答を聞くと、腕組みしながら目を背けるようにして出口の扉を見た。
 足早に出て行くギャリーに背を向けながら、イヴの方へ向き合った。

「絶対かわいいもん。そう思うよね? ……大人ってみんなあんな感じなのかな」

――ヘンなのはそっちじゃない!

 メアリーは精一杯、目に力を込めてギャリーが出て行った扉を睨みつけた。部屋を出ていくイヴの後ろゆっくりとついていく。
 これから起こる出来事に口元がにやけながら、彼女は遠くで聞こえる心地よい音に耳を傾けた。

 先に部屋を出ていたギャリーが、ある絵の前で立ち止まっていた。作品名は「嫉妬深き花」。緑の額縁に収められたそれは、何も描かれていないのだが、

「ねえ、なにか音がしない? この絵からだわ。一体何が……」

 得体の知れない何かに恐怖を覚え、ギャリーと眉をひそめた。それでもイヴと自分を庇う姿に、無性にメアリーは目を細めた。
 そのむかむかが収まらぬままに、メアリーは彼に背を向けてイヴを選んだ。

「イヴ、危ないっ!」

 鈍い音がして地面に亀裂が入る。膨れ上がったそこからは、植物の蔦が突き出てきて、先ほどまでイブが足をつけていた地面を跡形も無く抉った。

  植物は先程までいた部屋と次の部屋への通路を塞ぎ、そのまま天井につくかつかないかのところまで伸びる。振動が止んだ後、再び絵画の方に目をやるまえに、自分と彼女達を両断する植物にギャリーは目を疑った。

「あーびっくりした!」

 メアリーはイヴのその小さな手を大事に握りしめた。手の中のぬくもりに触れ、嬉しさがこみ上げてくる。

「二人とも大丈夫……!?」

 ギャリーが植物越しにそう叫ぶ。手折ろうとしたり蹴ろうとしたりしたが、石であることに気づき、無駄なことだと知る。

 ギャリーをあの部屋に閉じ込めることができた。彼は絶対に壊れることのない檻にしがみ付きながら、どうにかならないかと試行錯誤している。 どうしようもなく緩んでしまう口の端を誤魔化しながら、メアリーはイヴへと微笑みかけた。

「ねえ、さっき鍵拾ったよね。それってここのドアなんじゃないかな。……ねえ行ってみない? きっとこれを壊せるなにかあるはずだよ!」

 まあ、この蔦は絶対壊れないのだけど。彼女の目の笑っていない笑顔が、イヴの目にはやけに冷酷に見えた。

 早く邪魔者から遠ざかろうとするが、ギャリーがそれを止めた。何か危険な予感がしたからだ。彼女は既に当たってしまった予感を無駄だと足蹴にし、同意を求めるようにイヴへと問いかける。
 幸い女の子は首を縦へ振り、制止の声を振り切って次の扉へと体を向けた。

  開けた扉の先は倉庫の様だった。無個性に大量の段ボール。ここになら何かありそうだと、イヴとメアリーは二手に分かれ、段ボールの中を漁ってみる。

  彼女が開けた段ボールは、丁度絵筆やヘラがしまってあった。その箱の中にあるはずのものを探すが、重くてひっくり返すことはできないので、手当たり次第に探る。

「あった……」

  手のひらでその冷たい感触を確かめる。ボロボロになってしまったパレットナイフ。傷ついてはいるが、その刃は彼女の青い瞳を映し出した。
  イヴがその呟きを聞き、近寄ってきた。

「えっとね、これであの蔦削れないかなって」
「頑張れば……いける」
「いや、無理だと思うな。でも持っておこうかな……念のため、ね」

  表情を悟られない様にしながら、手早くポケットにしまう。けれど、そろそろ行こうかと扉へ足を向けたその両足は、再び地につくことになる。

  先ほどまで切れかかっていた蛍光灯が不意にその明かりを消した。暫くするとはっきりと明かりを灯したのだが

「あれ……銅像が扉を塞いでる……」

  イヴが焦った表情でなんとか動かそうとするが、ビクともしない。やがてそうのうち疲れてしまったのか、銅像から手を離して彼女の方へ振り返った。

「ねえ、せっかくだから奥の部屋も行ってみようよ」
「ま……待ってよ」

  頭を捻りながらどうしよう、と考えているイヴの手を引っ張り歩き出す。戸惑う彼女の顔を、メアリーは見ていなかった。


  かつかつと二人分の足音が廊下に響いている。そんな音に混じって、足音とは違う重い音が転がってきた。廊下の先で転がっている赤い球。硬い音がひとりで踊る様は、とても滑稽でそれでいて不安になった。どこへ行くんだろう、そう二人が視線を向けた先には――。

「あっ……」

 転がる先には壁があった。そこまで速度はついていなかったはずなのだが、それは壁にぶつかり弾け、赤い色を壁に塗りたくる。
  まるで血飛沫のような色にイヴは小さく顔を顰めた。

「なんだろう、これ」

 転がってきた先に目をやれば、ピエロという題名の絵が飾ってある。ピエロの目と目の間、顔の中心には何か丸いものがはまっていたような窪みがあった。

「まあ気にすることないよ。早く行こう!」

  メアリーは俯きながら頷く動作を、違った方向に受け取ってしまう。きっと私と一緒に出たいんだ、と。
  イヴの赤い瞳は、赤と青と黄色を詰め込んだような色をしていた。

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