「私の勝ちです」 さくまさん? 余裕綽々といった空気を醸しながら、彼は私を見て愉快そうに口角をつり上げた。 軽い気持ちで悪魔の提案になんか乗るもんじゃない。 あーあ、アクタベさんに怒られる。 「残念でしたね」 「…そうですね」 「まあ、私は愉快ですが」 「見てれば分かります」 勝算がない訳ではなかった。 勝てるかも、と思わなければ最初からこんなハイリスクを受けたりしない。しないんですよ、だって安定第一。 けれど勝者の特権が結構魅力的だったものだから、ついうっかり乗っかってしまった自分に、まるで他人事のように心の中で合掌。 「さて、さくまさん」 「な、なんでしょうか」 「どんなことでもひとつ、言うことを聞いてくれるんでしたよね」 「そ…そう、でしたっけ」 「とぼけてんじゃねェぞクソ女」 「いやあ…強いですねえ、ベルゼブブさん」 「誤魔化しても無駄ですよ」 「う…、分かってますけど。 …何をすればいいんですか?」 ちら、と控えめに窺うともったいつけるように優雅に手を顎に添えて、そうですねえと思案顔。 愉しそうに輝く色素の薄い青の瞳に、嫌な予感しかしない。 排泄物以外で、とは賭けの前に約束してあったので、正直何を言われるのか全くもって分からないのが一層不安を煽る。 「…私は常々思っていたのですよ」 「……は?」 「いつもいつも私ばかりが貴女の膝に乗っかっている」 「…はあ、まあ、そうですね?」 「確かにあのプリチーな姿では仕方のないことかもしれませんがね、今はほら、違います」 「えーと…、つまり?」 「ええ、つまり」 「はい」 「私の膝に乗りなさい」 たっぷり数秒。 何度か瞬きを繰り返して、彼の言った言葉を反芻する。 意味を咀嚼しながら遠慮なく凝視していると、早くしなさいと催促された。 「え、と…頭とか打ったんですか?」 「失敬な、至って正常ですよ」 「じゃ、じゃあ何でそんなこと…!」 「おや、そんなこと?なら今すぐ出来るんでしょうね」 「そ!そういう意味ではなくてですね…っ」 「御託はいいです。約束でしょう? 貴女が蝿になりたいと言うのなら、それはそれで私は歓迎しますが」 「い、いや!それは…なにか他にないんですか?」 「膝か蝿か。乗るだけですよ?あっという間でしょう」 「…どうしてそれしかないんですか」 「ならば蝿ですか、では早速」 「あー!分かりました!お膝に乗らせていただきます!」 「最初からそうすればいいんですよ」 はい、どうぞ? 軽く腕を広げて、にこりと上品に笑ってみせるそれはまさしく悪魔だった。 おずおずと近づいて、ソファーに腰かけるベルゼブブさんの正面。 向き合って、さてここからあと一歩。 背を向けてちょっと座って速攻立てばいいじゃないか!自分に叱咤するも、当然気は進まない。 大体膝に乗るって。もっとベルゼブブさんにとって有益な命令はたくさんある筈なのに。 なんて、考えても始まらない現実逃避である。 「…全く、往生際が悪いですね」 ふと何か思いついたように彼は嫌な種類の微笑みを浮かべた。 これはまずい。本能的に引けた身体がしかし完全に引ける前に、それは力強く引っ張られたことで意味を成さなくなってしまった。 「…ああ、あの。ベルゼブブさん」 「なんでしょう」 「これってなんかその、いつも私がベルゼブブさんにするのと、違いませんか?」 「そうですか?」 「そうですよ!」 「いやあこっちの方が顔も見えますしね、いいなと思ったので」 「…もうこれで膝に乗る、は達成されましたよね?」 「されましたね」 「じゃあ放してください」 「…貴女ってお人はつくづく阿呆ですねえ」 「…は…?あの、うえ!」 するする、ベルゼブブさんの手が腰を這う感覚。 彼の膝の上に跨がり、真正面から向き合う形で腰をその手でぐっと引き寄せられてしまえば。 互いの距離はとても僅かなもの。 私の首元に、ベルゼブブさんの頭がある。 そこから聞こえた、もう少し可愛らしい声は出ないんですか、などという軽口に応えることも出来ないくらい、私は動揺していた。 「…温かいですね」 「べ、ベルゼブブさん」 「柔らかいです」 「ちょっ、…!」 「何だか安心します」 「…っベルゼブブさん!」 「…全部、貴女が私を膝に乗せた時に言っていることですよ、さくまさん」 此方が必死に腕を突っ張ったり押したりしているのを嘲笑うように、ちら、と覗くベルゼブブさんの口元は弧を描いていた。 一体この悪魔は何がしたいのだろう。 「…はい、分かりました。なんて放すとでも?」 首筋、喉、鎖骨、伝う生温い感覚は徐々に下降していく。 それが何なのか、分かりたくなどないけれど。突き飛ばしたいのに、いや寧ろ自分が転げ落ちてもいいから離れたいのに。余計に抱き込まれて逃げ道を塞がれる。 「こ、こんなのずるいですよ!」 「何を言ってるんですか。 貴女はこの高貴で気高いベルゼブブの契約者なんですよ?アクタベ氏のように自力で跳ね返せるような力を持っていただかなくては」 「無茶言わないでください!ていうかそんなの屁理屈…っひい!」 「私は悪魔ですから、ねえ?さくまさん」 耳元で声が聞こえたと思ったら、耳朶を噛まれた。噛まれたのだ、多分。 ていうか私こんなことはしてないですよ!叫ぶように言うとベルゼブブさんは、私がしたかったんですよ、なんていけしゃあしゃあと言ってのけたのだった。 + 攻め攻めべーやん。 へたれも好きですがおせおせも好き。 |