colorless | ナノ


そして暗転



 嗚呼、月が綺麗だ。少年は、男の肩越しに見える真円を見て、そう思った。
 月明かりで禍々しく見える深紅が少年を見下ろす。少年―――レイヴンは、そこに自らの終わりを見出した。万策尽きたとは正にこのこと、彼は頭がいい分諦めも早いのだ。足掻くなどという選択肢は端から存在していない。何故ならレイヴンは、自らの生に対して執着がない。それは他人の命を無碍に扱うのと同じように、無遠慮で傲慢で、そして幼い悪の結晶だった。

 ひゅん、と空気を切る澄んだ音がする。音に温度があるとするならば、それは酷く冷たいもの。人間の例え話など当てにならない、とレイヴンは思う。情熱の赤とよく言われるその色は、今、とてつもない氷点下の温度でもって彼を見下ろしているのだ。氷点下の情熱など、笑わせてくれる。
 くくっと喉が鳴るのを、彼は堪え切れなかった。


「終わりだ」


 レイヴンの首筋に刃を突き付ける男は、そうとだけ告げる。名を暁秀という彼は、まだ年端もいかないような忠誠的な少年に刃を突き付けているように、客観的に見ればそう見える。それは事実であるのだが、暁秀は誰よりも知っていた、この少年の危険性を。少女のような顔の下に潜む悪を。決して自分を正義だとは思わない。強いて言うなら自身も悪であると断言しよう。この場所に置いて悪の対義語は、もう一つの悪。社会に適応できなかった悪が集う場所。
 暁秀はその中の悪、三つのうち一つを統べる者。そしてレイヴンは、また別の悪を統べる者。

 悪知恵の働く者が多いと称される“マーダ”を束ねるレイヴンは、異常だ。異常なほど根底まで捻じ曲がった、可愛らしい猫の皮を被った得体の知れない何かなのだ。
 今だって、自分に刃を翳す男を前にして、薄く微笑んですらいる。今から自身を手に掛けようとする男を情けなく尻もちをつきながら見上げる闇色の双眸は、楽しげに細められていた。

 嗚呼、不愉快だ。“ヴェンジェンス”の長である暁秀は眉を寄せ、眉間に刻まれる皺を増やした。
 不愉快だ、死にゆく者の浮かべる笑みではない、今まで手にかけて来た人間のどんな表情よりも、それが酷く不愉快だった。自暴自棄になっているわけでもなければ希望を持っているわけでもない、諦めているわけでもなければ壊れてしまっているわけでもない。否、或いは壊れているのだろう、狂っているのだろう。くすくすと耳障りな笑い声を聞きながら、暁秀はそんな結論に至った。


「ねぇヴェンジェンスのボスさん、今君はどんな気持ちでいるのかな。是非とも今後の参考に聞かせてほしいんだけど」

「貴様に、今後などない」


 もう貴様は死ぬんだ。そう告げてやればレイヴンは「そっか」と返し楽しそうにころころと笑ってみせた。これ以上少年の言葉を聞く気がない暁秀は、刃を振り上げる。溝の腐ったような色をしたレイヴンの双眸に、ぎらりと銀色が月の光を反射して映った。

 空に浮かぶ満月に対し、少年の唇は三日月のように歪む。もう彼の策略は始まっていて、あと少しで終わる。
 万策尽きたと思われた彼が、その身一つで、死を持って仕掛けられ完成出来る罠。今までの彼の行いと、評判と、実際に見せて来た姿が無ければ成り立たない最期の悪事。


 そんなものを知らない男は、やっと少年を手にかけられることを悦んだ。これで敵が一人減る、どうせまた新しい長を仕立てて“マーダ”が絶えることはないのだろうが、この純粋な悪心を持った少年が率いる集団よりはずっとマシだ。
 彼は腕に染みついた人を殺せる力加減と速度でもって、凶器を振り切った。

 刹那、男は信じられないものを見て、聞いた。





「ばいばい、だいすきだよ、   」




 銀色が、少年の滑らかな肌を抉る寸前。レイヴンは今までの彼からは考えられないほど穏やかな、年相応の笑みを浮かべ、謳うように、誰かに別れを告げた。最期に呼ばれた名は彼の知り得ない誰かのものではあったが、確かに、汲み取ってしまった。
 其処に含まれた感情を暁秀は汲み取ってしまった。愛だ。ひくり、と彼の喉仏が震える。レイヴンよりもずっと、ある意味人間らしい心を失っていなかった男は赤の双眸を見開く。有り得ない、あっていいはずがない、こんなこと。こんな悪や憎悪や人の悪い面を絵に描いたような存在が、無数のそれを束ねていた長が、人並みに誰かを愛していただなんて、そんなこと。あってはならない、彼は深紅の滴る刃が震えるのを止められなかった、手が、震えているから、止められなかった。
 動揺。懐疑。疑心。虚偽。そんなものは嘘だ。嘘だと言ってくれ、誰か。だが今彼の周りに、彼が最も必要とし依存している“ヴェンジェンス”の人間はいない。廃れたビルとビルの間には、男と、月と、骸だけ。


 嗚呼、月が綺麗だ。
 上には満月、下には三日月。


 暁秀は静かに狂気を取り落とした。



 



111218.
エア殺し合いでクソガキと蒼さん宅暁秀さん。最期にレイヴンが仕掛けた罠は心理的なものでした。死の間際に見せる人間らしさ、それすらも計算したものなんだけどね。流石ですクソガキ。でも暁秀さんは少し精神的に脆い面があるらしいので、そこら辺を少しでもつっつけたらいいなあみたいな。最後に彼が取り落としたのは狂気であり凶器です。だれうま。蒼さんごめんなさいまじで。