Grand Guignol



初めに覚えたのは、身を灼くような熱が這う感覚だ。
それは心の臓腑を灼き切るようなものに始まり、やがて五体の末端にまで渡ると、手足の主導権を私にもたらした。
視界の端に映る白い両の手指を、視界の中央で動かす。
今はぎこちないながらも、いずれ思う通りに動かせるようにはなるだろうことは解っていた。
「初めまして」
両手から、耳が捉えた聞き覚えの無い響きへ目を向ける。
……この亜熱帯の島国に、極彩色の鸚鵡が生息していると云う知識等、聖杯からは得られなかったが。
「思ってたよりも随分と大きいわねぇ」
惚けた声を上げて薔薇色髪のシルエットが寄って来る。
これが男であることは、女とは到底思えない声の質をしていることから想像に易い。
そういった文化に対する許容が進んだのか、この男が例外なのかは判りかねるが、いずれにせよ、この近接は私にとって不快だ。
不躾に詰められた距離を、半馬身退いて開ける。
「あら、そんなに警戒しなくても獲って喰ったりしないわよ」
男に興味ないし。と、笑いながら訊いてもいないことを良く喋るところは、女同様であるらしい。
笑い声の反響する周囲を見渡すと、四方を剥き出しのベトンに囲われた屋内であることが分かった。
男の風貌から察するに、不自然なまでにそぐわない。無骨な部屋だ。
つまり、此処はこの男の居住ではないのだろう。
隅には廃棄された建材と思わしきものが、引き摺り運ばれた跡が伺える。
私を喚び出すに必要な条件を満たす場として、所謂、廃墟と呼ばれる場を選んだのだろう。
真新しく人の立ち入った跡はこの男の足跡の他には見受けられず、廃墟となる以前の形跡には厚く埃屑が降り積もっている。
「ちょっと」
眼前で指を鳴らされ、再び視線を薔薇色髪へと戻してやる。
不服そうにしかめた眉と尖らせた口は、少女がやれば可愛げもあろうが、大の男が浮かべるには些か子供染みて奇妙だ。
「聞いてた?自己紹介」
「否」
聞くつもりもなかったのだから当然だろう。
一語の返事に対し、男は大げさに肩を落として溜息を吐く。
「先が思いやられるわ……」
そう独り言ちたかと思うと、此方へ指を突きつけた。
「アンタ、友達いないタイプでしょ」
振る舞いのみならず言動の全てが不躾な鸚鵡であることは理解した。
早々に下げろとの意を込めて指先を凝視していると、何か反応ないの、つまらない、喚び出したばかりで寝ぼけてんのかしら等々の雑言を一頻り呟いた後に、人差し指を仕舞い込む。
「まぁいいわ。私は蜂賀鬼灼丸。アンタのマスターってことになるのかしらね。これからよろしく」
挑戦的な笑みを浮かべ、握手を求めるかのように差し出された手を一瞥し、廃墟の様子を窺う方へ専念することを決めた。
真横を通り過ぎ、通路らしき方面へ向かう。
「お待ち!」
怒声と共に、身体が釣り合いを無くして揺らぐ。
煩わしさに目をやると、外套の端を靴の踵が踏みつけていた。
持ち主はマスターを名乗った男であり、不可解にも怒りを押し殺した笑みを浮かべている。
「よろしく、って、言ったら、よろしく、ぐらい、返しなさい?」
最低限の礼儀でしょ?と、言葉を続けている男の足を外套から除けようと、肩を上げる。
その動作が余程気に召さなかったのか、眉をしかめ、より一層の負荷をかけ始めたのが見て取れた。
「よろしく、は?」
「……宜しく」
返答に満足したのか、男は笑みを浮かべて大人しく足を退く。
……常人ならば容易く転がる程度の力をかけて振り払った筈の外套の端には、靴の踵の跡が埃以外の形として残っていた。
「ちゃんと喋れんじゃない。で、アンタの名前は?」
「狂乱の檻に囚われし者に、名乗る必要があるとは初耳だ」
外套を大きく払うと、男は身を退いて避ける。
如何やら此の国の言葉で残心と言う、警戒に似たものを有してはいるらしい。
ただ縊り殺されるを待つのみの信天翁でなかっただけ、僥倖だ。
「アンタねぇ……面倒な言い回ししないでバーサーカーって素直に名乗りなさいよ」
「私を指定して喚び出したと云うことは、他のクラスであるということは有り得まい。我がマスターよ」
動きを止めた男の肩越しに、方陣を眺め見る。
健常な時代には真四角に空いていたであろう壁穴からは、無遠慮に月明かりが注いでいた。
血色の陣は濡れた光を反照し、自らこそが主演であるとでも言いたげに存在を主張している。
もはや貴婦人の首を飾ることもないと云うのに、硬度を失っても尚、鉄錆とも墓守とも縁のない煌めきを放つそれは、些か滑稽に映った。
その奥、光の届かない闇の中に、建材や塵芥とは違う何かが据え置かれているのが目に留まった。
「私、結っ構誰何されるの楽しみにしてたんだけど。貴方が私のマスターか?みたいなの」
「この場にいる人間は唯一人。では、お前以外に何者がマスターであると言える」
私の視線は、方陣の奥に横たわる何かを見定めようとしていた。
故に、耳の端で捉えたのみに過ぎない。
しかし、その言葉に薄紅色の小鳥は、

「それは、どうかしらね」

確かに、嗤った。

如何にも愉快であると言いたげに、口元に人差し指を宛て添える。
「喚び出すと同時にアタシが本物のマスターと入れ替わった可能性もないとは言い切れないでしょ?バーサーカークラスならそれこそ暴走って危険と隣り合わせな訳だし」
アンタ見るからに危険そうだし。と人指しに余剰な一言を付け加え、此方を見上げて来る。
煩わしい。
能力を推し量ろうと云うマスターの心算には、応えてやるべきがサーヴァント、とでも。
狂戦士に問答を求めようとは、どこまでも平和呆けした男に喚び出されたものだ。
今やもう侭に駆動する手の先で、外套の内から真黒な縄を撓らせる。
かろうじて目視はしたようだが、戦場に身を置いたことすらない人間に避けられるような代物ではない。
投擲した縄は生き物のように男の首へ絡み付き、呼吸を阻む手前まで絞め上げた。
手中に残る縄の端を指先で引けば、踏みつけた外套からは頑にも動かなかった足が床から剥がれ、数インチの眼前に顔が迫る。
色のない無機の仮面。闇に落とした火花のように光る両眼。死人の肌に灼け残る赤黒い痕。
見開いた瞳孔に映る自らの姿には、髄から肌が粟立つ思いだった。
迫り上がる不快を飲み下し、瞳の中の私が嗤う。

「お前が偽りのマスターであると言うのであれば、此の場で殺すまでだ」

容易いことだ。
首に掛けたその縄で、二度と戯れ言を囀れないようにすることなど。







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