蟻
一面の焼け野原とは良く言ったものだ。
野原のはずなのに、生き物の気配一つすらしない。
自分を、除いて。
日差しを阻むはずの雲はどこへ隠れたのか、気分を害すほどに強い陽光が降り注ぐ。
煤にまみれたトタンの端切れが風に吹かれ、軋む音が響いた。
手足を丸め、ひっくり返っている同胞を足で転がしてみる。
反応は、ない。
他のものも確かめようと足を伸ばしたものの、突風に流されて行ってしまった。
トタンの軋む音が自分を嘲笑しているように感じ、いささか不快だった。
人っ子一人いない焼け野原を一人、歩み進める。
歩き始めて数時間が経過した頃、ようやく人家が見えてきた。
自分の知っているよりも、小さく見える。
近づいて行くに連れ、一階部分が潰れているのだと分かった。
屋根と二階部分のみが残った、一軒家。
元は相当裕福な家だった事には違いないが、今となっては無意味。
鈍くなった足を別の方へと向ける。
「誰か……」
か細い声に、足が止まってしまった。
瓦礫の下、細い腕が僅かに動いているのが見えた。
「誰か……助けて……」
……人を助ける義理など、持ち合わせてはいない。
しかし、見捨てる理由がない事も事実。
片手で瓦礫を持ち上げ、もう片方の手で細い腕を掴み、引きずり出す。
か細い声の正体は、年端もいかない少女だった。
顔立ちは、おそらく整っている方だと思われる。
背の割には童顔で、もしかしたら見た目よりも三年程年上かもしれない。
守役なのか、背中にはさらに幼い子供を背負っていた。
詰まっていた息を吹き返し、子供は勢い良く泣き始めた。
喧しい。
懐から包みを取り出し、紐を解く。
小さな白い欠片を、子供の口へと押し込んだ。
一瞬、戸惑ったように押し黙った子供は、小さな欠片を舐め舐め、泣き止んだ。
「コホッ……良かっ、たぁ……」
今の今まで、圧迫されていたせいか。
少女の腹の下からはとめどなく赤い液体が流れ出していた。
この様子なら、いずれは失血死。
生憎、自分には手当の仕方などという知識は備わっておらず、痛みを和らげ癒す術も知らなかった。
ただ、少女の生み出す血の泉を、静かに見つめていた。
この場に響く音と言う音は、風の音のみだった。
「お兄さん……」
目がまだ見えていたらしい。
少女は虚ろな瞳で自分を見、たすき掛けにした紐を外した。
子供を結わえていた紐が、同時に解ける。
「この子……たすけて……」
自分へと伸ばされた手は痙攣を起こしており、死が間近に迫っている事が見てとれた。
声は掠れ、あと少し弱ければ風にかき消されそうな程だった。
「わたしは……いいから……おねが、い……」
少女の口から漏れる音が消え、手の痙攣が止まった。
伸ばされた手は力なく地へ伏し、宛てもなく開かれた目は、時を追いつつゆっくりと濁り始めた。
火がついたように、再び子供の泣き声が響き始めた。
その内、風に乗ったこの声に気が付き、他の人間がやってくるだろう。
包みに入った金平糖を、包みごと地面に置く。
「キシッ」
トタンが軋むような音が響く。
一拍遅れ、自分の笑い声だと気が付いた。
「キシッ、キシシッ」
人間の考え事は,自分には到底、理解が及ばない。
「これだから人間は、好きになれないのであります」
自己犠牲、なんてものは特に。
そう、独りで呟く。
少女の顔へと手を伸ばし、瞼を閉じさせた。
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