※年齢操作
俺が彼女と出会ったのは一年生の時だ。きっかけはアルバイトだった。そのアルバイトは自分で探してきたのではなく、学園長の古い友人である一国の城主からの依頼だった。色々理由はあったが、俺が引き受けた理由は主に二つ。一つは高い給料。もう一つは病で外に出られない姫様の為に自分の身の回りで起きた事を話せばいだけの、手短に言うと『楽そう』だったから。
初めて城を訪れた時の事を、今でも鮮明に覚えている。依頼主の城主は想像していたのよりもずっと若かった。城主と一言二言話した後、俺は大きな部屋へ通された。部屋の奥に、こちらを背にしている小さな人影が見えた。俺が一歩踏み出すと、その人影はくるりと振り返った。
「だれ?」
俺が初めて彼女の声を聞いた瞬間だった。その声は鈴の音のように高く、糸のように細かった。
彼女の病はどうやらかなりの奇病らしい、そんな噂を耳にしたのはバイトを始めて三年後、つまり俺が四年生になった時だった。俺はそれを聞いた時、何もしなかった。他人にとやかく詮索されるのは気持ちのいいものじゃない。それは短いながらも俺の人生で学んだ事の一つだった。だから俺の方から病気についての話は一切出さなかったし、彼女もまた、そういった類いの話題は聞きたがらなかった。
「外に行きたい」
そんな彼女が昨日放った一言だ。最初は俺も止めたが、彼女引くどころかぐいぐい押してきたので、結局俺の方が折れてしまった。そして今、俺は彼女の下へ向かっている。彼女の提案で、こうして夜に城を出ることにした。もちろん彼女はこの事を親には言っていないだろう。言ったらどうなるか、そんなこと誰だって予想がつく。
(あの父親が許すわけねぇもんな)
彼女の、少し過保護な父親の姿を思い浮かべながら約束の場所へと向かった。
予め彼女から城の裏道は聞いていた。その場所へ行くと、彼女は町娘のような装いをしていた。
「昨日ぶりだね」
彼女は肥えた月を背にして柔らかく笑った。そういえば彼女を外で見るのは初めてな気がする。
「そうだな」
屋敷の縁側から地面に降りようとする彼女に、俺は手を差し出した。彼女は臆する事なく俺の手を掴む。その手は病的な白さだった。そして酷く冷たい。俺が少し力を入れたら壊れてしまいそうな手。まるで雪のようだ。
「きり丸?」
気が付くと彼女が心配そうにこちらを見ていた。
「なんでもねぇよ」
彼女の視線を振り払うように踵を返した。ふと空を見上げると、月が白い光を放っている。昼間の太陽とは違う青く白い光。背後でじゃり、と砂を踏む音が聴こえた。
「今日はお月様が綺麗ね」
彼女は俺の隣に立った。優しい香りが鼻腔を擽る。花のような香りだが、生憎俺は花についてそんなに詳しくない。その花の名は何というのか、そんな事、わかるはずもなかった。その香りを纏った彼女がぽつりと言った。
「ねぇ、きり丸」
「月ではね、うさぎがお餅をついてるんだって」
「…………」
「楽しそうだなぁ」
その言葉とは裏腹に、彼女の声色はとても寂しそうだった。俺はそんな彼女の顔を見ることが出来ない。白い月から目が離せないままだ。
「今は楽しくないのかよ」
俺は無意識のうちに言葉を発していた。隣にいる彼女が息を大きく吐く。
「そういうわけじゃないよ。でも、楽しいなら行ってみたいじゃない」
「行ったら帰って来れなくなるぞ」
「……それでもいい」
俺は月から彼女へと、ゆっくり視線を滑らせた。こちらを見ていたのか、彼女と目が合った。月の光が彼女に降り注いでいる。冷たい月の光。その光をもろともせず、静かに立つ彼女。
「それでもいいの」
静寂が俺達を包む中、彼女が口を開いた。表情は笑顔だがその声色は、やはりどこか寂しそうで。
「お前……」
掠れた声が自分の口から零れ落ちた。その声はあまりにも弱々しいものだった。何故そんな声が出たのか自分でもわからない。ふと、左腕に温かいものが触れた。びくりと身体が跳ねる。
「そんなに驚かなくても良いじゃない」
彼女だった。少し困ったように眉が下がっている。走ったわけではないのに、心臓が激しく脈打つ。触れられた所がじんわりと熱を持ちだした。
「大丈夫?」
「あ、ああ」
「……本当?」
丸くて黒い瞳が疑うように俺を見つめる。なんとなく気恥ずかしくなった俺は、彼女からふいと顔を背けた。
「ほら行くぞ。朝焼けになる前に帰って来なきゃいけねぇんだから」
「あ、そっか」
彼女は思い出したように言った。俺がおぶさるよう言うと、素直に俺の背中に乗った。先程の花の香りが一層強くなる。彼女の体温がゆっくりと俺の身体へ伝わってきた。治まりかけていた心臓が再び暴れだす。それを無理矢理押さえ付け、冷静を装い俺は言った。
「掴まってろよ」
「うん」
首に彼女の腕が回される。それを合図に俺は地面を強く蹴り、塀を飛び越える。そして俺は目の前の深い森へ身を投じた。闇夜を照らす白い月を頼りに。
白の闇