colorless | ナノ


天使と異端



 その子は言ったんだ。
「お願いします天使様わたしからわたしを奪ってください。わたしは人間です、人間でした。でもそうではなくなってしまいました。今では人間を憎まずにはいられないんです、人間が恐ろしくて、それ以上にそう感じるようになってしまったわたしが恐ろしいんです。でもまだ、生きていたいとも願ってしまいます、死にたくないんです、欲張りなのは分かっていますでもどうか天使様、お願いします、わたしからわたしを消し去ってください、おねがいします。もう痛いのも苦しいのも辛いのも怖いのも嫌なんです、わたしを虐げる人間を、憎まずにいられるように、どうかおねがいします天使様」
 真白な髪と肌は汚らしく汚れてああ赤黒いのは彼女の血だと分かる。ぼさぼさの髪の間からは少女に似つかわしくない禍々しい角、彼女が人ならざる存在へと変わった証。
 少女は白く細い指を折り畳んで、冷たい雪の上に膝をついて、俺に祈りを捧げていた、憎むのも憎まれるのも嫌だと望むそれは子供らしい傲慢さで、だけど純粋な思い。例えば俺が天使らしい考え方をしたとして、全ての人間に祝福を、そんな風に綺麗事を重ねていれば何とかなる。それが一般的な天使のやり方で、直接この少女の願いを叶えたりだとか、そんなことは多分しないんだろう。
 けど俺は一度とはいえこの少女を助けてしまった。見ていられなかったのだ。ぼろぼろの身体を引き摺るようにして必死に人間から逃げて、がたがたと震えながら息を殺し身を隠す子供を。
 人間の狙いはその頭にいくつも生えている角だ、噂とは恐ろしいもので、根も葉もないそれはすぐに広まる。大方その角を手に入れれば願いが叶うとか煎じて飲めば不老不死だとか根拠のない信憑性も眉唾ものに決まってる。何で人間ってやつはすぐそういう馬鹿げた噂に踊らされちまうのかねぇ。
 俺は少女の頭の上に手を置いた。両手を組んで目を堅く閉じていた彼女はびくりと肩を揺らす。恐る恐る開かれた大きな瞳は、紅玉を思わせる深紅だった。
「本当にいいのか、お前はそれで後悔しないのか、アンジェリカ」
 アンジェリカ。天使のような可愛らしい名前だ、ああこの純白の少女こそ俺なんかよりずっと天使みたいなのに。皮肉なものだな、この世界は、どっかしら狂って、歪んでやがるんだ。神様って奴も酷なもんだね、創ったならもっと最後まで面倒みてやりゃいいのに、天使ったって限度があるんだからさ。
「おねがいします、天使様、わたしはもう、人じゃいられないんです、天使―アンジェリカ―でも、ないんです」
 この幼くか弱き子を追い詰めた愚かな人間どもに、あーめん。天使ともあろう俺が、ついついカッときて全部焼き払っちまったからな、まったくこれだから加減できない魔法は嫌いなんだ。
 上手く笑えたかどうかは分からないが、最後、俺は彼女を少しでも安心させるために笑いかけた。頭に置いた手に徐々に魔力をこめて行けば、少しずつ紅玉の瞳がとろんと眠気に侵されていく。
 次に目が覚めた時には、お前はもう全部、忘れて、アンジェリカでもなくなって、空っぽのお人形さんみたいになってるだろう。それがこの哀れな子の望み。俺が叶えてやれるのはそれだけ。でも本当に、そんなもんで、お前は幸せなのか、もしそうだとしたらそんな世界に天使なんてもういらねえよなあ。
 躊躇いが残ってるうちはお前の全てを消すことなんて出来ない、だからせめて、いつか。いつか自我を取り戻した時に、こいつが幸せになれるように、福音なんて柄じゃないけど、やっぱり俺にはそれくらいしかできないんだ。あーあ、無駄に年重ねるもんじゃないな畜生、こんな子供一人も救えないなんて。
 よく考えたら俺の偽善によって馬鹿げた結果に終わるパターンは二度目。どっちにしろ天使とかこの世にいらないんじゃねえの、これ。
 眠りに落ちた名もなき子を膝に乗せて、俺は溜息を一つ。今日は聖夜だ。歪んだ世界は全部壊して創りなおすくらいしないと、元に戻りそうもない。その時は俺も駆り出されるに違いないけど、天使の辞表届けってどこに出せばいいのか残念ながら俺は知らなかった。




 主よ、際限なき人の望みに喜びはあるのかい。―――amen.



fin.
110815.
角子とおっさんが出会った頃の話。角子は角目当ての人間に捕まってぼこされてたところを、角子の声無き悲鳴を聞いた通りすがりの天使セラに助けられました。周囲の人間があまりに醜かったんでセラは全部焼き払ってしまった。始末書めんどいので隠蔽。そしてそれを見た角子は自分の胸がすっとしたことに気付いてしまって、同時にそんな自分が恐ろしく嫌になって消えてしまいたいと思うように。でもまだ幼いので死ぬのは怖い。子供ながらの傲慢を叶えたのは天使らしかぬ天使のおっさんでした。
いつか角子が幸せになれるようになったらいいのにと思いつつ、今は空っぽなままの角子の面倒を見てるおっさんでした。