colorless | ナノ


殺戮方程式




「明日、帝国に攻め込むことになった」


 それはまだ起きたばかりだった吸血鬼、ライラの眠気を覚ますには十分すぎるほどの意味を持った言葉。
 しっかり天蓋を閉めたはずの特注棺桶型ベッドをガンガンと叩き起こされて、苛つきながら目覚めると、想像通り暗がりにいたウェイルの顔は、蝋燭の僅かな明かりに照らされた思いの外険しいもの。寝起きの上手く働かない頭でどんな罵声を浴びせてやろうかと思考していたライラに対し、ウェイルが放った冒頭の台詞。帝国へ、煌国へ攻め込む。あの国はハンターの拠点だ、そこに攻め込むというのならば、誰がそれを決めた。考えなくても、どんなに上手く回転しない頭でも、分かった。

「陛下の御意志か」
「ああ。宵の国の民は明日、全勢力を持って帝国へ赴く。もちろん私たちもだ」
「ふん……願ったり叶ったり、だな」

 ふぁ、と欠伸を噛み殺し、ライラは誰に言うでもなく呟く。聞いているのかいないのか、ウェイルは瞳の奥に獣の本能を秘めていながら、あくまで事務的な口調で説明の続きを口にした。

「ライラ、明日君は日が暮れたらアルバートと共に行動を開始。人間に紛れて街中から崩せとの陛下のお言葉だ」
「御意。ウェイル、お前は」
「アストゥートと共に山付近の国境から攻める。何かあれば手を貸そう」
「必要ないな」

 薄暗闇の中、ライラの深紅の右目が鋭く光る。その言葉は自信から来ているものなのだろうかと疑問に思うが、ウェイルにはただあまりよくない予感しか与えていなかった。いつもは無表情で無感情を装うライラ=ミッドナイトというこの女。彼女は外面からでは想像できないほど、内に混沌とした感情の吐き溜を仕舞いこんでいるのだ。帝国を攻めると聞いて、大きく見開いたその目が歓喜に輝いていたり、釣り上がりそうになる口の端から尖った八重歯が覗くのがその証拠。
 ライラは自覚しているよりも強く強く、人間を嫌悪していた。

「……年長者として先に言っておく。無茶はするな」
「御忠告感謝しよう。だが私も我を忘れて特攻をしかけるほど子供ではないよ」
「…………、」

 遠足を前に控えた子供のような笑顔を浮かべていることに、彼女はどうやら気付いていないらしい。指摘しようと口を開きかけたウェイルだが、寸前で声を飲み込んだ。
 知らなくていいのだ。出どころの明らかな憎しみも、それを自覚していない幼稚さも、遠い昔自分の無力さに咽び泣いた幼少期も。齢85歳とは言えど、人間で言えば相当の年齢だが、魔物の中ではまだまだ若輩者に分類される。時間はまだまだ、あるのだから。


「まぁとにかく、人間を殺せばいいんだろう」
 「父上は、人間に殺されたの。ねぇ、父上はしんだの?」

「宵の国が攻め込んだら流石の戦姫も動くだろうな」
 「ねぇどうして、父上はあいつらに何もしてないじゃないかなのにどうして」

「あぁ、明日が楽しみだ」
 「殺してやる、人間なんてみんなわたしが殺してやる殺して殺して殺して殺して殺し尽くしてやる!」


 恐らく心の底からの言葉であろうそれを聞けば聞くたび、ウェイルからは彼女に過去の姿が重なって見える。好きなだけ、気の済むまで喚き散らし呪詛の言葉を吐き捨てたかと思えば、泣き疲れと叫び疲れで眠りに落ち、目が覚めるとその時のことなど忘れ去り、父親が遺した外套のことと、最愛の父であり唯一の肉親である彼を人間という種族に奪われたという事実だけを深くその心に刻み付けていた。

 その様を、全て見ていたウェイルだからこそ、人間を引き裂くその手で、ライラに触れることが出来る。光を反射しない漆黒の髪に指を絡め、ウェイルは掠れた声で言った。

「……睡眠の邪魔をして悪かったな、今日はもう寝ろ。よもや気持ちが昂って眠れないなどとは言うまい?」
「敢えてもう一度言うが、私はそこまで子供じゃない」

「じゃあ、おやすみ」というが早いか、ライラは後ろへ倒れ込みすぐに寝息を立て始めた。そこまで眠いということは、睡眠に入る直前までまた一人で酒盛りをしていた可能性が高い。部屋の中には微かながら酒の臭気が漂い、それを嗅ぎ取ったウェイルは呆れ混じりの溜息をついた。
 我関せずとでも言わんばかりに、既に深い呼吸を繰り返し胸を上下させている吸血鬼の女。白い頬に落ちる長い睫毛の影、薄く開かれた口唇、絹のように艶やかな黒い髪も、それとなく守ってきた彼女が明日、傷つくなとは言わないが散る事のないように、と。

 もう夢の中に揺蕩う最中であろうライラへ、ウェイルは静かに囁く。


「おやすみ」


 棺桶の蓋は閉ざされる。それは人間の文化では死別を意味する行為であるが、ライラにとってはただの悪ふざけであり、ウェイルにとってはその悪ふざけを許容した結果だった。
 彼は蝋燭の灯る燭台を手に、音を立てぬようライラの部屋を後にして部屋からは一切の灯りが消えた。全くの暗闇が次に蠢く時は、明日、人間にとっては最悪の。魔物の――少なくともライラにとっては最高の一日として、幕を開けるだろう。



(誰が望もうが望むまいがそれは始まるのだ)

fin.
101110.
蒼真様宅ウェイル・ウルフラムさんお借りしました。そして7mo様宅アルバートさん、アキハル様宅アストゥートさん、お名前お借りしました。ここまで来るとウェイルくんライラの保護者説も08の妄想甚だしくなってきたっていう。暴走してすみませんでした、でも身寄りのなくなった深夜の面倒見てくれたのってウェイルさんとかアルバートさん辺りだと思うんです…はいすみません思ってるだけです。こんなぐだぐだな企画に参加してくださってありがとうございました!
title by 水葬