「ちょ…あの、くさいんで近寄らないでもらえますか」



ビシャアアア。と。
雷が身体を駆け抜けるような衝撃を受けた。
蔑むような目で此方を見下ろす女。ピギィィと漏れる屈辱への憤慨。



「さくま、さん」

「…な、なんでしょう」

「…このベルゼブブが、くさいと?そう言いましたか」

「はい、…いつかお腹壊しますよ」

「私を脆弱な人間と一緒にしないでいただきたい」

「…ベルゼブブさんのそういうとこ、私嫌いです」

「き…っ」



嫌い?くさいのみならず、嫌いですって?嫌いって、くさいって。私を拒絶するのですか。
ぶちり、と何かが切れる音がする。



「私は」

「うえ…!?」

「私は!」

「ちょ…っべ、ベルゼブブさん?」



ぐっとその手を取って、壁に押しやって。逃げられないように捕らえて、困惑に色を変えた彼女を今度は私が見下ろす。
彼女の肩口に頭を下ろすと、ひっという大概失礼な悲鳴が耳を障る。



「貴女が好きなんですよ」

「はな…っ…え?」

「好きなんですよ、貴女が」



顔は見れなかった。
これ以上言葉で、態度で、突き放されたら、グリモアで叩かれるより痛い気がした。
魔界最強が聞いて呆れる。私はいつの間にこんな臆病者に成り下がってしまったのだろう。



「ベル、ゼブブ、さん?」

「……」

「な…泣いてるんですか?」



言われて初めて、自分の肩が震えていることに気がついた。
目が異様に熱を持っていた。
情けない、嗚呼ほんとうに。
けれど戸惑いがちに回された背を撫でる手に、この女も馬鹿だと思う。



「くさくなければ、いいんですか」

「いや、出来れば食べないでほしいんですけど」

「じゃあ、毎日必ず私を喚んで毎日違う味のカレーを作りなさい」

「ええ、そんなめんどくさい」

「いいから、作れってんだよビチクソ女が」

「もう…しょうがないですね。
それで黄金本当に食べないでくれるんなら」



作ってあげます。そう言って未だに背を擦る手に嫌悪は感じない。
くさいんじゃ、嫌いなんじゃ、なかったのかと。過った疑問を口に出すことはしないですがね。
自分が拘束しているもう片方の手を、誓いを立てるように握り締めた。



「あ、」

「…ん?」

「ベルゼブブさんって、髪はいい匂いなんですね」

「…は?」

「私、好きです」

「え…」

「シャンプーとか、使うんですか?」

「と、当然でしょう。身嗜みは紳士の基本です」

「そうですか」



少し顔を上げると、すぐそこに笑顔を浮かべた彼女が居る。
瞬間的に沸き上がった衝動を、私は彼女から離れることで体裁を保った。