fatalismo | ナノ




 枕に顔を埋めたまま、部屋の電気もつけず勝手に耳に流れ込んでくるラジオ放送を聞き流している。先刻まで周波数を変えてみたり何だりしていたのだけど、飽きたから止めた。このまま眠れたらいいのにこんな時に限って眠くならず、ノイズ混じりのラジオ放送と外の冷たい風の音がまた私の頭を覚ましてくれる。親切なことで。
 今日は所謂大晦日というやつだ。年越し蕎麦はもう食べた、下の居間で、従兄の灰とそのご両親と一緒に。もう眠くなったから寝るね、と強ち嘘でもない嘘をついて私に宛がわれた部屋へ戻った、その時は眠かったのに、今はそうでもない。私の防衛本能的な何かがそうさせたのだろうか。とにかく、灰ちゃんたち家族の大晦日を邪魔したくないと思った、これを言ったら皆、何を言ってるんだ紅も家族だ、みたいに言ってもらえて、安心できるんじゃないかと思うけど、そんなあざとい真似をしてまで自分を確認しなくても平気だ、平気。私、強い子。
 その割に何だか寒さの所為か酷く心細くて、今まで体の下に敷いていた毛布にくるまった。もうすぐ新年ですね、とDJのお兄さんが半笑いで言った。そうかもうすぐ新年か。
 こんこんこん、と扉を叩く音。「どうぞ」と応えれば一瞬で予想した通り灰が扉を開いた。

「紅、もうお蕎麦は食べないの」
「食べたよ、たくさん」
「嘘ばっかり。一杯分しか食べてない」
「灰ちゃんは見かけによらずよく食べるよねぇ」
「俺は育ち盛りだから」

 いつもと寸分違わぬ仏頂面でそんな冗談染みたことを言うものだから、私はついつい笑ってしまった。枕に埋めたままの口から発されるくぐもったそれを察したのか、灰が少し呆れる気配を醸し出しながらベッドに近付いてきて、その縁に腰を下ろした。ぎし、とベッドをベットたるものとする由縁、スプリングさんが軋んだ。
 それから何をするでもなく、灰はそこに座ったまま静寂を保つ。私も何も言わないし、眠気もまだ来ない。こんな時彼は優しすぎて嫌いだ、何で私が何も言わないのに求めていることが分かってしまうんだろう、私ってそんなに分かりやすいかな、自分ではそんなことないと思うのに、本当、君には叶わないよ。

「ねぇ、紅」

 しかし、静寂を破ったのは珍しく彼の方だった。「なぁに」と返せば間も置かず灰の手がラジオの音量調整をいじる。丁度何かのカウントダウンをしている大勢の人間の声が私の部屋に大音量で流れた。「3! 2! 1!」思い返しても私の思考はかなり間抜けだった。何かのカウントダウンって、大晦日にするカウントダウンなんて一つくらいしかないのに。

「明けましておめでとう」
「うん、今年もよろしくね」
「ん」

 新しい年を迎え、私はやっと枕から顔を離し灰の顔を見た。彼は頷いてから、少しだけ口元を緩ませて笑いながら頬を指で突いてくる。「痕がついてる」うわぁみっともない、何となく照れ臭くて私も曖昧に笑い返した。
 ふと思い立ち、充電器を差したまま放っておいた携帯を線ごと手繰り寄せて開く。右上には一月一日の日付。時刻は午前零時をいくらか過ぎたところ。のろのろとメール作成画面を開き、本文を入力する。

「……珍しいね、紅が自分からあけおめメールなんて」
「まっさか、ハッピーバースデーメールだよ。そんな面倒なこと私しない」
「だろうと思った」
「じゃあ後で灰ちゃんの携帯に三十通くらい明けましておめでとう送っておく」
「止せよ、着拒対象だ」
「あはは、冗談だって」

 軽口を交わしているうちに出来あがったメールは自分でもびっくりするくらい簡素なもの。結局本文に打ち込んだ『あけましておめでとう』と『誕生日おめでとう』の間には、スクロールが必要な数の改行を入れておいた。完璧だ。
 送信。どーせおにーさんは頻繁に携帯を見るような人じゃないし、改行になんて気付かないだろう。真っ先に疑問を抱くとすれば、何故私が彼のメールアドレスと誕生日を知っているか、そこに決まってる。もちろん言うまでもなく秋緋ちゃん経由である、快く教えてくれました。
 まあどっちにしろ、私からのメールなんて気付いた瞬間即刻削除される、それでいい。今年もよろしくと入れなかったのは、正直去年よろしくした記憶が無かったからだったりする。これが所謂一方通行ってやつか、ああ報われない。最初から報われるなんて思っちゃいなかったけどさ。

「灰ちゃーん」
「何」
「一緒に寝よう」
「寝言は寝てからね」
「つれないなぁ、この前まで一緒のベッドで寝てたのに」
「何年前の話だよ……」

 毛布の端をぱたぱたとはためかせて招き入れようとするが、痺れを切らし実力行使に出た私の頭を灰が掴んでベッドに押し付ける。「おぶ」と悲鳴っぽい奇声が出た。全く何てつれない従兄なんだ。明日になったら部屋に忍び込んでお前の飴全部食い散らかしてやる。

「おやすみなさい、紅」

 それでも部屋を出る前にそう言う彼の声はどこまでも優しくて、やっぱり飴を食い散らかすのは止めだ。「おやすみなさーい」程良く眠くなってきたし、毛布に埋もれながらひらりと灰の背に手を振って、段々細くなっていく光がやがて閉ざされるのを眺めていた。いつの間にかノイズだけになっていたラジオを早々に切って眠りにつく。雨宮紅、就寝。いい夢を見られますよーに。







今日は昨日の明日


20120319
題名はモーターサイクルより