※悲恋






それは、偶々だったのだと、思う。




ああ、どうして、




どうしてこんなにも、




世界が灰色に映るのだろう―――。





授業も終わり、委員会に向かう廊下でのことである。文次郎は見慣れたくのたまの後ろ姿を見た。彼女は数少ない同級生のくのたまの中でも非常に温厚で、実習はやむを得ないがそうでなければ話しやすい相手である。幾度か会計委員会の助っ人を頼んだこともあり、仕事ぶりも真面目であることから、友人というよりは仕事の相棒として信頼している。予算会議も近い、申し訳ないがまた手伝ってもらおうか、そう思い声をかけようとしたのだが、文次郎は吸い込んだ息を声に変えて吐き出すことはできなかった。

そう、ただの偶然なのだ。




「文次郎が気持ち悪い」
端正な顔を歪ませて、仙蔵は吐き捨てた。面倒臭い、と部屋に入って開口一番に言い放ったと思えば、同室の文次郎に対する愚痴であることに、僕は苦笑した。何があったかはわからないが、数日前から彼の様子がおかしいことには気付いていた。それを仙蔵は間近で見ていて、粗方原因を知っているのだろう。
「堅物な文次郎のことだから、初めは精々悩めばいいと思っていたんだが」
そういうわけにもいかなくなってきた、と。
「座学も実習も何ら問題はないんだ、問題なのは」
「彼女のこと?」
仙蔵は苦々しく頷いた。成程、そういうことか。こちらが下手に煽れば文次郎はより頑なになるだろう。だからこそ仙蔵はあえて静観を決め込んで様子をみていたけど、いつまでもはっきりしないのかより深みに嵌ってしまっているのか。埒が明かないと思って僕のところに来たのだろう。文次郎が唯一気を許しているくのたま。僕もできれば応援してあげたいところだけど、事態は思っているよりも深刻かもしれない。
「まったく、勘違いも甚だしいものだ。だが、あの有様ではきっと納得しないのだろうな」
「勘違い?仙蔵、まさか」
「ああ、私と彼女が一緒にいたところを見た」
「仙蔵は文次郎に気づいたんでしょ、なら文次郎だって」
「いや、気づいていない」
つまりはそれ程までに衝撃が大きかったということか。たとえそれが偶然で、当人同士に何もなかったとしても、全てを疑ってしまうくらいの。文次郎にとって、自分でも気づかないくらい彼女に好意を寄せていたのだ。
「意図的に彼女を避けているな、あれは」
面倒臭い、と再度吐き捨てる。確かに、その内彼女が不審がってこちらに何らかの行動を起こすだろう。彼女も少なからず文次郎に好意を持っているようだし、可能性は否定できない。誤解に誤解を更に招くような事態だけは避けたい。
「そっか、なら仕方ないか」
「迷惑料を請求したいくらいだ」
苛立ちを隠しもせず仙蔵は立ち上がり、すまなかったと呟いて僕の部屋を後にした。さて、僕はどうしよう、長次が委員会から戻ったら話してみようか。小平太や留さんには少し話しづらい。ああ本当に、面倒臭いんだから。

けれどもう、手遅れだったなんて、僕は思いもしなかった。



最近潮江くんを見かけない。以前に比べて格段に見なくなった。顔をまったく合わせないわけではないけど、いつもより素っ気ないのだ。意図的に避けられている。理由はわからない、私が潮江くんに何かした記憶もないし、された覚えもない。でも潮江くんには、避けるだけの理由があるんだと思う。でも、もし私が何かしたのなら言ってくれないとわからないし、改善もできない。聞くべきかどうか、ずっと迷っている。同じい組の立花くんに相談しようとしたけれど、私の勘違いかもしれないし迷惑になるんじゃないかと思って結局聞けないままだ。でも、このままでいいとも思わない。

そんなことを悶々と悩みながら食堂に続く廊下を歩いていると、まさかの本人に鉢会ってしまった。私も潮江くんも面食らったようにぽかんとしている。幸い今は人通りはない。どうしよう、場所を変えて聞くべきか否か。いや、聞かなければならない。意を決して私は口を開いた。
「潮江くん、あの」
「なあ、お前は」
私の言葉に被せるように言ったと思えば、その先が紡がれることはなかった。だって彼の目は、何も映していないような目だったから。どこか虚ろで、隈も酷くなっている。開きかけた口を閉じて、潮江くんは私の横を通り過ぎようとする。待って、と思わず袖を掴んでいた。振り返って私を見た潮江くんは、何故か泣きそうな、何かに堪えているような顔をしていて。私がそう見えるだけなのかもしれないけど、そんな気がした。
「あの、私…!」
「お前には関係ない」
冷たく言い放って掴んだ私の手を振り払い、潮江くんは姿を消してしまった。

ねえどうして?何があったの?わからないわからないわからない。胸の奥がもやもやする。真っ黒い何かが、霞がかったように覆っていく。そうして鮮やかに映っていたものが色を失っていって、灰色に見えるのだ。温かいものが頬を伝っていく。けれど私は、その場を動くことができなかったのだ。



芽生えたばかりの気持ちに名前がつかないまま、ずぶずぶと沈んでいくのをぼんやりと感じていた。








灰色に映る世界






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